羅喉(らご)は沙庭に面した柱に凭れると、宵から降り出した雨に煙る天を仰いだ。手を伸ばすと、落ちてくる雨が指先を柔らかに濡らす。少年の目に月は映らない。星のひと欠片すらも瞬かない。
「ただいま、羅喉」
背後から声を掛けられて、羅喉はゆっくり振り返った。
「ああ計都(けいと)、おかえり」
歩み寄って来た少女は、羅喉の夜風に冷えた頬を撫でると、ふうと息を吹き掛けた。途端、まるで春風を受けたように羅喉の頬が薔薇色に染まる。
「長い旅だったね」
「ええ。目醒めたら北の大地を見遥かす天で眠っていたの。でも其処から長い間動けなくて」
「そう」
あぁくたびれた、と溜め息まじりに言いながら深く椅子に腰かけた計都の隣に、羅喉もゆったりと腰を下ろした。漆黒の髪、睫毛に縁取られた大きな瞳、すべらかな白い肌。まるきり瓜二つの少年少女だ。二人は、夜を統べる月を父に、昼を統べる太陽を母に持つ双子星である。
「あたし達、何もかもおんなじね」
漆黒の髪を揺らして、計都は羅喉の肩にこつんと頭を凭せかけた。
「…太陽や月に触れて蝕を起こし凶兆を報せるのが羅喉。何処からともなく現れて陸の人々を脅かす禍つ星があたし」
計都の呟きは静かに宙に融け、それを引き取るように羅喉は計都を抱きしめた。
ふたりは、自分達がいつ生まれ落ち、いつこの天つ宮を棲処としたのかも知らない。ただ身体に刻み込まれた古い古い記憶を縁に、星巡りの旅を繰り返しているのだった。
「あたし、こないだは子供から石を投げられたわ。『お前が現れたせいで今年も不作なんだ』って」
「言わせておけばいいさ。人が石なんか投げたところで、どうせ僕等には届きやしないんだ」
「でも…」
「場所や時代によっては、僕等だって大地に平和や幸いをもたらす祝い星にもなるんだよ。吉兆と見るか凶兆と見るか、それは陸の人々がその時々で勝手に決め付けるだけなんだから」
これまでも幾度となく、羅喉から計都へと重ねてきた言葉だ。羅喉はそっと計都の身体を押しやると、水盤に浮かんだダリアの花を両手で掬い上げた。
「さあ計都、次の星巡りの夜までゆっくりお休み。目が醒めたら一緒に父様のいらっしゃる玉兎宮へ遊びに行こう」
「そうね、そうしましょう。…ありがとう、羅喉」
簪(かんざし)のように計都の耳にダリアの花を飾ると、羅喉はその背中を押して休息を促した。規則正しく寝息を立てる計都を見つめているうちに、自分も誘われるように睡魔に襲われ、羅喉は計都の眠る柔らかな寝台にうずくまるようにして瞼を下ろした。
見る夢は決まって同じ。
物憂げに銀色の光を湛える月と、誇らしげに黄金の光を放つ太陽がしばしの逢瀬を交わす蝕の、その瞬間の光景だ。決して相容れる事の許されない月と太陽が、羅喉の起こす蝕によって重なるほんの僅かな時間、その時間の分だけ、羅喉は存在証明を与えられたように満ち足りた気持ちになる。
だが、計都は。見た者に災いをもたらすという禍つ星として遠く長い時を過ごしてきた計都は、満ち足りた気持ちになる事などあるのだろうか。
そう考えれば考える程、羅喉は計都が憐れで遣る瀬なくなる。そして、愛おしくて堪らなくなるのだ。羅喉は思う。双子星として生まれ落ちた妹星を、どんな出来事からも何者からも守り慈しむ事が、「蝕を起こす」という宿世よりよっぽど大切な事では無いかと。
羅喉はゆっくりと瞼を押し開けると、まだ静かに眠っている計都にそっと口付けた。計都の唇が薔薇色に染まったのを見やり、羅喉は満足したように再び眠りに落ちた。
-END-