テーブルを挟んで向かい合うと、崇と奈々はお互いのグラスに冴々と冷えた日本酒を注いだ。年の瀬も押し迫った昨日、奈々宛てに親戚から贈られてきた『宗玄』という能登の大吟醸だ。

「乾杯」

 何に、と言う事もなく、崇の低い声を皮切りに、ふたりきりの密やかな祝宴が始まった。

- - -

 それは大晦日の午後の事。

 奈々は、せっかく頂いたお酒を今夜ゆっくり飲むか、それとも元日に封を解くべきか――これを飲むなら美味しいお鮨なんかと一緒がいいけれど、こんな急じゃ用意出来ないし――などと考えながら大掃除に精を出していたのだが、崇は掃除も半ばに(割当は崇自身の書斎だけだというのに!)「ちょっと出てくる」とだけ言って出掛けてしまったのだ。
 帰ってきた崇は、「もうッ」と頬を膨らませる奈々に、馴染みの鮨屋の屋号が印刷された折り詰めを手渡した。途端、「あのお酒にはお鮨があればいいなって思ってたんです!」と、むくれていた事も忘れて奈々は思わず弾んだ声を上げてしまったのだった。

- - -

「美味しいですね、お鮨もお酒も」
「ああ」

 静かに目を伏せて頷く崇を見つめると、奈々はグラスの日本酒をさらりと喉に流した。味わいは勿論、香りや喉越し、どれを取っても上品で美味しい。

「タタルさんって、私の考えてる事お見通しだったりします?」
「まさか。…何故そう思った?」
「だって、本当に驚いたんです。せっかくの大吟醸だから、冷やしてお鮨を肴に飲めたらなって。そしたらタタルさんがお鮨を買ってらしたから」
「俺も同じ事を考えただけだよ。…いや、君みたいな酒豪はそう考えるだろうな、と推察したまでだ」
「まあっ」

 愉しげに喉を鳴らす崇のグラスに、奈々は困ったような照れたような表情でお代わりを注ぐのだった。


 食事が済むと、奈々は少し酔いを醒まそうと、サッシを開けてベランダに続く濡れ縁に腰を下ろした。崇も、グラス片手に奈々の隣に並ぶ。

「やっぱり冷えますね」
「天気予報では今夜あたり雪が降るとか降らないとか言っていたからね。…しかしこんな寒空に窓を開け放つなんて酔狂だな、君も」
「…いいんです。タタルさんが隣にいて下されば十分あったかいですから」

 奈々はそう言うと、崇の右肩にそっと凭れかかった。

 秒針の音だけが、空気を震わせるように響いている。崇は左手に持ち変えたグラスで日本酒を煽りながら、右手でゆっくりと奈々の髪に触れた。指先が柔らかな髪に絡まる。
 奈々は幸せに思わず笑みを零してしまう。昼間、奈々ひとりでバタバタと家じゅうの掃除をしたり新年の準備をしたりしていた慌ただしさが、まるで遠い幻のようだ。

「…あ、除夜の鐘」

 静寂を裂くように、重く低い鐘の音が耳に飛び込んできた。奈々はぱっと顔を上げ、見えるはずもない鐘の在処を探して夜の街に目を凝らした。

「もうそんな時間か」
「ええ。…そういえば除夜の鐘って、確か今年のうちに107つ鳴らすんでしたよね。そして最後の1つは年が明けてから」
「時代や宗派によっても違うけれど、概ねそうだな。鐘の音で108の煩悩を滅する、か。――煩悩と言えば『眼(げん)』『耳(に)』『鼻(び)』『舌(ぜつ)』『身(しん)』『意(い)』の六根それぞれに【好悪】があるとして18類、この18類それぞれに【浄染】があるとして36類、更にこの36類を前世・今世・来世の三世に配当して108になるという説もあるし、四苦八苦を表すという説もあるんだが」

 蘊蓄スイッチを押してしまったかしら…と奈々が少しだけ苦笑しつつ崇を見やると、崇はぐいっとグラスを空にしてしまってから、奈々をじっと見つめた。

「…タタルさん?」
「『煩悩』という単語を辞書で引いた通りの物と捉えた場合」
「いわゆる『精神や肉体への欲望』と呼ばれる煩悩ですか?」
「そう。その場合、俺の君への煩悩は鐘を撞いたくらいではひとつも払拭出来ないだろうな」
「わ、私への、煩悩!?」
「ああ」

 かあっと頬を染める奈々に軽くキスすると、崇は立ち上がって奈々に手を差し出した。

「さすがに冷える。中に入ろう」
「は、はいっ」

 ぼんやりとまばたきしながら、奈々は思う。一体いつになったら、私はタタルさんのすべてに慣れる日が来るのかしら、と――。

「まだまだ先、かなぁ…」

 崇と手を繋いだまま独りごち、ふとベランダを振り返った奈々の瞳に、白く柔らかな風花がふわりと優しく舞う姿が映った。

-END-

▼あとがき
年越しタタ奈々書いてみました! そう、タタルさんの奈々ちゃんへの煩悩と言ったらそりゃあもう…鐘じゃどうにもなりません(断言)。
ちなみに『風花』というのは「晴天にちらつく小雪片」だそうなので、夜に降る雪をこう呼ぶかは自信がありません…すみません。あと除夜の鐘蘊蓄はどうぞ読み流してやって下さい。もう先に土下座しとこ(笑)。
タタ奈々愛好家の皆様、今年もお世話になりました。来年も地道にタタ奈々小説を書いて参りますので、どうぞよろしくお願い致します!
2011.12.31



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