そっと瞼を押し上げる。
拡がる、満天の星空。柔らかなメロディと一緒に流れるのは、穏やかな声のナレーションだ。
『……北の空では、星は北極星を中心に反時計回りに回っています……』
聞くともなしに聞き流しつつ、わたしは、隣の座席に深く沈むように腰かけている男子をちらりと横目で見た。
濃紺より銀鼠に近い詰襟は、このあたりでは偏差値と進学率の高さで有名な男子校の制服だ。その制服を着崩したふうもなく、紺縁の眼鏡をかけた端正な横顔はいかにもお坊っちゃんな雰囲気を漂わせている。
…平日の、こんな昼日中にこんな場所にいるような人種じゃない。
「――何ですか?」
抑えた声で尋ねられ、わたしははたと我に返った。チラ見したはずが、ずいぶんじっくり眺めてしまっていたらしい。
「あ、いえ、その」
「…星、いいですよね」
言ったきり、彼はふいっと視線を逸らして再び天幕に見入った。「はあ」と間抜けに答えると、わたしも首を上げて星空を見上げてみる。
朝起きて家を出たものの学校に行かない、なんてのは、わたしにとっては日常茶飯事で。このプラネタリウムに入ったのはまったくの気まぐれだった。学校じゃなければどこでも良かったのだ。
夜が嫌いで、だからって朝も来て欲しくなんかなくて、涙が止まらなくて、誰かに聞いてもらいたくて、でも話すような事なんて特になくて。
家族はいたって普通だ。友達だっているし成績だって中の中で別段困るような事もない。彼氏は…いない…けど、友達の恋愛話でお腹いっぱいだし。何も問題なんてない。ない、のに、夜中、あんなに涸れるように焦がれるように涙があふれるのは何故なんだろう。
それがわからなくて、わたしは、毎日ふわふわと街をさまよってしまうのだ。
今日だってそう。わたし、一体何がしたいんだろう。何が欲しくて、何が見たくてこんなふわふわしてんだろう。バカみたい。…なんか泣けてくる。
いたわるような優しいナレーターの声のもと、星たちが密やかに、けれど決然と天幕を動いていく。そして、わたしの頬を流星群のように涙が伝ってゆく。
つん、と肘に何か当たる感触がして、わたしは鼻をすすりながら肘のあたりを見た。隣の彼が、顔は天幕の映像から逸らす事なくハンカチを差し出している。
「良かったらどうぞ」
「ずびばぜん」
わたしは小声で言うと、ありがたくハンカチを受け取ってぐじゃぐじゃの顔を拭った。ほんのり優しい匂いのする、清潔なハンカチだった(わたしなんて、女子のくせにハンカチなんて持ち歩いてないのに)。
「暗くて誰にも見えないからだいじょうぶ。…気が済むまで泣いて」
「…あい」
こくこく頷きながら、こぼれおちる涙をハンカチで受け止める。ふと、もう一度覗き見た彼と目があって、わたしはあわてて俯いた。
――ああ、もしかしたら、この彼だってわたしみたいに泣きたい夜があるのかもしれないな。知らないけど。
そう思ったら、途端に胸の奥のこんがらがった糸がぱぁんとほどけたような気がして、わたしはふうっと深呼吸をしたのだった。
・ ・ ・
「……あの」
「はい」
「なんか、ありがとうございました」
「いえいえ」
「このハンカチ、記念にもらっていいですか?」
「ええ? 何の記念? あー…、でも確かにそのまま返されても結構困るかも」
はは、と笑った彼に一礼すると、わたしはハンカチを握りしめたままダッシュで雑踏を駆け出した。
――だいじょうぶ。まだ世界の何もかもを受け入れられる訳でも、何もかもを許せる訳でも信じられる訳でもないけれど。きっと、だいじょうぶ。
とりあえず学校に行こう。でもって友達に会って今あった出来事を話してみよう。「話盛ってんじゃねーよ!」って笑い飛ばされるかもだけど、まあいいや。そういう日常をちょっとだけ好きになれたら、泣きたい夜が少なくなるかもしれないし。
わたしは立ち止まると、ポケットにハンカチを忍ばせつつ、星の隠れた真昼の空を見上げて大きく深呼吸をした。
-END-