突然、だった。

 ちりりと背後で優しく鳴った鈴は、確かに、去年亡くなった愛猫ハルの首に結わえられていた鈴の音だった。
 あたしは耳を疑った。…でも、鈴はちりちりと愉しげに音を立てて、あたしの近くを歩き回っている。

「…おい、オレだよオレ」
「んんっ?」

 空耳、だろうか。だってあたし以外に誰もいないこの部屋で、あの懐かしい鈴の音を聞くなんて。――まして、その鈴の持ち主があたしに話しかけてくるなんて。

「ハル、なの…!? ねぇどこ? ほんとのほんとにハルなの?」
「どんくせぇな、こっちだよ!」

 りりーん、と高らかに鈴が鳴り響いた(あたしの勉強机からベッドに跳び移ったらしい)かと思うと、続けてやけにぶっきらぼうな声が聞こえて、ようやくあたしは夢じゃない、と気付いたのだ。

「ハル…、ここに…いるの…?」
「いるよ」
「でも見えないよ…」
「見えなくても、いるんだから仕方ないだろ」

 言いながら、ハルがどうやらあたしの足元をくるくるとまわったらしい。しっぽが当たる、柔らかな感触。

「ホントだ、いる」
「だろ?」
「どうして? あっ、って事はもしかしてまた一緒に暮らせるの!?」
「…ま、お前に用事があって帰ってきたようなもんだからな。とりあえずさっさと懸案済ませるか」

 そう言って「うにゃあああ」と伸びをしたハルは、あたしに厚着して一緒に外に出るよう促した。

- - -

 もう何時間かで日付が変わるという夜更けにハルに連れ出されたのは、街のランドマークでもある時計塔だった。
 時計塔も広場も街路樹も、冬期限定仕様のイルミネーションで飾られてきらきらと瞬いている。その広場に軒を連ねる温かなスープやコーヒー、焼き立てのパンを売る露店のせいもあって、あたりは人波であふれていた。
 あたしはハルに言われるまま、広場のすみっこのベンチに腰を下ろして、行き交う人々のざわめきに身を委ねた。

「寒いか?」
「うん、でも平気。ハルがいるからあったかい」
「見えないのに?」
「ま、見えないけどさ」

 ベンチに座ったあたしは、膝に乗っているらしいハルの柔らかな背中をそっと撫でてみた。目に見えて触れる訳じゃないけど、やっぱり膝はあったかい。

「…よし、もうすぐだな」
「え?」

 ふいに膝の温もりが消えて、ハルがあたしから離れた事に気付いた。星の欠片がひゅんと飛んできそうなくらい冷たい空気が漂う。ハルは言った。

「お前は此処で待ってりゃいいから。あとはしっかりやれよ。ツンツン意地張ってねえでオレといる時みたいにデレデレ可愛くしてろ。今夜だけは許してやる」
「……ハル?」
「じゃあな」
「え? ちょ、ハル、どこ行くの?」

 見えない姿に目を凝らして、あたしは立ち上がりハルを呼んだ。ちりり、と、首に結った鈴がちいさな音を立てる。

「野暮用。お子ちゃまはついてくんじゃねえっての」

 にゃあお、と猫みたいに(まあ猫なんだけど)一鳴きすると、ハルは、鈴の音を振り撒きながら闇へ溶けるように走って行ってしまった。

「もー、何よ野暮用って。だいたいハルの奴、こんなトコにうら若き乙女をひとり置き去りにしてっ」

 塔の下付近に佇む待ち合わせ中らしい人たちが、顔を綻ばせて出会っては、身を寄せ合って歩き出す。ハルは此処で待ってろって言ったけど、でも…。

「何? いつまで待ってればいいの? てか誰を?」
「…おい、お前何ひとりでブツブツ言ってんだよ。割と本気で怖いぞ」
「うるさいなあ! って、ショータ!?」

 ぽんと肩を叩かれて振り向くと、立っていたのは幼なじみのショータだった。

「おう」
「な、何で」
「バイト帰り。お前こそこんなトコでひとりで何やってんだよ」
「あ、えーと」
「送ってく」
「別にいい! ひとりで帰れる」

『ツンツン意地張ってねえでオレといる時みたいにデレデレ可愛くしてろ』

「あ」
「どした?」

 ふとハルの言葉を思い出す。…どういうつもりで、ハルはあんな事を言ったんだろう。
 確かに、最近のあたしはショータといる時うまく笑えない。気持ちのどこかがギクシャクして、ついおかしな態度を取ってしまう。

 ――ホントは何故だかわかってる。ショータに「好きだ」と言われたからだ。

 その時あたしは失恋したばっかりで、大声をあげてわあわあ泣いていた(隣にいたのがショータだったから安心して思いっきり泣けたのかもしれないけど)。そうして、泣いて、泣いて、泣き止んだ時、ショータはあたしに「好きだ」と言ったのだ。…まあ、「今すぐどうこうなりたい訳じゃない」とも言ってくれたけど。

「あのさ、」

 あたしは思いきって切り出した。

「何」
「…アンタあたしの事好きってマジ?」
「はァ?」

 あ、聞き方間違えた、と思った時には遅かった。いくら何でも今の聞き方じゃ何様だと怒られても仕方ない。ただでさえ最近うまく接する事が出来ないでいたのに!
 あたしはサーッと血の気が引いていくのを感じながら、おそるおそるショータを見上げた。

 ショータは、怒ってなんか、いなかった。

「お前なぁ…今更そういう事聞く? 好きだって言ったらどーすんの?」

 ふわっとショータの手が伸びて、あたしの頭をくしゃりと撫でた。なんだかハルみたいにあったかい手だ。

「おい、どーすんだよ?」
「き、きききききすしてやってもいいかなって!」

 あれ、あたし何言った?

「……あのな」

 呆れた、よね。きっとさすがのショータも、こんなあたしじゃ愛想を尽かしちゃった、よね。あたしはぎゅっと目を閉じた。

「無理すんなよな、可愛いけど」
「…へ?」
「俺、別に当分は今のまんまで構わないって思ってんだよ。お前が人に甘えんの下手なのわかってるし、前も言ったけど今すぐ付き合ってくれって思ってる訳でもないし」

 思わず顔を上げて見つめた先には、照れたように視線を逸らしたショータがいた。
 いつもどおりのショータだ。普段は意地悪で、面倒くさがりで、だけどあたしよりあたしをわかってくれている。――だからこそ、今までどれだけショータに甘えてきた事だろう。ふいにそれを思い知らされた気がして、あたしは謝りたいような気にさえなっていた。
 もしかしたら、ショータはそれすらも見透かしたのかもしれない。口を開こうとしたあたしを制して、ショータはニヤリと笑って言った。

「ただ…お前がそう言うんなら、キスがどうとか言う前にこれだけはちゃんと答えろよな」

 きょとんとするあたしに、ショータは意地悪に尋ねてみせた。

「お前、俺の事好きってマジ?」
「な…っ、や、ちが、いや違くはないけどっ、」
「はー。そんなんでよくキスとか言うよなぁ。で、どーなのよ。俺結構マジメに待ったと思うけど?」
「う、うん、…………すき」

 雑踏に消え入りそうな声で答えると、っしゃ、と言ってショータはあたしの手を無造作に掴んだ。その手は、ちいさかった頃とは違う、大きくて逞しい男の人の手だった。

- - -

「ハル、ねえハル!」

 帰宅するなり呼びかけると、ハルはちりんと鈴の音をさせてあたしの足元にしっぽをすりよせてきた。

「はいはい、ここにいるよ」
「あのね、その…、あたしちょっとだけだけど頑張ってみたよ。うん、ハルのおかげだよ!」
「何がぁー?」
「わかってるくせに」
「わっかんねぇなぁ。わかりたくもないけど。どうせ上手く行ったんだろ」

 絨毯に膝について「おいで」と手を差し出すと、やがて、指先にあたたかな感触が訪れた。

「ありがとね、ハル」

 ゴロゴロ、と喉が鳴る音まで聞こえたような気がして、あたしはくすっと笑ってしまった。

「んじゃ、役目も終わったし帰るとするか」
「え!?」
「最初から決まってたんだよ。そろそろ向こうに戻らなきゃなんない」
「…やだよハル…!」
「やだよじゃねぇよガキ。お前がそんなだから心配で来てやったんだろ。…あとはアイツに任せた」

 じゃあな、と低く呟くと、元々見えなかったハルの姿がすうっと消えたように感じられた。ろうそくの炎がふっと消えてしまったような、ランプの灯りがぱっと消えてしまったような、そんな呆気ないお別れだった。

 あたしはまだ夢見心地のような気分のまま、何とはなしにカーテンを開けた。冷たく曇った窓を指先で拭いて夜空を見上げる。窓の外には、零れんばかりの星たちが煌めいていた。

「ハル、ありがとね…」

 どこか遠くで、ちりりん、と軽やかな鈴の音が鳴り響いたような気がした。

-END-

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