体育祭も文化祭も終わって日常を取り戻した放課後の教室は、蛍光灯をつけずにいると仄暗く、水を打ったように静まり返っている。
 日直の仕事を済ませたあたしは、日誌を手に廊下へと出た。角を曲がると、きゅ、とシューズが薄っぺらな音を立てる。ふと窓の外を見上げると、紫を帯びた夕暮れの空に、ぽつりと一番星が灯っているのが見えた。


「ねー、相澤くんって今カノジョいないんでしょ? だったらあたしと付き合おうよ、ねっ」
「そうだよそうしなよ! でさ、あたしのカレシと4人でどっか遊び行こ!」

 秋めく空にぼんやりしていたあたしの耳をつんざくように、甲高い声が飛び込んできた。女の先輩が二人、それから、頭抜けて背が高い後ろ姿。

「先輩のお言葉はありがたいんだけど、でも、だめー」

 先輩相手にも関わらず軽いノリで話しているのは、同じクラスの相澤だ。
 あたしは思わず、慌てて柱の影に身を寄せた。

「ちょっと、『だめー』じゃないでしょ『だめー』じゃ! なんで!?」

 回れ右して違う道から行こう、と思うのに、何故か体は動いてくれない。あたし自身は何も悪い事はしていないはずなのに、心臓がバクバクと激しく音を立てる。

「俺ね、心に決めた人がいんの」

 にじり寄る先輩方に、相澤は、冗談とも本気ともつかない淡々とした口調で言ってのけた。

「ハァ?」
「だから先輩、ごめんね」
「何それ意味わかんないし!」

 ばいばい、と、爽やかに言って先輩方に手を振ると、相澤はくるりと踵を返して歩き出した。こっちに向かってくる!
 そんな焦る気持ちとは裏腹に、あたしは、ただただ身を強張らせてその場に立ち尽くした。
 放課後の廊下に、相澤の足音だけがぱたぱた響いている。

「委員長」
「!」

 ダメだ見つかった。あたしは咄嗟に学級日誌で顔を翳したものの、その手はあっさり捕まれて。

「なんで隠れんだよ」
「や、だって相澤、先輩に告白とかされてたし、だからなんか気まずいかな、って…」

 しどろもどろで答えるあたしを覗き込むように、相澤が高い背を屈める。…ちょっと、顔、近いんですけど!

「気まずくないだろ別に。てか告白じゃないし、あんなの」

 寝癖のついた色素の薄い髪を掻きながら、相澤が事も無げに言う。

 そりゃそうだ。相澤はモテる。元々顔が良い上に、サボりの常連のクセに成績は上の中。クラスでの評判も高ければ教師受けもまずまず、という、ごく普通の学生生活を送るあたしにとっては意味不明の要注意人物なのだ。

「あんたは慣れてるだろうけど、あたしはああいう空気苦手なの!」
「あっそ。でも委員長、俺ってツイてないんだよマジで。好きでもない相手からは付き合ってーとか言われるのに、自分の好きな子には鬼のように嫌われてんだからさ」

 あたしは相澤の言葉を反芻するようにちいさく呟いた。

「…好きな、子…」

 暮れてゆく秋の空。廊下に射す光は柔らかで、だけどほんのり寂しげだ。相澤に遮られた視界に、さっき見つけた一番星は映っているだろうか。
 はたと顔を上げると、思いがけず、相澤の強い視線に絡め取られてしまった。

「三浦あかり」

 相澤が、あたしを、呼んだ。

「あいざわ…?」
「まさか三浦、今更『好きな子って誰なの?』とか聞かないよな?」

 湯気が立ち上るくらい、かあっと音がしそうなくらい、急激にあたしは耳まで真っ赤に染まった。

 新学期、あたしが委員長をやむ無く続投する事になった時、当たり前のように副委員長に立候補した相澤。教室にいてもいなくても、会えば何かにつけてちょっかいを出してくる相澤。珍しく授業に出たかと思えば、有無を言わさずあたしの隣に座って教科書を覗く相澤。

 そのたびあたしは、勘違いしないように、からかわれてるだけなんだと言い聞かせるように、心をずっと鎧ってきたけれど―――

「…離して」
「だーめ」

 間延びした声で言って、相澤があたしの腕を引いた。自然、そのまま手を繋ぐ格好になる。

「あ、あたし、職員室に日誌持ってく途中なんだから。相澤あんた職員室までついてくる気!?」
「おう」

 相澤の手を振りほどこうとブンブン動かしてみるものの効果は無し。あたしは泣きたいような気分で相澤を見つめた。ふわり、頑なな紐をほどくように相澤は笑う。

「なに」
「…何も!」

 じゃあじっとして、と不意に低い声で囁かれて、あたしはびくんと固まってしまう。

「ね、三浦。ちゅーしていい?」
「…っ、ば、バカじゃないの!?」

 あたしは思いっきり相澤の向こう脛を蹴飛ばすと、腕を振りほどいて勢いよく廊下を駆け出した。

「いってえなぁ。…おーい三浦、そんなんで俺から逃げられると思うなよー! いろんな意味でー!」

 いろんな意味でって何よ、と叫び返しそうになりつつ、あたしは職員室まで息を切らして走り続けたのだった。


(秘密のが舞い降りた)


「せ、先生、日誌、です」
「おー、ご苦労さん。しかし委員長副委員長コンビ、お前らホント仲いいなぁ。相澤が三浦を呼ぶ声、職員室まで聞こえてたぞ」
「ち、ちが…っ!」
「にしても、だ。お前らどう考えても両想いなのに、三浦は何をそんなに恥ずかしがってんだ? 相澤だってそんなに悪いやつじゃないだろうに」
「ちょ、先生まで何言って、」
「ですよね、先生」
「あ、相澤っ!?」

-END-

蜜月様へに提出
 ┗○○の秋
▼title/確かに恋だった
▼あとがき
 今回は「秋は夕暮れ」という清少納言のお言葉からお題を拝借してみました。
 柔らかいけれど寂しいような夕暮れの光、空に浮かぶ一番星、どっちつかずに揺れる気持ち。そんな儚げなものを詰め込めたらと思って書きましたが…むむ、いかがでしょうか。



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