わたしはどうやら、深見さんの言ってくれる「大丈夫」が好きらしい。わたしの心に沈んだ澱を浚うように、深見さんはいつだって「大丈夫だよ」と笑う。




 のっぺりした紺色の夜の底、深見さんと並んで歩く。遠すぎてちっぽけにしかわたしの目には映らない星たち。しゃああ、と、無灯火の自転車がわたしと深見さんの横を通り抜けた。

「なかなか浮かばないもんですよ。常に新鮮なもの、斬新なものをって求められたって。変わらないからいいものだって世の中たくさんあるじゃないですか」

 さっき職場で、来週までに新しい企画のアイデアまとめといてね、と当たり前のように先輩から要求を突き付けられたのが不満で、わたしは隣を歩く深見さんにブツブツと愚痴を吐き出した。

「うん。確かに俺も、昔から変わらないものの方が好きかもしれないな」
「でしょう? 何でもかんでも新しくすりゃいいってもんじゃないんですよ。…あああ来週までに新企画とか無理な気がする……」
「大丈夫、何とかなるって」

 項垂れるわたしに、いつもの声で、いつもの波長で、いつもの台詞を呟く深見さん。他の誰かに言われたら苛立ってしまいそうな言葉なのに、何故だろう、深見さんが言うと心がゆったりと凪いでいく。

 待ち合わせした公園から歩き続けて、気付けばわたしたちは駅前までやってきたらしい。広場の噴水はライトアップされて薄っぺらに光を反射させ、改札口では帰りを急ぐ人々がさざめいている。

「塚越さん、お腹空かない?」
「わたし檸檬なら持ってますよ」
「え、何で」

 わたしが鞄から檸檬を出して渡すと、深見さんは困惑気味に受け取った。これをどうしたらいいのだ、と言わんばかりに手のひらで弄ぶ。

「君って天然? それとも不思議ちゃんってやつなのかなあ?」
「いや、別に不思議ちゃんだと思われたいとかじゃないんですけど」

 じゃあ、わたしは深見さんにどう思われたいのだろうか。
 仕事の繋がりで知り合った、単なる知人とも友達とも恋人とも違う、時々こうして会って食事をしたりお茶したり、そんな不安定な存在の男のひと。
 わたしとしては「好きかも」から「うん、やっぱり好きだ」と会うたび確信めいていくのだけれど、相手の気持ちはまったく見えない。元より掴みどころのないひとなのだ。

「ご飯、食べに行きますか」

 これが恋愛小説だったら、順序立てとしては完璧なはずだ。金曜の夜、待ち合わせして一緒に歩く。夜ごはんを食べて、お酒も少しは飲むだろう。それからまた歩いて、…それからそれから。
 幼い頃の純粋な恋とは違うけれど、ありきたりの大人同士の恋愛の手順としては完全なプロットじゃないだろうか。

「そうしようか。塚越さん何がいい?」
「わたしお昼はラーメンだったから、出来ればそれ以外で」
「じゃあ」

 口端を歪めてニヤリと深見さんが笑う。な、何か試されてるのかわたしは。

「俺の手料理とかどう?」

 ぱあぁん、と電車が発車する警笛が駅構内から響いて、わたしの耳の奥で谺した。一瞬、深見さんの言葉の意味が理解できなくて、わたしはつい立ち止まって深見さんを見つめた。深見さんは、ゆっくりとした仕草で檸檬をわたしの手のひらに滑り込ませながら言う。

「最近好きなんだよ料理。何とかかんとかって名前のパスタとかタジン鍋とか。安くで専用の鍋売っててさ、アレだと豚肉とかもやしだけで結構腹一杯になるし簡単だしさ」

 …なんだ、この展開は。

「ああ、いきなりウチに来いって言われても警戒しちゃうか。ごめんごめん」

 ポカンとするわたしに、深見さんは「大丈夫」と言う時の低くよどみない声で笑った。胸をざわつかせる、深見さんの声。

「行きます、行きますよ!」
「好きな子口説く時は小洒落たダイニングバーとかに連れていく男のが君好みだったり?」
「い、いえ、深見さんとなら何処でも大丈夫です!」
「…良かった」

 よし、と、少年のように邪気のない笑顔を向ける深見さんに、わたしは微笑んで返した。

 ああ、余計な事は考えなくて良かったんだ。純粋な恋だとかありきたりの大人同士の恋愛の手順だとか、そんなのは完璧でも完全でも何でもなくて。

「でも深見さんが料理って」
「可笑しい?」
「なんか意外です。部屋じゅうラーメンのカップとかビールの空き缶とか転がってるイメージでした」
「…ひどいな」

 俺んちこっち、と不意に深見さんの大きな手で手のひらを包み込まれて、わたしはそれこそ恋する乙女のように胸をときめかせた。

-END-

1、2、3。様に提出
 ┗新鮮なアイデア/完全なプロット/意外な結末



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