旅館の部屋に着いて荷物を下ろすや否や、奈々は「お茶淹れますね!」とやけに明るい口調で言って、そそくさと急須を手に取った。

 何となく手持ち無沙汰になってしまった崇は、窓を開け、夜の帳が降りてゆく景色を眺めた。時折湿った夜風が吹き抜け、一雨きそうな気配が漂っている。
 梅雨明け宣言したはずが、また続いて雨になったり曇ったりするのを戻り梅雨と呼ぶのだと、部屋まで案内してくれた仲居が軽やかに話していたのをぼんやりと思い返した。


「そうだ奈々くん。夕食までは少し時間があるから、俺はそれまでに温泉に入って来る。君はどうする?」
「わ、私は…、そうですね、せっかくだから私もそうします」

 相槌を打つ奈々の、茶葉を入れた急須へポットから湯を注ぐ手つきが何とも覚束ない。具合でも悪いのか…いや、もしかして緊張しているのだろうか。それとも嫌がっているのだろうか。崇はそっと声をかけた。

「…奈々くん」
「ひあ、ぅえ、はい!?」

 案の定、明らかに動揺した様子で奈々は崇を見上げた。しかしぱちんと目が合った瞬間、奈々は頬を紅潮させて俯いてしまう。

「あの、えっと」
「やはり部屋は別々が良かったかな」
「――え?」

 崇の言葉を、きょとんとした顔で奈々が聞き返した。

「君がそんなに畏縮してしまうとは思わなかったんだ。すまなかった。今からもう一室取れないか、フロントに聞いてみよう」

 奈々が淹れてくれた緑茶を一口啜ると、崇は備え付けの電話に手を伸ばした。……が。

「だ、だめです」

 その腕は、奈々によって取り押さえられてしまった。

「え?」
「ごめんなさい、その、なんだか変にドキドキしてしまって。…私は…タタルさんと同じ部屋のままがいいです…」

 ほんのり涙目になって言った奈々を見下ろして、崇はつい意地悪く畳み掛けてしまう。

「本当に?」
「は、はい」
「本当の本当に?」
「…ううう、タタルさんの意地悪! もう嫌いになっちゃいますからね!」
「――本当に?」
「……嘘です」
「それじゃあ遠慮は要らないな」
「なっ…何がですか!?」
「愚問」

 電光石火で奈々の腕を引き寄せて自分の胡座の中にすっぽり閉じ込めると、崇は壊れ物に触れるようにそっと、奈々の唇を指先でなぞった。

「…熱いね」
「そう、ですか?」
「ああ」
「タタルさんの指も、とっても温かいです」

 そう言って、奈々は両手で崇の掌を包み込む。夏の夜の静寂に、互いの心音が晒されてしまいそうだ。奈々がそっと瞼を下ろす。重ねた奈々の唇は、指で触れた時以上に熱かった。
 ゆっくり唇が離れると、奈々は放心したように大きく息を吐き出した。崇は再び奈々を抱き寄せ耳元でそっと囁いた。

「温泉に入っている場合じゃなくなった気がするんだが」
「だだだだめですっ、もうすぐ夕飯来ちゃいますからっ」
「…ちっ」
「ええっ、タタルさん今舌打ちしました!?」

 慌てる奈々に崇がわざとふいっと背を向けると、奈々がシャツの背中を小さく摘んで言った。

「タタルさん、温泉はいいんですか」
「……」
「えっと、その、あと一時間くらいあるので、」
「つまり夕食が来るまでに事が済めばいい、と。今の君の言葉はそう解釈させてもらう」

 くるりと向き直って言ったタタルの不敵な笑みを見て、奈々は耳まで(いや、手足爪先まで)真っ赤に染めて「ええええっ」と叫んだのだった。

-END-

▼あとがき(2011.07.08)
 …おまけですから! ね!! こんなんタタルじゃねえよとか言わずに読んで頂ければ(´∀`;)
 あーあ、奈々ちゃん体もつかなぁ…。タタルさんってそゆの疲れ知らずのイメージです(笑)。今まで何処でも使ってこなかった、そういう意味での体力を三十路前後でようやく消耗するタタルさん。もうタタルさんの初めては疑惑のお別れ会時でいいよ…。←何故か投げやり
 ちなみにBGMは平井堅の「きみのすきなとこ」。私の中でタタル→奈々テーマソングです♪





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