旅先であろうと何処であろうと、歴史を語る崇は、機械仕掛けなのではないかと思うほどに饒舌だ。今夜の宿である温泉旅館に向かう列車の中、崇が広げたノートを時折覗き込みながら、奈々はその声にじっと耳を傾けた。

「明日行く予定の姫社(ひめこそ)神社は通称七夕神社と呼ばれていてね、御祭神は織姫神と姫社神の二柱なんだ。社の近くを流れる宝満川を天の川に見立て、対岸にある老松神社に合祀されている牽牛と、姫社神社の織姫が七夕の夜だけ会える――とした事から七夕神社と呼ばれるようになったらしい」
「でも…織姫神や姫社神というのは初めて聞く名前です」
「ああ、元は機織りを生業とする集団によって祀られていたらしい。機織りにまつわる細かい部分は奈々くんも十分詳しいだろうから割愛するが、この神社の場合は、時代を経て織姫神を万幡秋津姫、姫社神を饒速日尊と見なすようになったと言われている。…万幡秋津姫はともかく、何故ここで姫社神を饒速日尊と結び付けるのかがよくわからない。もしかしたら現地を訪れれば何か発見があるかも知れないな。旧暦で言えばズレが生じるが、明日は七夕だし、参拝にはうってつけだろう」

 崇は車窓に目を向けたまま言った。隣に座った奈々は、話に頷きながらもほんの少しだけ拗ねたような気持ちになっていた。

 ――七夕と言えば奈々の誕生日。誕生日だからと言ってはしゃぐような年齢でもないが、さっきから一切話題に上がらないというのもちょっぴり癪に触る。かと言って、自分から「明日は私の誕生日なんですが」なんて口火を切るのもはしたない気もするし…。


「まあ、七夕の日に七夕神社をご参拝なさるの?」

 通路を挟んだ隣のボックス席に座った老婦人が、並んで座る崇と奈々を見ながら柔らかに微笑んだ。

「こんなにお若いのに、ご夫婦で神社巡りなんて素敵ね」

 どうやらまた夫婦に間違われてしまったらしい。確かに、二人きりで延々と神社や伝承についてマニアックな会話をしていれば、それも仕方のない事かもしれない…と、近頃の奈々は半ば投げやりに考えるようになってしまっている。

「いえ、あの、私たちは」

 にこやかな笑みを崩さない老婦人にどう答えたものかと迷いながらも、奈々が口を開きかけた時――、

「俺たちは夫婦じゃありません。今のところは、まだ」

 崇が低い声で言った。

「…!?」
「そう、てっきりご夫婦かと思って。ごめんなさいね。だけどお嬢さんは可愛らしい良い花嫁さんになりそうだわ」
「それはどうも」

 褒められた(?)のは奈々のはずなのに、何故か崇が無愛想に答えて老婦人に頭を下げた。言葉に詰まった奈々は横目でちらりと崇を盗み見たが、長い睫毛を伏せた崇の表情を窺い知る事はまるで叶わなかった。

 やがて先の老婦人も下車し、奈々たちのいる車両の人影はだんだんと疎らになってきた。車窓の向こう側に広がる田園風景も、夕暮れの光を受けて何処か寂しげだ。

 奈々は温くなってしまった缶ビールを飲むと、そっと崇を盗み見た。崇は無表情のまま窓枠に頬杖をついて外を眺めている。眠っているのではなさそうだ。

「タタルさん、今夜のお夕食楽しみですね」
「ああ」
「タタルさん、あの、明日は7月7日の七夕ですね」
「ああ」
「…タタルさん、さっきの話ですけど」
「ああ、うん?」

 崇が、ようやくこちらへ視線を寄越した。奈々は残っていたビールを綺麗に飲み干すと、しっかりと崇を見つめた。

「どの話だ?」
「さっきお婆さんと少しだけ話した…、『まだ』の話です」

 列車の揺れに合わせて、奈々の心臓もかたんかたんと震えている。奈々たち以外ほとんど無人とも言える車両はしんと静まり返っていて、奈々はその静寂の中、崇が口を開くのをただひたすら待つしかなかった。

「奈々くん」
「…はい」

 そっと、奈々の左手の甲に崇の指先が触れた。やがてその指が奈々の手を包み込んでゆく。ぎゅっと握られた手が熱くて、奈々はかあっと体じゅうが火照るのを止められなかった。

「あと少しだけ待って欲しい、と言ったら?」
「…それは…」

 崇の左腕が静かに伸びて、戸惑う奈々の頬を撫でた。長い前髪の奥で、不安と真摯さが綯い混ぜになったような色の瞳が揺れているのを見て、奈々はふっと息を零した。

「…あんまりいつまでも『まだ』なんて言われると、私、もう待ってあげられなくなっちゃうかもしれません」

 奈々の言葉に、崇は眉根を寄せて奈々をじっと見つめた。

「それは非常に困るな」
「え?」

 きょとんとする奈々の手からするりと手を離すと、崇は向かい側の座席に置いた鞄をガサゴソ探って茶封筒を取り出した。

「本当は、明日の奈々くんの誕生日に渡そうと思っていた」
「え…何ですか…?」

 開けるよう視線で促され、奈々は封筒の中身を膝の上で広げてみた。地味な色合いの、薄っぺらいそれは。

「婚姻届だ」
「こっ、ここっ、こんいんとどけ!?」

 呼吸を忘れたように口をあんぐりさせる奈々の手から、その用紙をパラリと抜き取って崇が言う。

「こんな紙切れ一枚でどうなるものでもないだろうと思わない事もないんだが。……奈々くん?」

 見ると、奈々の瞳からはぱたぱたと透明な雫が溢れだしていた。涙は、止めどなく頬を滑り落ちていく。ふう、と息を吐き出すと、崇は自分のシャツの袖で奈々の涙をぬぐって言った。

「泣くほど嫌がられるとは心外だ」
「ち、違います! だってタタルさんが急に…!」
「いつまでも俺が『まだ』などと言っていたら、君は待ち切れなくなって逃げていってしまうんだろう?」
「だからって、タタルさん、結婚なんて煩わしいっておっしゃってたのに」
「自分以外の人間と一緒に生活していくんだ。煩わしさも多少は付きまとうだろう」
「でもタタルさん、それならどうして」
「…君だからだよ」

 淀みのない声で言うと、崇は奈々の頭を抱きかかえるように自分の肩に引き寄せた。

「奈々くん。俺と、結婚して欲しい」
「あの、は、はい…」

 それ以上は言葉にならず、奈々は黙ったままこくこくと頷いた。崇の手がそんな奈々の髪を優しく撫でる。その手は、奈々の体温が伝わったかのように温かかった。





「ちなみに言い忘れていたが、今夜の旅館の部屋はひとつしか取らなかった」
「へっ」
「じきに正式に夫婦になるんだから別に構わないだろう?」


-END-

▼あとがき(2011.07.07)
 奈々ちゃん、お誕生日おめでとうございます!!(話の流れ上、アップは前日の6日にさせて頂きました)
 これまで幾度となくタタルさんのプロポーズ妄想はしてきましたが! タタルさんがわざわざ奈々ちゃんの誕生日狙ってこんな事する訳ないよなーと書きながら悲しくなった私です(・ω・`)あとタタルさんは季節問わず長袖を着ているイメージです。←涙ぬぐうトコ
 ちょっとタタ奈々ラブ度数が低めですが、続きは旅館で頑張ってもらうという事で…(エロ男爵どや顔で降臨)
 ちなみに前半の神社考察は私がちょろっと調べただけの物なのでスルーして頂けると助かります(笑)。実際に七夕(姫社)神社という神社は福岡県小郡市にあるそうなのですが、行った事がないので何とも…ぬぬぬ。





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