季の音



 
※初期四季旬





 第一印象は気に入らない、それだけだった。

 季節は4月。
 新入生も入学し、特に問題なく2学年へと進んだ3人だったが、軽音部の部員が増える気配はまだない。新入生歓迎会と称してライブを行ったおかげで、見学者は何人も来たが、その後も部室に足を運んでくれる生徒はいなかった。
 3人は特に決められたわけでもなく、今日も今日とて人数が集まらない軽音部の部室に集まり、各々が好きなことをしていた。隼人は作詞の勉強を、旬は授業の予習、夏来はそんな旬の様子を眺めている。既に恒例の行事になっていたので3人の間に会話はなかった。
 部室は空き教室を使わせてもらっているので、基本的にスタジオを借りないと練習はできない。ここ1年で出来た部活への対応としては妥当なものだろう。そうしたことも、新入部員が足を遠ざける一因になっているのかもしれないが。
「なぁ、ジュン、ここの歌詞なんだけど……」
 隼人が旬へ意見を求めようとした時だった。部室のドアがうるさく開かれたと思うと、ちゃらちゃらとした雰囲気を纏った男子生徒が軽音部の部室へと乱入してきた。続けて、同じような男子生徒達がわらわらと入ってきた。
 頭髪は黒に茶、金髪とカラフルで、いかにもといった感じの集団だ。先頭で入ってきた少年は黒髪だったが、左耳にはピアスがいくつも光っていたし、まだ入学したばかりだというのに指定のベストを改造してワッペンをいくつも付けている。後ろに控える連中も似たりよったりだ。
 正直、軽音部という部活がどういう部活かは旬も理解はしている。こうした人物が集まりやすいというのも何となく分かってはいたが、実際に目にするのとでは違う。
 現れたちゃらちゃらとした人物に、旬は明らさまに眉をしかめた。
 隼人はそんな旬に気付いているのか、いないのか、いや、気付いていないのだろう。現れた闖入者達を「入部希望者か……」と期待に満ちた目をキラキラさせている。
 先頭に入ってきた眼鏡の乱入者がきょろきょろと部室を見回し、隼人を視界に入れた途端、身に着けているごちゃごちゃとしたものをかき鳴らして隼人の元へとすっ飛んでいった。
「隼人っちだー!! 俺、俺、新入生歓迎会ライブで隼人っちの演奏を聞いて、スッゲー感動したっす! それで、一緒にステージに立ってみたくて……」
 矢継ぎ早に一方的にまくし立てる乱入者は、息もつかせぬ勢いで喋り倒したかと思うと、懐から紙を取り出した。それに続くように、今まで黙っていた後ろの輩も紙を隼人に渡す。
「仮入部届っす! 本当はもう入部したいくらいなんすけど、まだ仮入部期間だし、仮入部が終わったら絶対入部して隼人っちと同じステージに立ってメガサイコーに盛り上げていきたいっす!」
 ね、と後ろに控えていた人物達にも声を掛ける。彼らは適当に相槌を打ち、にやにやと下品な笑みを浮かべている。
「そうそう、これ、お願いします〜」
「仮入部届も提出したし、カラオケ行こうぜ」
 もう用は済んだとばかりに、すぐに部室を後にした男達は、帰る時もじゃらじゃらとうるさく、まるで不協和音のようだ。今までの静かな調和を乱していく、嫌な感じだ。
「あっ! えっと、今日はすぐ帰るけど、明日はちゃんと来るんで!」
 それじゃあ、と言って、彼も連中を追いかけるようにして慌ただしく出て行ってしまった。
「何か、嵐みたいだったな……」
 呆然と呟く隼人をよそに、旬は内心溜息を吐く。あんな連中とどうやっていけというのか。無理に決まっている。彼らと良い音楽が作れるなんてとても思えないし、彼らがいるだけで空気が濁っていくようだ。
(明日も来るって言ってましたっけ……)
 正直、疲れるなと思った。旬の周りにはいないタイプだし、出来れば未来永劫付き合いたくはないタイプだった。
 はぁ、と大きくため息を吐くと、傍にいた夏来が「ジュン……?」と心配そうに顔をうかがってきたが、正直相手をする気も起きなかった。


 次の日、その男は約束通り部室にやってきた。ばたばたとうるさい音を立てるのは昨日と変わらなかった。変わったことといえば、彼の後ろに控えた人数が減ったことくらいだろうか。
「昨日の後ろにいた方達はどうしんたんですか?」
 男は少し驚いた顔をした後、気まずそうに視線を泳がせた。
「え、えーと、あの、それは……そう、用事! 用事が出来て今日は来れないって!」
 分かりやすい。どうせ嘘を吐くならもっとましな嘘をつけばいいのに。
(まぁ、あちらから離れてくれるなら好都合ですけど)
 彼らもまた、今まで来た人達と同じなのだろう。派手なステージだけに目がいって、そこに行きつくまでの地道な努力などは考えもしない。少しくたびれた部室を見て、がっかりした表情を浮かべた仮入部希望の新入生を何人見て来たかしれない。
「えぇっと、伊瀬谷……」
「伊瀬谷四季! ボーカル希望っす! よろしくお願いします!」
 四季と名乗った1年は、見た目に似合わず、しっかりとお辞儀をして夏来と旬の方に目を向けた。にっこり笑って差し出された右手には、ピンクの熊の柄のリストバンドが付けられていた。
「………」
 旬は手を無視して、広げていた楽譜に視線を下した。夏来は、おろおろと「よろしく……」とか細く挨拶をしていたが、旬は言葉を交わすのも嫌だった。
「え、えっと、ジュンも新入生が来たから緊張してるんだよな! とりあえずお茶でも出すから好きに座ってよ」
「はいっす!」
 元気に返事をした四季と呼ばれた少年は、他にも席が空いているにも関わらず、旬の隣へと腰を下ろした。左隣からじりじりと熱い視線を感じるのは、きっと気のせいではないだろう。
「……何ですか?」
「それって楽譜っすよね! ジュンっちは作曲が出来るんすか?」
 ジュンっち。
 年下なのに、まるで同年代の友人であるかのように呼ばれるのがまた癇に障る。いっそ、無視してやろうかと旬が悩んでいると、
「ジュンが作る曲はすごいんだ! 繊細で、でも大胆で、あのステージで最後に演奏した曲はジュンが作成した曲なんだ」
 歯切れ悪く答える旬をサポートするかのように、隼人がお茶を持ってきて間に入る。隼人の目は四季と同じくキラキラ輝き出して、隼人のスイッチが入ってしまったと旬はため息を吐く。
「……ナツキ」
 右側で今まで静かにしていた夏来に視線を送るが、
「ジュンが作る曲は…綺麗……」
 とだけ言うばかりで、二人と共に熱く語り始めてしまう。
「ナツキっちはベースをやってたんすよね? いつから始めたんすか?」
「始めたのは……高校に入ってから……」
「えっ、そうなんすか? 俺、もっと前からやってるかと思ったっす」
「ナツキのベースの成長速度は本当にすごいんだ。1年前に始めたとは思えなくてさ。ジュンもそう思うよな?」
「え、あ、はい。ナツキは本当に頑張ってると思いますよ。隼人だって、ギターを始めたのが1年前とはとても思えないです」
 そう答えると、隼人は照れくさそうに笑っている。
 こうやって話していると、まるで四季は昔からここにいたかのようにこの空間に調和していて、話に入れていない自分が逆によそ者のような気さえしてくる。
(何だろう、この感じ……)
 四季はきっとこのまま入部するだろう、そう確信があった。彼は確かに他の入部希望者とは違った。この部室を見たにも関わらず、次の日もやって来て、隼人と夏来とも仲良くやっている。音楽を奏でる上で大事なのは技量もそうだが、それ以上に演奏者と心を通じ合わせることにある。
 きっと、彼は大丈夫。彼の言葉の端々から、そう思わせる何かがあった。だからこそ、旬はそれが気に食わなくて仕方なかった。
 ぎり、と楽譜を抑える手に知らずと力が入ったが、そこにいた誰もがそれに気づくことはなかった。

 旬の予想通り、四季は仮入部という形ではあったが、毎日部室に足を運ぶようになった。話をしていくうちに、見た目ほど頭が軽いわけでもないし、音楽に対する姿勢が悪いわけではないということが分かったが、それでも旬の周りには今までいたことのないタイプだから疲れてしまう。
 旬は部室に行く足が遠のくのを感じていた。迎えに来た夏来には先に部室へ行ってくれとだけ言って、音楽室へと足を向ける。
 今日は確か合唱部の練習もないから空いているはずだ。
 旬は階段を今まで通い慣れていた1年の教室を横目に、音楽室へと足を進める。予想通り、部屋には誰もいなかった。旬は真っ直ぐ部屋の前に置かれているグランドピアノへと向かっていく。
 鍵盤を開き、試しに1音出してみる。
 悪くはない音だ。学校の備品だからそこまで贅沢は言えない。
 指を鳴らす意味も込めて、簡単な練習曲を弾く。
(これ位なら、まだ弾ける)
 簡単な音階、オクターブを駆け巡る旋律はこの作家の中でもまだ簡単な部類だ。黒鍵を多く用いられ、変調が特徴的なこの作家を弾くためには、ツェルニーの練習はまるで役立たない。
 すぅっと息を吐き、続けて少し難度の上がった曲に移行する。
 序盤の穏やかなメロディーに反し、譜面は転調の嵐で、オクターブに渡る鍵盤裁きはピアノをそれなりに習っている人間でも苦労する。しかし、根気を込めて練習をすればこの部分を弾くのは難しくはない。中盤以降の穏やかな曲とは一転して、激しい曲に成り代わる。
 低音の和音から始まるそれは、まるで嵐が来たかのようなイメージを与える。
(うっ……、やっぱり動かないか)
 続けて16音符の流れるような転調が来るのだが、そこで右手が上手く回らず、旬はピアノを弾く手を止める。
 パチパチ、と小さな拍手が旬を迎える。
 はっとして顔を上げると、そこには最近嫌と言うほど見る顔があった。
「何してるんですか」
「ジュンっちってピアノが上手って聞いてたっすけど、こんなに上手だったんすね!」
 相手は旬の質問に応えることなく、意気揚々とこちらに歩み寄ってくる。相変わらず、腰につけた物が騒々しい音を立て、静謐な音楽室の中に響き渡る。
 旬の不機嫌なオーラを気にすることなく、相手はキラキラした目で旬に顔を向ける。
「ねね、今の何て曲っすか? もう一回弾いて欲しいっす!」
 旬はその言葉を無視すると、ピアノに鍵布をかけ、少し乱暴に鍵盤に蓋をする。丁度、鍵盤に手を伸ばそうとしていた四季が「うわっ」と驚いて手を引っ込める。それに少し満足すると、旬は四季から距離を取ろうとしたが、四季に手を掴まれ叶わなかった。
「何でそんな邪険にするんすか?」俺、ジュンっちに嫌われることしたっすか?
 眼鏡の奥がきらりと光ったように旬には見えた。その一瞬の表情は可愛らしい後輩なんて生易しいものではない。獲物を捕らえようとする肉食獣のそれと相違ない。旬は気味が悪くなり、手を振りほどこうとしたが、四季の力は中々強く、うまく離れない。抗議するように睨み付けるも、相手はどこ吹く風といった様子で旬を見つめている。
「手、離してください」
「旬っちが俺の質問に答えてくれたらいいっすよ」
 にっこりと人懐こそうにほほ笑む顔に騙されそうだが、彼の手は先程から全く手加減されていない。それが彼の性格を表しているようだった。
「そもそも、どうしてここにいるんですか。部室に行かなくていいんですか?」
「ここって1年の教室のすぐ隣じゃないですか。だから、旬っちが音楽室に入ってくのが見えたんすよ」
 なるほど、確かにこの音楽室は1年のクラスの隣にある。四季が何組かは覚えていないが、気付く可能性は十分にあるだろう。とりあえず目の前の後輩から逃げられればと思っていたので、その辺りの注意を怠っていた。
「別に。僕にとってはこれが普通ですよ」
 ため息をつきたくなるのをこらえ、いい加減離して欲しいと左手を振る。四季はまだ諦めていない様子だったが、「もういい時間ですし、部活に行きましょう」と言うと、観念したようだった。
「ねぇねぇ、ジュンっちは、いつからピアノやってるんすか? やっぱり、小さい頃からやってたりするんす?」
「別に、君には関係ないでしょう」
 旬は少し早足になりながら、四季を振り切るようにして歩いたが、彼の大きな声が後ろからまとわりつくように絡みつく。

 第一印象は人を裏切らない。
 旬は、後ろから響くじゃらじゃらという不協和音に顔をしかめながら、更に足を早めた。それでも、反響するように、耳の中で四季の音が旬の耳から離れることはなかった。


 旬君がピアノを弾いて、四季がそれを聞いているという図がとても好きです。
 本来は、旬君の卒業式の日に、二人でいつも会っていた音楽室に四季が一人で訪れる、みたいなシーンを書きたかったんですが、気付いたらこんな長編になりそうな流れになっていました…
 初期四季旬のかみ合わない感じとか、そこから互いに認め合って高みを目指していくようになるのとかすごく良いなぁと思います。
 ひそかに、いつか本に出来たらなとか考えてたりなかったり。









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