希望を夢見て 2




 それはいつもと同じ昼下がりのことだった。
 苗木と日向は植物園で食事を摂りながら、下らない話に花を咲かせていた。

「俺、今度手術することになったんだ。だから、しばらくは会えそうにない」
 日向の突然の告白に苗木は思わず食事の手を止める。
 手術、という単語に嫌な想像が駆け巡る。
 そういえばと、松田に看てもらっていたことをふと思い出した。
「手術するってことは、すごく重い病気なの…? 」
「いや、そんな大したことじゃない。超高校級の奴らに任せれば問題ないさ」
「うん、そうだね……」
 快活に笑う日向とは正反対に、苗木の顔は晴れなかった。 
 日向と会えなくなることが純粋に寂しかったのもあるが、もう二度と日向に会えないような、そんな嫌な予感がして、軽く受け流すことが出来なかった。
 
「もう少し早くお前に会えてたら、違ってたのかもな」
「日向クン…? 」
 変わらず不安そうな顔をする苗木に、日向は心配するなとでも言うようにぽんと頭を撫でる。
 苗木は釈然としない顔のまま、日向を見つめ返す。
 話はこれで終わりとでも言うように、日向は新しい話題を話し始めたが、苗木は心ここにあらずという感じだった。



「術式、開始」
 麻酔で薄れゆく意識の中、日向は苗木のことを思い出していた。
 苗木は予備学科ではない、ありのままの自分を見てくれた。
 そのことが何よりも嬉しかった。
 この手術が終わったら一番に苗木に会いに行こう。
 手術と聞いて不安そうにしていたから、無事な姿を見せてやらないとな。
 苗木の笑顔を思い出すだけで、心の中があたたかな光で満ちるような気持ちになる。
 
 そうか、俺は――…。



 14体の屍の上に立つ人間を見て少女は楽しそうに笑う。
 死体のどれもが、急所を的確に突かれて殺されており、殺した人間の才能を体現しているようだった。
「うぷぷぷぷ。流石、超高校級の希望って所だね」
 突然現れた少女に青年はつまらなそうに視線を向けるが、すぐに興味を失くし、再び虚空を見つめる。
「あーあ、もっと反応はないわけ? つまんない奴ね。でも、これで素敵なことが始まるわ」
 一人恍惚状態に陥っている少女を青年はつまらなそうに見つめる。
「ツマラナイ……」
 つまらない。何もかもつまらない。


 パァン。
 銃声が体育館中に轟く。
 それが始まり、終わりの始まりだった。




 それは日向といくらか会えない日が続いた日のことだ。
 ここ最近はパレードも形を潜め、穏やかな日々が続いていた。

「予備学科の人達が集団自殺……?」
 
 突然の事態に苗木は驚きを隠せなかった。
 予備学科と言う単語に、今は会えない大切な友人の顔が浮かぶ。
 日向クンは大丈夫だろうか。
 あの時感じた嫌な予感はこれだったのかと、苗木は顔を青褪めさせる。

「日向創…? そんな人は予備学科にはいないようだけれど」
「え!? 」

 日向以外の予備学科の知り合いもいなかったので霧切に情報を求めたのだが、予想もしなかった返答に驚きを隠せない。
 超高校級の探偵である霧切が集めた情報に偽りがあるとは思えなかった。
 それなら自分が会っていた人物は誰だったのだろう。
 日向クンは、彼は、無事なんだろうか。
 嫌な汗が苗木の首を伝う。
 手術を受けると言っていたし、彼はどこかで静養しているのかもしれない。
 だから名簿にも名前が載っていなかったのだろう。
 そう自分に言い聞かせるも、嫌な考えは留まることを知らない。
 何か恐ろしいことが始まっている、そんな予感を覚えずにはいられなかった。 
 
 そして、その日から徐々に全てが壊れ始めていった。



 予備学科の集団自殺の件以来、本科にもピリピリとした雰囲気が充満していた。
「うわっ……!? 」
 日向のことを考えながら廊下を歩いていると、いきなり向こうから歩いて来た男性が突然ナイフを振りかざし、襲い掛かってきた。
 かろうじて避けるも、相手は正気を失った目で睨みつけ、再び苗木に切りかかる。
 続く第二撃を避け、相手が反動で体制を崩した瞬間を見計らって、慌てて逃げ出すが、相手もすぐに体制を建て直し、ナイフ片手に追いかけてきた。 
 死に物狂いで逃げる苗木だったが、急な負荷に耐え切れず、足を絡ませて転んでしまった。
 もう駄目かと、目を瞑って衝撃を待つも、一向にその気配はない。
 恐る恐る目を開けると、そこには先程まで苗木を追いかけていた男が倒れていた。

「無事だったみたいね」
 見上げた先に霧切が立っていた。
 手にはスタンガンが握られており、おそらくそれで倒したのだろう。
 物騒なクラスメイトに顔を引きつらせるも、見慣れた顔に今までの緊張が解けたのも事実だった。

「どうもこの間の予備学科で起こった事件の影響がこちらにも出ているようなの。」
「どういうこと…?」

 霧切の話によると、この間の予備学科の集団自殺によって希望ヶ峰学園全体に絶望が蔓延しているのだという。
 その中心には超高校級の絶望と呼ばれる人物がおり、その人物がこの騒動を煽動しているらしい。
 絶望に魅入られた人々は正気を失い、自分の持てる物全てを絶望のために捧げ、破壊衝動に駆られる。 
 霧切の話に苗木は顔を青褪めさせるばかりだった。
 自分達の中にそんな存在がいたことがショックだったのもあるが、それ以上に超高校級の才能を持つ彼らさえをも魅了してしまう絶望という存在が純粋に恐ろしかった。
 そうだ、狛枝は無事だろうか。
 狛枝が絶望の手に堕ちたとは考え難いが、日向の件もあって楽観視することは出来なかった。

「状況を確認した所、大半の本科生が絶望に魅入られてしまったようよ。みんな寮の自室で避難しているわ。苗木君のことも今呼びにかけ行こうと……って苗木君!? 」
 そう考えると、いてもたってもいられず霧切の説明も聞き終わる前に、苗木は駆け出していった。
 
 

 絶望に魅入られた生徒が荒らしていったせいで、教室の中は見るも無残な状態になっていた。
 狛枝は舌打ちをしながら、机を蹴飛ばす。
 予備学科なんて何の役にも立たない連中のせいで、希望の象徴である彼らが汚されたことが腹立たしくてならなかった。

「はじめまして、狛枝センパイ」
「絶望が何の用? 」
 突然現れた少女に目もくれず、狛枝は机を蹴飛ばし続ける。
 ガラガラと机の山が崩れ、中から教科書と共に筆記用具が転がり落ちてきた。
 狛枝はその中にあるカッターに手を伸ばすと、振り返り様、少女に投げつける。
 少女はそれを難なく避け、楽しそうに笑っている。

「気付いてたんですか。さすが希望厨」
「お褒めに預かりどうも。あいにく、ボクはキミなんかと話している暇はないんだ」
「そんなこと言わないで下さいよ。センパイに素敵な絶望を届けに来たんですから」
「ボクは絶望なんかしない」
「うぷぷ、そうですか?」
 少女に背を向け、狛枝は再び机を蹴り飛ばし始めた。
 そっけない狛枝に少女はにやにやと笑いながら、その豊満な身体を狛枝に押し付ける。
 狛枝は表情一つ動かすことなく、少女を乱暴に引き剥がす。
 少女はそんな狛枝の反応にも特に気にした風もなく、再び狛枝に近付いて話しかける。

「苗木誠はオマエの希望にはなれない」
「……… 」
 
 がしゃん。
 狛枝の蹴飛ばした机が壁に激突し、あまりの衝撃にがたがたと崩れ落ちた。
 黙っているが、動揺しているのが明らかに見て取れる。
 気付かれているとも知らないで必死に本心を隠している様が滑稽で、少女は思わず声を大にして笑い出す。
 そんな少女に狛枝は眉間のしわを更に深くする。
 それがまた可笑しくて少女はますます笑い声を大きくする。

「センパイはあいつが本当に幸運だから学園に入学出来たと思ってるんですか?」
「は……?」
 何を馬鹿なことを言っているんだと、目で訴える狛枝に少女は笑みを深くする。
「センパイの能力って不運の後に幸運が舞い込んでくるんでしたよね?」
「………」
「大好きな苗木君と離れ離れにならなければならなくなった不運があいつをここに呼び寄せた、そうは考えられませんか? 」
「何を、馬鹿なことを… 」

 口では否定しておきながら、内心でその可能性を考慮し始めているのが分かる。
 案外扱いやすい狛枝に少女はほくそ笑む。
 少女にとって他人を絶望させるのは息をするよりも簡単なことだった。
 特に超高校級と呼ばれるような特別な才能を持つ人間は、尊大な自尊心の背後にそれと同等の脆さを併せ持っている。
 それを少し弄んでやっただけで、彼らは簡単に絶望してくれた。
 あまりにこちらの思い通りに事が進むので、逆にこちらが絶望してしまうくらいだ。
 目の前の男だって、希望を愛しているなんて言いながら、その根底にあるのは絶望してしまう己から逃れるためでしかない。
 そして、その鍵を握っているのが苗木誠。
 鉄面皮のこの男がこんなに動揺するのが良い証拠だ。
 顔色の悪い顔が、更に青褪めている。
 あと少し。少女は目算を付け、更に言葉を畳み掛ける。

「そういえば、あいつ予備学科に絡まれてたことがありましたね。センパイが気付いて仲裁に入らなかったら、今頃病院のベッドでしょうね」
「………」
「あいつがセンパイの求める希望なら、センパイの不運さえも撥ね退ける力を持ってるはず。違いますか?」
「そんなこと…」
「あれ、どうして反論するんですか? センパイもそう思ってたんじゃないですか? 」
「それは…」
「もう一度言いますよ? 苗木誠はあなたの希望にはなれない」
 
 言葉もなく崩れ落ちる狛枝に、もはや少女の笑い声は届かなかった。
 堕ちた―――。
 何て単純、絶望的にツマラナイ。
 あいつの口癖を真似るのは癪だったが、本当につまらないのだからしょうがない。
 もっと、もっともっと大きな絶望が欲しい。
 少女の望みはいつだって一つだった。




 とりあえず狛枝の自室を訪れてみたが、反応がなかったので、狛枝の教室にも立ち寄ってみるも、狛枝の姿は見つからない。
 狛枝が懇意にしている場所もわからないので、手当り次第に教室を探していく。
 改めて自分は狛枝のことを知らないと思い知らされた気がしたが、今はそんなことで立ち止まっているわけにはいかない。
 階段を駆け上がり、更に上の階へと上がる。
 今はとにかく、狛枝が無事なことを確かめたかった。

「狛枝ク―――…!? 」

 果して、数個目の教室に狛枝は居た。
 真っ暗な教室の中で一人机の上に佇む姿は、今にもその闇に呑み込まれてしまいそうだった。
 見た所元気そうな姿に一安心するも、いつもと違う様子に違和感を抱く。

「やぁ、待ってたよ」
 狛枝は苗木の姿を認めると、にっこりと微笑んだ。
 思わず心音が高くなるが、違和感はますます大きくなる。
 狛枝は立ち竦む苗木の方に向かって静かに歩み寄り、苗木の目の前に立つと、そっと苗木を抱き締めた。
 思わぬ出来事に慌てるが、こんなに近くにいるのに狛枝がとても遠くにいってしまったような、そんな心細い気分になった。
 反射的に狛枝のブレザーを強く握りしめる。

「………………………のに」
「え?」

 聞き返すも、次の瞬間、苗木は衝撃で地面に崩れ落ちる。
 握りしめた手は無情にも離され、行き場を失った手は空をかく。
 狛枝の手に血に塗れ鈍く光ったナイフがあるのが見え、自分が刺されたのだと知る。 
 どうして、痛みに声を出すこともままならず、目で訴えかける苗木に、狛枝は何も言わず無感動に苗木を見つめ返すだけだった。
 その瞳は感情をどこかに落としてきたようで、どこまでも深い闇を彷彿とさせた。
 絶望―――…。
 苗木の頭に一つの単語が思い浮かぶ。
 そういえば自分を襲ってきた人間もそんな目をしていた。
 苗木はやっと違和感の正体に思い至る。
 今更気付いた所でもはや手遅れなのかもしれないけれど。

「キミなんかに出会わなければ良かった…」

 残酷な言葉に苗木は息が止まりそうになる。
 狛枝はそれだけ言うと、苗木に背を向け、扉へと歩き始めた。
 その時、ちらりと見えた狛枝の顔がすごく辛そうに歪んでいて、胸を鷲掴みされたかのように心が痛んだ。
 少しでも狛枝の苦しみが和らぐようにと、狛枝に向かって必死に手を伸ばすも、大量に血を流した身体はもう動けそうにない。
 狛枝はそんな苗木など顧みず、さっさと教室を後にする。
 遠くへ行く狛枝の背中に向かって、届くはずがないと分かっていながら苗木は必死に手を伸ばす。
 それも甲斐なく、苗木の意識は薄れていく。
 最後の瞬間、狛枝の辛そうな顔が現れ、苗木は失意のうちに意識を手放した。



 狛枝に刺されて気を失った後、いつもと様子のおかしい苗木を追ってきた霧切に発見され、何とか一命を取りとめた。
 発見があと一歩遅かったら失血死していたかもしれないと苦言を呈され、苗木は苦笑することしか出来なかった。
 実際、何日も昏睡状態が続いており、このまま目覚めなければ命の保障はなかったのだという。
 そして、苗木が生死の境を彷徨っている間、事態は急激に変化していた。
 学園中を取り巻く事件は学外へと波及し、世界各地で絶望に感染する人々が出て来たのだという。
 このような状況に陥ってしまっては学園がまともに機能するのは難しい。
 苗木は狛枝に刺された傷を癒すべく、寮の自室で静養を言い渡され、他の生徒も外出を控えるようにとのお達しが下されていた。

 
 傷のために療養していくらか過ぎた頃、苗木は学園長に呼び出された。
 希望ヶ峰学園をシェルター化する。
 まだ絶望に感染していない超高校級の才能を持つ人間を隔離することで、人類の希望を潰えないようにするのが目的だという。
 ひどく驚かされたが、確かに今の状況を打開するにはそうするのが一番なのかもしれない。
 超高校級の才能を持つ彼らが生き残っていれば、それが人々の希望になる。
 今なら狛枝の言う希望が少しだけ理解出来るような気がした。
 今更彼のことが分かったとしても、もう意味はないのだけれど。
 自分達はもうあの頃には戻れない。
 狛枝は絶望に魅入られ、もう自分の手の届かない所へ行ってしまった。
 狛枝に刺された傷がまた、じくじくと熱を持ち始める。
 戻れなくても、狛枝と一緒に居られるなら自分はどんなことでも出来る自信があった。
 その感情の由来する所にやっと気付けそうだと思ったのに、気付いた時にはもう手遅れだなんて、自身の情けさにほとほと愛想が尽きてしまう。
 思わず涙が零れそうになるのを、ぐっとこらえる。
 今は感傷に浸っている暇などないのだから。
 
 続く学園で一生を過ごすことになるかもしれないという学園長の問いに、苗木は少しだけ躊躇う素振りを見せた。
 これから先一生狛枝に会えなくなるかもしれない、そう考えて少しだけ迷いが生じた。
 けれど、むしろ丁度良い機会なのかもしれない。
 自分達はもう会うべきではないのだ。
 狛枝が最後に見せた表情、何が狛枝をあんなに苦しめているのか、療養している間ずっと考えていた。
 おそらく、いや間違いなく、狛枝を苦しめているのは自分なのだ。
 狛枝も出会わなければ良かったと言っていた。
 自分が関わることで、狛枝が苦しむ。
 今まで狛枝の気持ちも考えず、自分の気持ちだけを押し付けてしまっていたのかもしれない。
 もう、潮時なのだ…。

 少し逡巡した後、苗木は学園長の問い掛けにしっかりと頷いた。
 その目に迷いはなかった。


 その時はこれで解決するものだと誰もが信じて疑わなかった。











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