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狛→←苗(記憶喪失ネタ)





「狛枝君はいつも海を見ているね」
「うん、水面が高低をひたすら繰り返しているのがボクの人生みたいだと思って」
しばらく二人は寄り添って海を眺めていた。
耳に心地よい波の音が流れる穏やかな空間。
海面が夕陽に照らされて青から赤に侵食される様は哀愁が漂っていた。
幻想的ともいえる物悲しい光景は目の前の景色が足元から崩れ落ちるような覚束なさを錯覚させる。
肩越しに感じる温もりだけがお互いの存在を確かな物として現実に引き止めていた。

「みんなボクを置いていってしまうんだ」
不意に零された言葉は近くに居なければ聞き取れない程小さな物だった。
無意識の内に出ただろうそれは、狛枝の心の底に仕舞い込まれた本心だったのかもしれない。
狛枝は超高校級の幸運という奇天烈な能力のために平凡な生活とはかけ離れた人生を余儀なくされてきた。
狛枝の能力は狛枝自身を孤独にしたし、何よりも狛枝の性格を歪めてしまった。
本来の彼は希望ではなく、ただ穏やかな、友人と語らう静かな生活を求めているのではないか。

「ボクはどこにも行かないよ」
苗木は自分の存在を確かめさせるように震える狛枝の手をそっと握った。





狛枝クン―――。
遠くで誰かの呼ぶ声に目を覚ますと、見慣れぬ天井が目に映った。
「………」
事態を理解出来ず、今に至る経緯を思い出そうと必死に記憶を手繰り寄せるも一向に引っかかる物がない。

「気が付いた?」
「………?」
あまりの事態に呆然としていると、酷く幼い顔をした青年がこちらを覗き込んできた。
知り合いなのかもしれないが、やはり記憶にはない。
そんな様子が顔に出ていたのだろう、男は自分から名乗り出てきた。
「ボクは苗木誠、自分の名前は覚えている?」
「………狛枝、凪斗」
「うん、何があったか覚えてる?」
「………」
黙って首を横に振る自分に目の前の男は説明を始めた。
要約すると、自分は爆発に巻き込まれて傷を負い、この病院に運び込まれた。
外傷が治っても一向に目を覚ます気配がなく、今日までずっと眠り続けていたのだという。
ここ最近の記憶が定かでないのは眠り込んでいたことの弊害かもしれないとも男は言った。

「キミは、ボクとどういう関係だったの?」記憶がないとはいえ、流石に家族の顔は覚えている。とはいっても既に鬼籍に入っているのだが。
希望ヶ峰学園に入学が決まった辺りまではおぼろげではあるが覚えている、ならば希望ヶ峰学園に入学した後に知り合った人間なのかもしれない。
目覚めるかわからない人間をこうして見舞うくらいなのだからそれなりに近しい人間なのだろう。

「ボクは狛枝クンの先輩だよ、でも親しかったわけじゃないんだ。
この事件はボクが起こしたような物だから。それで、毎日様子を見に来ていたんだ」
ごめんね、と申し訳なさそうに謝罪をする男の顔に一瞬影が落ちたが、すぐに弱々しい笑みを浮かべた。
垣間見えた男の悲しげな顔に胸が迫り、どうしようもなく辛い気持になる。
思わずその頬に触れそうになるのを慌てて押し止めた。
行き場を失った右手が空しく空を切る。

「もう聞きたいことはない?疲れるといけないし、今日は退散させてもらうね」
「あ…」
離れる男の姿を見て、狛枝は無意識に服の裾を掴んでいた。
何故こんな行動に出たのかわからなかったが、男が離れていくのが悲しくてならなかったのだと思う。
子どもっぽい行動に我ながら恥ずかしくなり、男の顔を直視出来なかった。
「目が覚めたら記憶がないなんて不安になって仕方ないよね。明日は友達を連れて来るよ、
そうしたら記憶も戻るかもしれないしね」
男は狛枝の手を服からそっと外すと、目線を狛枝に合わせて優しく笑った。
その笑顔に何故だか胸の奥がちくりと痛んだ。
その後男は面会時間が終わるまで他愛ない話をしてくれた。
男の笑みを見てからというもの心拍数が高まって上手く頭が回らず、折角付き合ってくれているというのに会話が全く頭に入ってこなかった。
男が出て行った後もしばらくそれは続き、その夜は思い出せない記憶と不整脈に一晩中悩まされた。





次の日、男は約束通り友達とやらを連れて来た。
連れて来られた男は隣に並ぶ男に比べて一回り以上も身長があり、体格もそれなりに整っていて頼もしい印象を受けた。
「約束通り友達を連れて来たよ」
「日向創だ、覚えてるか?」
「どう、何か思い出すことはない?」
「………特にないよ」
むしろ自分にこんな知り合いがいたのか甚だ疑問である。
しかし狛枝はそれを言葉にはせず、心中に留めて置くだけにした。
「そっか、じゃあ二人で話してみたらどうかな。ボクが居ても大して役には立てそうにないしね」
「えっ」
驚く自分たちを差し置いて、男はさっさと病室から出て行ってしまった。
昨日の帰り際に狛枝を慰めた時とはまるで対称的な男のそっけない態度に狛枝は呆然とするばかりだった。
今度は心臓を鷲掴みされたかのような鈍い痛みが狛枝を襲った。

「えぇっと、なんか聞きたいことはあるか?」
「とりあえず、キミとボクはどんな関係だったの?」
「よくつるんでた、と言ってもお前は本を読んでることが多かったからそこまで話してたわけじゃないけどな」
日向と名乗った男は始め彼が急に病室から出て行ったことに動揺していたようだが、気を取り直すと狛枝の質問に答えながら学校生活での出来事を面白おかしく話してくれた。
快活に話す日向の話に適当に相槌を打ちながら、狛枝は出て行った彼のことに思いを馳せていた。
あまり反応を示さない自分に呆れることもなく懸命に話しかけてくる日向はいい人だとは思うが、何かが違う。
敢えて言うなら何も感じないのだ。
きっと日向が目の前で死んでいても狛枝は動揺しない自信がある。
けれど彼だったら、自分はどうなってしまうのか見当もつかない。
むしろ彼が目の前から姿を消すと考えただけで体中の震えが止まらなくなる。
そもそも日向は男が消えた時の動揺の仕方を考えてみても、違和感が残る。
狛枝と二人になることに対して恐れを抱いているように感じた。
相手に恐怖を抱くような関係を果たして友人と呼ぶのか、答えは否である。

「ねぇ、キミは本当にボクの友達だったの?」

狛枝はわざとそこに突っ込むことにした。日向との関係を明らかにすることで彼に対する何かしらの情報が得られるかもしれない。
「な、何言ってるんだ…?」
わかりやすく動揺する相手にやはり、と納得した。
「あぁ、気にしなくていいよ。ボクのためにこうして時間を割いてくれるだけでありがたいからね。
じゃあ改めて質問なんだけど、キミはボクとどんな関係だったの?」
「あー、知り合いだ」
狛枝の態度に観念した日向は渋々といった体で質問に応じた。
「知り合い?」
「知らないはずなんだけど、知ってる。ちょっと説明がしづらいんだが、とりあえず顔見知りって程度には知らない仲じゃない」
どうもはっきりしない日向の言葉に不満は残るが、日向の態度や口調から考えてこの言葉に嘘偽りはなさそうだ。

「じゃあ、さっきの彼とキミとの関係は?」
「苗木のことか?えぇと、センパイ…かな」
「……ふぅん」
歯切れの悪い言い方に、この情報はあまり信用出来ないな、と狛枝は思った。
あるいは日向自身も彼のことを理解出来ていないのかもしれない。
彼が友人と称した言葉に意味があるならば、日向も何らかの形で事件と関わった可能性は高いだろう。
日向も狛枝のように記憶喪失だったと考えることも出来るが、狛枝にとっては至極どうでもいいことだった。
「今日はありがとう、貴重な話が聞けて楽しかったよ。暇で何もすることがない時にでも遊びに来てくれたら嬉しいな」
「あ、あぁ。元気出せよ」
日向は嘘を吐いた引け目からか、狛枝に対して少し申し訳なさそうな顔をしてそのまま病室を後にした。


「センパイ、ね………」
日向が病室から出て行っても何も感じなかった。むしろ、ほっとしたくらいだ。
一夜明けたことで狛枝は少しずつ自分のことを思い出し始めていた。
超高校級の幸運と銘打たれたこの能力のせいか、狛枝は他人と共に行動するのが苦手だった。
他人と一緒にいても迷惑を掛けるのではないかと気がかりでならない。
それでも昔は仲の良い子もいたことにはいた。しかし、狛枝と一緒にいることで災難に見舞われ続けるとわかれば当然のように離れていった。
だから自分に友人等という存在が居たはずがないのだ。
でも彼はどうだろうか。苗木と一緒にいた時だけは心が安らいだし、この時がずっと続けばいいと思えた。離れると寂しささえも感じた。
覚えていないけれど、きっと彼は特別だったのだろう。いや、特別だった。これは確信である。
彼に会いたい、それだけが今の狛枝にとって唯一信じられる物だった。
「明日も来てくれるかな」
狛枝は昨日彼が触れた手をじっと見つめた。




「あの後何か進展はあった?」
薄暗い部屋にカタカタとキーボードを叩く音が響く。
苗木の机には大量の資料が山積みになっており、彼の小さな体を覆い隠していた。
「全然だ」
日向は試しに一つを手に取って見たが、果たして何が書かれているのかさっぱり分からなかった。
資料を元に戻すと、少し埃が舞った。
今度掃除しなきゃな、と日向は見当違いの感想を抱く。
苗木は画面から目を離し、資料を山の上にポンと乗せた。

「希望ヶ峰学園時代の狛枝クンの記憶がないのは強制シャットダウンの影響かもしれない。
そうだとしたら、他に目を覚ます人達も彼のように記憶を無くしてしまう可能性がある…」
「苗木が気にすることじゃない。あの時はそうするしかなかったんだ」
何でも背負い込んでしまう目の前の少年のために日向は精一杯の笑みを浮かべて応える。
苗木が自分達のためを思ってしてくれたことをどうして責められよう。

「ありがとう、日向クン」
今にも倒れてしまいそうな顔で弱々しく笑う少年の表情はとても痛ましかった。
「それより、お前は少し休んだ方がいい。仕事大変なんだろ?狛枝のことは俺に任せてくれ
明日は左右田達を連れて行くよ、3年間付き合ってきた仲間なんだから何かしら思う所があるだろう」
「ありがとう、ボクは当分これの処理で行けそうにないから。狛枝クンのことよろしくね」
へにゃりと笑った苗木の顔はやはり優れなかった。





次の日、狛枝の期待に反してやって来たのは日向だった。
多分クラスメイトなのだろう何人かを連れて来ていた。
それぞれ自己紹介をするも狛枝の頭には何も入ってこなかった。
彼はどうしだんだろう。
そのことだけが心配で気もそぞろになっていた。
金髪の子がつなぎを着た子を袖にする様や、褐色の肌をした子が狛枝の見舞いの品をひたすら食べる様などはどこか懐かしく感じられたが、狛枝は今日来なかった彼のことで頭が一杯だった。

ひとしきり騒いだ後、彼らはそれぞれ狛枝にお見舞いの言葉を添えて去って行った。
日向だけがその場に残り、律儀に狛枝の状態について聞いてきた。
そんな日向の質問におざなりに返答しながら、狛枝は丁度いいとばかりに彼のことを聞いた。
「ねぇ、彼は何で来ないの?」
「あぁ、何でも仕事が山積みだから来れないそうだ」
「そう……」
それだけ答えると狛枝はじっと窓の外を眺め始めた。
窓の外を眺める狛枝の姿はまるで迎えを待つ子供のようだった。
「キミもさ、ボクなんかのために無理して来てくれなくて結構だよ。ボクのことを知っているならわかるだろう?」
「それがお前の答えなんだな」
はぁ、とあからさまに日向は溜息を吐いたが、狛枝は特に気にした風もなく窓の外を眺め続けていた。




「狛枝クンの様子はどう?」
カタカタと忙しなくディスプレイに文字を打ち込む苗木の顔色は依然として晴れない。
あの後も仕事を続けてあまり休めていないのだろう。目の周りにくっきりと浮かぶ隈がそれを如実に物語っていた。
「さっぱりだ、上の空でまるで話を聞いちゃいない。あとお前が来ないのを気にしてたみたいだったぞ。
忙しいとは思うが息抜きがてら会いに行ってやったらどうだ?」
お前も会いたいんじゃないのか、という言葉は胸に仕舞い込んでおいた。
苗木が仕事の合間にこっそり眠り続ける狛枝を見に行っていたのを日向は知っていた。
そして病室から帰って来た後、苗木の顔が普段よりも暗くなっているのにも気付いていた。

「もう狛枝クンに会うのはやめようと思うんだ。ボクが行っても彼に良い影響を与えるとも思えないしね」
「何、言ってるんだ………?
こんな時だからこそ、お前が側に居てやるべきなんじゃないのか!?」
一瞬、日向には苗木が何を言っているのか分からなかった。いや分かろうとしなかっただけなのかもしれない。
それはあまりにも残酷な言葉だった。
日向の脳裏に病室で寂しげに窓の外を眺める狛枝の顔が過った。
狛枝は確かに苗木が来るのを待っていた。あの窓から、いつか苗木が来ると思って、じっと外を見続けていたのだ。
きっと苗木も同じ気持ちだと思っていたが、違ったのだろうか。
「それがボクである必要はないよ…」
「お前以外に誰があいつを、狛枝を救ってやれるって言うんだよ!」
あんまりな苗木の言葉に、日向は声を荒げずにはいられなかった。
「ボクが側に居たら狛枝クンは外を見なくなってしまう、それじゃ駄目なんだよ!!
ボクじゃ狛枝クンを救ってあげられない………前から思ってたんだ、狛枝クンには希望なんか必要ないんじゃないかって」
らしくもなく声を荒げ、苦しそうに言葉を紡ぐ苗木の様子に、日向は黙らざるを得なかった。
泣き出しそうに震える彼の肩はこんなにも頼りない物だったろうか、こんなにも儚げな存在だったろうか。
今の苗木を抱き締めて慰めてやれるのは狛枝だけだという事実が日向にはもどかしくてならなかった。

「日向クン」
しばしの沈黙の後、苗木が幾分落ち着いた声音で日向に呼び掛ける。
しかし、それは日向に語るというよりも、独り言のようだった。
「ボクは狛枝クンが目覚めて記憶がないって知った時、もしかしたらやり直せるんじゃないかって期待して嬉しくなったんだ」
ならどうして今お前はそんな悲しい顔をしてるんだ、と苗木に詰め寄りたかったが自身にはそんな資格もないと諦める。

「今、アルターエゴを使って新世界プロジェクトの修復をしてるんだ。
幸いなことに狛枝クンの記憶は以前のデータがバックアップされて残っている。
これを使って学園での出来事を島での出来事に置き替えれば彼は再び歩き出せるはずだよ」
「お前はそれでいいかもしれないけど、狛枝の気持ちはどうなるんだよ…
あいつは記憶がなくなっても変わらずお前のことを思っていたじゃないか」
自分が口を出すべき問題ではないと分かっていながらも、日向は口を挟まずにはいられなかった。
「それも忘れてしまうよ。
狛枝クンに必要なのは希望じゃない、誰かと歩む未来なんだよ」
苗木は最早日向を見てはいなかった。
彼の瞳には、いつか一緒に海を眺めた時に見せた狛枝の寂しげな横顔だけが写っていた。




狛枝は採集のために海にやって来ていた。
青い空に青い海、真っ白な砂浜に照りつける太陽。そんな状況につるはしを手に持った狛枝達は酷く不釣り合いだった。
「何やってんだ、置いてくぞ!」
「ごめん、今行くよ」
波打ち際で突っ立っていた狛枝を見咎めて、先を歩く日向が声を掛ける。
「お前、それ………」
「え………?」
驚く日向にうながされるまま頬に手を当てると、しっとりと濡れている感触がした。
一体どうなっているのか。
狼狽する狛枝に、日向は心配そうな視線を向ける。
「体調でも悪いのか?ここは俺に任せて先に帰ってろ」
「ありがとう、日向クン」

日向の忠告に従いコテージへ帰ろうと足先を向けるも、再び浜辺が目に止まり、どうしてか少しだけ眺めてから帰ろうと思った。
穏やかに揺蕩う海面を見ていると、心が落ち着いてくるから不思議だ。


『ボクは狛枝クンを一人にしないよ』


不意に波間に紛れて誰かの声が聞こえたような気がした。
思わず自分の側を振り返るも、当然のことながら誰もいなかった。

「やっぱりキミもボクを置いていくんじゃないか………」
反射的に口をついた言葉は波の音にかき消されて届くことはなかった。
狛枝は急に胸の奥がズキズキと鈍い音をさせて痛み始めた自身の状況を理解出来ず、戸惑いを隠せずにいた。
胸一杯に広がるこの寂寞感は何なのだろうか。
自分の意思に反して頬を伝う涙だけが、その答えを知っていた。




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(真っ白なページに描かれるのはキミのいない世界)















あとがき

とりあえず海を眺める狛枝を書きたかったんです。
狛枝は苗木君がいれば他に何もいらないと本気で思ってるけど、苗木君はそんな狛枝の態度に罪悪感を感じて距離を置きそうだなぁと
それで狛枝に釣り合うのは日向みたいな人だと勝手に思い込んで日向に任せて離れていきそう、そんな狛苗シリアス妄想でした





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