春一番を歌う



狛苗+舞(狛苗が吸血鬼な人外パロ)
※オフで発行した『ピュアブラッド』の番外編です。
 





 街中に流れる音楽は耳に心地良い。
 テレビの中のアイドルはピンク色の衣装を身に纏い、高らかに歌を紡ぎ出す。
 苗木は流れるメロディに合わせて、そっと歌を口ずさむ。
 そんな苗木の様子に、狛枝はあからさまに顔を顰める。
「最近よく聞くね、この曲」
 知ってる?と訪ねる苗木に、狛枝は苦々しい顔で答える。
「舞園さやかだよ。最近出て来たアイドルみたい。可愛い顔してるけど、あんまり売れてないみたいだよ」
「舞園さんって言うんだ」
 舞園さん――…。
 そう呟いた時の苗木の雰囲気が普段よりも柔らかくなった気がして、狛枝はさらに眉間の皺を深くする。
 出会ってから既に百年以上の時が経ち、苗木のことを誰よりも理解している自負が狛枝にはあった。
 その期待に応えてくれるかのように、苗木も始めの頃とは打って変わって心を開いてくれている。
 自分に接する時と同じ、もしかしたら、それ以上の親密感を持ってあのアイドルを見ているような気がして面白くない。
「あ、狛枝クン。ここじゃない?」
 憮然とする狛枝の機嫌を取るように、苗木が狛枝に話し掛ける。
「あ、そうだね。結構良い所みたいだ」
 白塗の建物に赤色の屋根、どうということはない一般的な一戸建て住宅だ。道路に面した部分には小さなテラスがあり、周りにプリムラやマーガレットの植木鉢が置かれていて、見る者を楽しませてくれる。
「十神クンに感謝しないとね」
「そうだね」
 十神というのは苗木と同じ純血の吸血鬼の一人で、付き合いは狛枝よりもはるかに長い。現代になってから眷族を使って起業し、その手腕で大企業としての名を欲しいままにしている。
 この物件は住む所を探していた苗木に十神が紹介してくれた物で、端々に彼の優しさが見え隠れしているようだ。

「よし、と。これで全部かな?」
 二人は既に家に運ばれていた荷物を開封し、一つ一つ取り出して、大雑把に分別していた。
「はい、これ」
「ありがとう、狛枝クン」
 苗木は礼を言って、狛枝からマグカップを受け取る。
 温かい紅茶は味も何もかもが苗木の好みの物で、苗木は思わず頬を緩める。
「あ、狛枝クン。そろそろお仕事の時間じゃない?」
 時計を見れば既に時間は昼を周り、短針はもう二時に差し掛かる所だった。
「本当だ。もうそんな時間か」
 狛枝は片付けもそのままに、慌てて出掛ける準備を始めた。
「じゃあ苗木クン、あとはお願いね?」
「うん、いってらっしゃい」
 狛枝を送り出し、苗木は再び作業に戻る。
 とはいえ、狛枝が殆ど分別してくれていたので、あとはそれらを指定の場所に入れるだけで済みそうだ。
 苗木は息抜きもかねてテレビの電源を点けた。
 初めて見た時は小さな箱の中に人がいて喋り出すのだからそれはもう驚いたものだが、慣れてしまえば、これ程面白い娯楽はないと思っている。
 苗木は狛枝と違って仕事をしているわけではないので、狛枝がいない間は専らテレビを見て過ごしていた。
 さすがに狛枝だけに働かせるのは気が引けたので、苗木も働きたいと申し出たのだが、狛枝は苗木が誰かと関わりを持つのが嫌なようで、泣いて懇願し、現在に至る。
(これってニートって言うんじゃないのかな…)
 苗木は慣れた仕草でチャンネルを回していると、先ほど街頭テレビで見かけた女性が出演していた。
「次に、人気急上昇中のアイドル、舞園さやかさんです! 」
 たくさんの歓声に迎えられ、ステージに立つ少女は少し緊張した面持ちで歌い始める。
 懸命に歌う少女に、苗木は自然と目が釘付けになっていた。
「やっぱり似てる…」
 苗木は誰に言うとでもなく呟く。


  #  #  #


 身体が寒い。
(そうか、これが死という物なのか―…)
 化物は死という物に対し、どこまでも冷静だった。
 血がどくどくと流れ出し、全身から力が奪い取られるかのような錯覚に襲われる。
 薄れゆく意識の中、化物は目の前で死んでいった己の眷属たちへと思いを馳せた。
 絶対的な力、自分達は禁忌に触れてしまったのだ。
(このまま無様に死んでいくのが自分にはふさわしいのかもしれない…)
 うっすらと赤く色づいた月は亡くなった同胞の無念を現しているかのようだ。
 ふと、化け物の耳に草をかき分ける音が聞こえた。
「大丈夫ですか…? 」
(近隣の村の娘か)
 尋常ではない己の姿に臆せず話し掛けるとは中々肝っ玉のある娘だ、と化物はどこか他人事のような感想を抱いていた。
「大変…血がたくさん出てる…今助けを呼んできますね」「…必要ない。医者で治せるものじゃない」
 化物は止血しようとする少女の手を掴み、それを制止する。
「とっとと村へ帰れ…」
 少女は化物の言葉を素直に受け取ったのか、そのまま踵を返し、元来た道を戻って行った。
 化物は再び静かになった空間で、じわじわと襲い来る死の誘いにゆっくりと身を委ねた。


  # # #


「ただいまー」
 狛枝の声が聞こえて苗木は我に返る。
 いつの間にか考え事に耽っていたようで、部屋は狛枝が出掛けた時と殆ど変わっていなかった。
「あれ?あんまり片付いてないね。あ、テレビでも見てたんでしょ?」
 狛枝はどこか嬉しそうな声音で苗木を問い詰める。
「う、うん、そうなんだ…」
「じゃあ後で一緒にやろう。ボクも手伝うから」
 少し口ごもる苗木に特に気にした風もなく、狛枝は機嫌良く笑う。普段、何でも自分でやろうとする苗木が、自分を頼ってくれたような気がして嬉しかったのだ。
「とりあえず、ご飯食べよう。苗木クンも手伝ってくれる?」
「うん!」
 二人は台所に移動し、夕飯の準備を始めた。
 まだキッチン用品も十分に整理し終わえていないので、手軽に作れるものは何か、狛枝は頭を働かせる。
「じゃあ苗木クンはサラダを作ってもらえるかな?」
「わかった」
 苗木は狛枝が買ってきたスーパーの袋から野菜を取り出すと簡単に水洗いし、てきぱきと皿に盛り付ける。狛枝も慣れた手つきでスパゲッティを茹で上げ、盛り付けをする。何百年と続けているだけに手慣れた物である。

「いただきます」
 顔の前で手を合わせて、二人は食事を始めた。机の上には狛枝の作ったペペロンチーノと苗木の作ったサラダが食卓に並ぶ。
「苗木クンも何だかんだでこういう食事に慣れてきたね」
 もくもくと食欲旺盛に食べる苗木に、狛枝は思わず感嘆のため息を漏らす。
 出会った頃は、食べては戻すの繰り返しだった。
 元々、吸血鬼の主食は人間、もしくは家畜の生き血で、人間の食べるような物を消化する器官は発達していない。
 人間ほど味覚が発達しているわけでもないので、よしんば食べられたとしても、どれも同じ味にしか感じられないのだ。
「そうだね。最近の食事は味付けも色々あるから。それに、狛枝クンがいつも頑張って作ってくれるからかな」
「………」
「狛枝クン? 大丈夫? 顔が赤いよ? 」
 急に食事の手を止め、うつむく狛枝に苗木は気分でも悪くなったのかと話しかける。
「……苗木クンはずるい」
「…?」
 狛枝が特に気分が悪くないと分かると、苗木は再び食事の手を進めた。そんな苗木の姿に狛枝は溜息をつくと、自分も食事を再開した。

 二人は夕飯を食べ終えると、片付けの続きに取り掛かった。
「そうだ、これからボクちょっと仕事が忙しくなりそうなんだ。寂しいかもしれないけど、お留守番よろしくね」
「うん、わかった。お仕事がんばってね」
 少し寂しそうな顔をする苗木に、罪悪感を抱くが、こればかりはしょうがない。
 働かざる者食うべからず。
 こうして十神に家を斡旋してもらったとはいえ、基本的な生活費は全て自分達で賄っている。
 人間の世界に紛れ込まなければ働く必要もなかったかもしれないが、一度こちらでの生活に慣れてしまうと、以前のような生活に戻るのは難しい。
 苗木も今の生活に楽しみを見出しているし、それは出来れば避けたい所だ。
 家計を心配して苗木も働くといってくれているが、苗木を他の人間の目に触れさせるのは極力避けたい。
 人の生き血を吸うのを本能とする吸血鬼は魅力的な外見をした者が多く、苗木もその例に漏れない。苗木は一見普通の少年だが、端々の所作は長年連れ添っている狛枝でもドキッとさせられることがしばしばある。本人にその気はなくとも、周りはその気になることが多々あるので、こちらは気が気でない。
 それに苗木が外に出ることで、狛枝以外の誰かと仲良くなるのは気に食わなかった。
(苗木クンにはボクだけがいればいいのに…)
 狛枝はてきぱきと片付けを済ませると、先に連続ドラマを見始めた苗木の隣にいそいそと座った。


「それじゃあ、行ってくるね」
「……うん」
 昨日遅くまでテレビを見ていたせいか、苗木はまだ醒めやらない顔で狛枝を見送る。
 昼にも行動が出来るとはいえ、基本的にその本能に従って夜に活動している苗木にとって早起きは厳しい物があった。
 それでも自分のために起きてくれたのかと思うと、狛枝はこそばゆい気持ちになる。
「ご飯は机の上に置いてあるから」
 眠そうに眼をこする苗木に、狛枝は頬を緩め、いってきますと声を掛ける。
 狛枝が出て行くのを確認すると、苗木は椅子に座って狛枝の作ってくれたご飯をもそもそと食べ始める。
 一人で食べる食卓は味気なく、リモコンに手を伸ばすと、不意にバイブ音が鳴り響いた。
 驚きの余り、眠気も一気に吹っ飛んでしまった。
 慌てて辺りを見回すと、ソファの上に狛枝の携帯が置かれていたことに気付く。
「大事な用かもしれないし、届けた方がいいよね。場所は…匂いを辿っていけば何とかなるかな」
 その間もひたすらバイブ音は鳴り続けている。


「それじゃ、一旦休憩入ります」
 監督の声に狛枝は一息吐く。
「はい、お疲れ様です」
「……ありがと」
 ジュースを持ってきた舞園に、狛枝はそっけなく礼を言う。
 今日の撮影は、何の因果か舞園と一緒だった。
 来月号で春のデートスポット特集をやるとかで、舞園の相手役として抜擢されてしまったのだ。
 おかげさまで今週は仕事の予定がびっしりと詰まり、苗木と新居でゆっくりするなんてことは出来そうにない。
(どうせなら苗木クンとデートがしたかった…)
 狛枝は内心毒づきながら、舞園の外見をまじまじと眺めた。
 手入れの行き届いた長い黒髪に、小作りな顔形。確かに美人ではあるが、他にこれと言った特徴があるわけでもない。
(こんな奴のどこが良いんだが…)
「狛枝さんって、どうしてモデルをやってるんですか? 」
「どうしてキミにそんなこと答えなきゃいけないわけ? 」
 素っ気なく返す狛枝に舞園は答えに窮し、黙り込む。
 敵を作るべき業界ではないと理解しているものの、どうしても我慢が利かなかった。
 気まずい沈黙が二人の間に流れる。
「狛枝君、ちょっと来てー」
「呼ばれてるみたいだから、ボクはこれで」
 それも束の間、スタッフの自分を呼ぶ声にこれ幸いと狛枝はその場を離れた。
「いきなり何ですか…って苗木クン! 」
「えへへ、来ちゃった」
 突然現れた苗木に狛枝は驚きを隠せずにいた。
「えっ? 何で苗木クンが…それにどうやってここに……」
 混乱する狛枝に、苗木は狛枝の携帯を差し出す。
「はい、これ。忘れていったでしょ? 」
 すごい勢いで鳴ってたから緊急の用かと思って、と語る苗木に、狛枝は初めて自分が携帯を忘れたことに気付いた。
「ありがとう。そんな無理しなくても良かったのに」
「無理なんてしてないよ。それに一度狛枝クンの仕事場見てみたかったし!」
 目を爛々と輝かせる苗木の様子は、好奇心丸出しで、撮影現場に興味津々だという態度が見て取れた。
 そんな苗木の様子に狛枝はため息を吐く。
「はぁ。何とか早く上がらせてもらうから、苗木クンは端っこで大人しくしててね」
「もちろん! あ、狛枝クンあれって舞園さん? 」
 舞園は苗木の声に気付いたのか、こちらを振り向いた。
「こんにちは。狛枝さんの弟さんですか? 」
 にこやかに話しかけてきた舞園に、苗木は顔を赤くする。
「親戚の子だよ。春休みだから遊びに来てるんだ」
 狛枝は舞園の視界から苗木を隠すように、二人の会話に割って入った。
「そうなんですか。お名前は?」
「え、えぇと……」
「キミには関係ないだろ? ほら、監督が撮影始めるって言ってるよ」
 二人の会話を遮り、狛枝はさっさと舞園を連れて撮影に戻ってしまった。
「ふぅ、緊張した…」
 苗木は緊張して火照った頬を自身の手を当てて冷ます。
「こんな所で会えるとは思わなかったな…」
 先程の舞園の笑みを思い出して、苗木は再び頬が赤くなるのを自覚した。
 苗木は慌てて頭を振り、撮影する二人に目を向ける。
(二人ともすごい決まってる)
 服をしっかりと着こなし、カメラマンの与えた指示に応える様は流石プロと言った所か。
(狛枝クンも、いつもと違った感じでかっこいい…)
 普段と違って少し影のある顔をする狛枝に、苗木は知らない人を見たような気分になる。
 思わず惹き込まれて狛枝をじっと見つめていると、不意に狛枝がこちらを振り向いたような気がした。
 気のせいかと思ったが、今度ははっきりとこちらに向けてウィンクをしてきたのだから間違いないだろう。
 苗木はそんな狛枝に応えるようにこっそり手を振った。
(結局、狛枝クンは狛枝クンなんだな)
 苗木は心の片隅でほっと安堵していた。
 そんなこんなで撮影は狛枝の頑張りのおかげか、撮り直しをすることもなく、無事に終わった様だった。
 お疲れ様の掛け声があがると狛枝がすぐに苗木の下に飛んで来て、苗木の手を引いてさっさと現場を後にした。
「狛枝クン、かっこ良かったよ! 」
「そ、そうかな…」
 飾らない言葉に、狛枝は柄にもなく照れた素振りを見せる。
「うん。普段と違った狛枝クンが見れて、とっても楽しかった」
 にっこりと笑う苗木に、狛枝は最早言葉もなかった。
 仲睦まじく帰る二人を夕陽が優しく照らし出していた。


 今日も今日とて、狛枝を見送ると、苗木はテラスに出て、植木鉢の花に水を遣っていた。
 丁度、冬が明けて春に向かう頃なので、色々な花が咲き始めていて、テラスも色鮮やかだ。
「心に秘めた愛」
「え…?」
「マーガレットの花言葉です。こんにちは、この間はどうも」
 道路の下から舞園がひょっこりと顔を出した。
 舞園はくるぶしまである丈の長い白のワンピースに、春らしく薄いライトグリーンのカーディガンを着ていた。
「あ…こちらこそ。迷惑かけちゃったみたいで」
「いいえ、監督は良い絵が取れたって喜んでましたよ」
「それなら良かった…」
「ここに住んでたんですね。狛枝さんはいらっしゃらないんですか? 」
「狛枝クンは仕事に行っちゃってるから」
 きょろきょろと周りを見回す舞園に、苗木は申し訳なさそうに答える。
「あ、いいんです。丁度あなたを見つけたから声を掛けただけなので」
 それに、私、嫌われてるみたいですから、と小さな声で舞園は呟く。「狛枝クンは誰に対してもそうだから」
 項垂れる舞園に、苗木は困った顔で笑いかける。
 正直、狛枝はどうでもいい人間(というか苗木以外)には適当な扱いをするので、苗木はいつも注意しているのだが、一向に治る気配はない。
「えぇと…そうだ、良かったら上がってってよ。簡単な物で良ければ出すよ?」
「いえ、仕事に行く途中なので大丈夫です。またお暇な時、ゆっくりお話ししましょう?えぇと…」
「苗木、苗木誠だよ…」


  #  #  #


「大丈夫ですか? 食べ物持ってきたので、食べて下さい」
 自分を呼ぶ声に化物は眠りの淵から呼び覚まされた。
「……帰ったんじゃなかったのか」
「何か訳ありみたいだったので、一度家に帰って色々持ってきたんです」
 そう言うやいなや少女はてきぱきと応急処置を施す。
「………必要ない」
 化物の制止に少女は耳を貸す気配はない。
 化物は溜息を吐くと、少女の好きなようにさせてやる。
「はい、出来ました。応急処置ですから、ちゃんと治療してもらった方がいいですよ」
 化物は起き上がって軽く右腕を動かしてみた。
 確かに、先程より体が軽くなった気がする。
「ありがとう、助かったよ」
「いいえ、困ってる人を助けるのに理由はいりませんから」
 血が止まったおかげで、視界も徐々に回復してきたようだ。
 化物は改めて自分を助けてくれた少女に目を向けた。
 農家の娘なのか、服装は薄汚れ、何度も服を繕っている跡が窺える。
「綺麗な目、お月様の色ですね」
 少女は化物の目を見ると、まるで宝物を見るような目で化物を見つめる。
「そんな大した物じゃない。化物の目だ…」
 化物は気まずさから目を反らす。
「化物なんてあんまりです! そんな綺麗なのに…えぇと」
「キミたちのように個体を識別する名称はボクたちには存在しない」
「名前がないんですか? なら私がつけてあげます! きっといい名前を考えてきてあげますね」
 にっこりと無邪気に笑う少女に、化物はもはや言葉も出なかった。


  #  #  #


「ただいまー」
「おかえり」
「苗木クン! 何だか機嫌いいね? いいことでもあった? 」
「ううん、ガーデニングの調子が良かったくらいかな」
「そうなんだ、これが終わったらボクも一緒にやりたいな」
 苗木クンにはどんな花が似合うかな、と楽しそうに笑う狛枝に苗木は顔を曇らせる。
(どうして今更、昔のことを思い出すんだろう…)
 おそらく彼女そっくりのあのアイドルが原因だろう。
 見た目も何もかもがそっくりで、初めて見た時は本人かと我が目を疑った程である。
 狛枝も何か感じ取っているのか、こと舞園の話題になると少しぴりぴりしているようだ。
 おそらく、もう関わらない方がいいだろう。
(今更、昔のことを掘り返す意味もないしね…)
 苗木は頭を振り、努めて明るい声音で狛枝に話し掛ける。
「今日はボクがご飯作ってみたんだ。食べてみてよ! 」
 最近、仕事が忙しい狛枝を気遣って、苗木なりに出来ることをしてみたのだ。
 いつも狛枝がしているようには出来なかったが、一応食べられる味のはず、だ。
 狛枝は元が人間であるために、味覚も苗木よりはるかに発達している。
 吸血鬼になったからといって、人間だった頃の感覚が無くなってしまうわけではない。
 今までの感覚に加え、人よりも少しだけ視覚や聴覚が過敏になったり、運動神経が良くなったりする位だ。
 元から吸血鬼である苗木から見れば、それは微々たる変化でしかないが。
「本当? すっごく嬉しいよ」
 本当に嬉しそうに笑う狛枝に、苗木も一緒になって笑う。
 その日は、美味しいとは言えない料理に顔を顰めさせながら、二人は夜を過ごした。


「こんにちは」
「あ、こんにちは…」
 狛枝のことを思うと会うべきではないと思っていても、舞園を見るとやはり心が踊る。
「今日は普通に遊びに来ちゃいました」
 にっこりと笑う舞園はさすがアイドルと言った所か、苗木は思わず赤面してしまう。
 綺麗な物にはある程度耐性がある苗木だったが、それでも舞園は十分魅力的に映った。
「はい、どうぞ」
 狛枝に心の中で申し訳ないと思いながらも、苗木は門扉を開け、舞園をテラスの席へと案内した。
「あ、これお土産です。お茶のお伴にでもして下さい」
 そう言うと、舞園は鞄から紙袋を取り出した。
「ありがとう。今、お茶を淹れてくるよ」
 苗木は一旦、台所に入り紅茶の缶を探す。
 苗木が紅茶を好んで飲むため、狛枝が気を利かして色んな種類の銘柄を集めて来てくれたので、無駄に種類だけはある。
 他にも食品関連の物は狛枝が苗木のためにと苦心して集めてくれているので、店が開ける程度には揃っているかもしれない。
「うーん、焼き菓子とならこれがいいかなぁ」
 普段、狛枝に任せっぱなしなので正直どれがどんな物なのか苗木にはさっぱりだ。
 とりあえず、以前、美味しくて思わず狛枝に名前を聞いた銘柄を手に取ってみる。
「えぇと、ポットを温めて…」
 ケースに書いてある淹れ方を参考にお茶を淹れる。
 舞園はアイドルだから、きっとおいしい物を食べ慣れてるに違いない。
 下手な物は出せないな、と苗木は内心焦りながら説明書片手にポットを温める。

「………」
 台所へ引っ込んだ苗木を待つ間、舞園は手持ち無沙汰にテラスに置かれた植木鉢や花壇を見回す。
 花壇には春の花がたくさん植えられていて、まだ肌寒いとはいえ、ここだけ春の陽気が感じられるようだ。
「苗木君以外に人はいないんでしょうか…? 」
 舞園は辺りを見回し、苗木以外に人の気配が感じられないのを疑問に思っていた。
 狛枝は人当たりは良いが、プライベートには全く人を干渉させないことで有名で、彼の家族関係を知る者は少ない。
 苗木を狛枝は親戚の子と言っていたが、親戚の子一人置いて、外出するのは少し不用心だろう。
 それに普段はあまり表情を見せない狛枝が苗木に対しては色んな表情を見せるのも引っかかる点だった。
(でも、それは建前ですね…)
 舞園は一人ごちると、台所で四苦八苦している苗木に目を向ける。
 始めて苗木と会った時、確かに苗木に何かを感じたのだ。
 それは一目惚れに似た、もっと何か別の―…
「お待たせ! 」
 舞園の思考は苗木の一言でかき消された。
「ごめんね、慣れてないから手間取っちゃって」
「いいえ、良い匂いですね」
「名前は忘れちゃったけど、すっごく美味しいんだ」
 そう言うと、苗木は舞園のカップに紅茶を注ぐ。
「苗木君はガーデニングが趣味なんですか?」
「そうなのかな。確かに、植物に触ってるのは好きかな」
「その気持ちが伝わってるんでしょうね。ここの花たちは何だか生き生きしてます。きっと苗木君の育て方がいいんでしょうね」
 ハーブティーの良い匂いと舞園の持ってきたお茶菓子を食べながら二人は話に華を咲かせる。
「…また、来てもいいですか? 」
 話に夢中になって気付かなかったが、いつの間にか辺りは赤く染まり始めていた。
「もちろん。仕事の息抜きにでも遊びに来てよ」
 苗木は去って行く舞園の姿が見えなくなるまで、その後ろ姿を見送っていた。

「あれ、今日も外に出てたの?」
 舞園と入れ違いで帰ってきた狛枝が、倒れ込むように苗木にもたれ掛かる。
「苗木クン、いい匂いがするね」
 そう言って、狛枝は苗木の首元に顔を埋める。
「今日は外でお茶を飲んでたんだ」
「そうなんだ。ボクも苗木クンとお茶したいなぁ…」
 甘えてくる狛枝に苗木は子どもをあやすように、ぽんぽんと頭を撫でてやる。
「体も冷えちゃうし、中入ろう? 」
「……うん」
 狛枝は一瞬、顔を顰めると、すぐに苗木の後を追って家の中へと入って行った。

 狛枝に悪いとは思いつつも、遊びに来てくれる舞園を無下には出来ず、二人は着々と仲を深めていった。
「今日は奮発してケーキですよ! 」
「わぁ、すごい。でもこのケーキ、高いんじゃないの? 」
 繊細に飾り付けられたケーキは、見ているだけで目の保養になる。
「お金のことは気にしないで下さい。私、こうやって苗木君と一緒にいるのが好きなんです」
「ありがとう。ボクも舞園さんとこうやって一緒にいられるのは楽しいよ…」
「苗木君…? 」
 一瞬、顔を暗くした苗木に、舞園は声を掛ける。
「うぅん、何でもないんだ」
 すぐにいつも通りの笑みを浮かべる苗木に、舞園は少しだけ釈然としない顔をする。
 舞園は苗木を元気づけるようにそっと歌を口ずさんだ。
「あ、これ新しい曲?」
「はい。歌詞を書かなきゃいけないんですけど、どうしても上手くいかなくて」
 良いものを、と思えば思う程、手が止まってしまって…と少し苦しげな顔で告げる。
「ボク、舞園さんの曲を聞くと元気が出る気がするんだ。笑顔になれるっていうのかな…」
「笑顔…? 」
「今もそうだよ、こうしてキミと二人で話せるのがボクは…」
 知らず、苗木の頬には涙が零れ落ちる。
 舞園が言葉を掛ける前に、二人の間に大きな声が割って入った。
「どうしてキミがここに…って、苗木クン泣いてるの…? 」
 ものすごい剣幕で二人の間に入ったかと思うと、狛枝は苗木の様子にただならぬ物を感じ、舞園を睨み付ける。
 狛枝のあまりな態度に、舞園も負けじと睨み返す。
「…どういうつもり? 」
「狛枝クン、違うんだ。目にゴミが入っちゃっただけで…」
「スランプで仕事干されてるからってこんな所で嫌がらせ?そんなんだから…」
「狛枝クン!」
「ごめんね、舞園さん。今日の所は帰ってもらえるかな…?」
「……はい」
 そう言うと、去って行く舞園に狛枝は未だに睨みを利かせている。
「狛枝クン、とりあえず落ち着いて」
「だって…」
「ボクは大丈夫だから」
 ね?と狛枝を宥める苗木に、狛枝は押し黙る。

 二人はとりあえず家の中に入ると、リビングの椅子に向かい合う形で座った。
 狛枝は明らかに機嫌が悪いのが見て取れ、二人の間に流れる雰囲気はぴりぴりしている。
「えぇと、どこから説明したらいいかな…」
「全部。最初から」
 子どものように頬を膨らませる狛枝に、苗木は苦笑する。
 実際、狛枝が舞園を好いていないのを知っていながら、舞園と仲良くしていた自分が悪いのだから仕方がない。
「最初からって、舞園さんと会ったのは狛枝クンの現場が最初だけど…? 」
「その前…」
 その前、という単語に納得がいかず首を傾げる。
「……街頭で見かけた時、あの女に親近感持ってたでしょ」
 ジト目でこちらを見つめる狛枝に、やっぱり気付かれていたのかと苗木は溜息を吐く。
「舞園さんは…」
 呼び方が気にくわないのか、舞園さんと言った途端、部屋の温度が急激に下がるのを感じた。
「え、えぇと…彼女とは狛枝クンの現場で会ったのが最初だよ。それで、庭いじりしてたら話しかけられて、それから仲良くなったんだ」
「……どうして泣いてたの?」
 先程までとは打って変わって静かなトーンで問い掛ける。
「それは……」
「ボクにも言えないこと?」
 じっと見つめる狛枝に苗木は息を吐き出す。
「…似てたんだ。昔ボクが好きだった人に」
 
  #  #  #

 それからというもの、少女は暇を見ては化物の元を訪れるようになっていた。
 いつしか化物も少女が来るのを楽しみに待つようになった。
「…綺麗な歌だ」
 化物は少女の歌にじっと耳を澄ます。
「ありがとうございます。歌だけは自信があるんです」
 そう言って笑う少女に、化物もつられて笑顔になる。
「初めて笑ってくれましたね」
「え? 」
「ずっと、不機嫌な顔してたから。笑った方が素敵です」
「……そうか」
 少し照れくさそうにする化物に少女がまた微笑む。
 そして、そんな二人を見つめる影が一つ―…。

「随分、人間の女と親しくしてるみたいじゃないか」
「……何の用だ、絶望」
 化物は起き上がると、少女を睨み付ける。
 腕にかいがしく巻かれた布を見て、少女は鼻を鳴らす。
「イヤだなぁ。私様はお前のお世話になってる子が危ないから教えに来てやったのに…」
「……どういうことだ? 」
 化物はその長く伸びた爪を少女に向かって突き刺す。
 少女はそれを難なく避けると、何でもなかったかのように続けて話し出す。
「さぁね、私様だってちゃんと事情を理解しているわけじゃない。ただ、魔女が何とかってお祭り騒ぎしてたってだけ」
 そう聞くや否や、化物は村への道を走って行った。

 化物が山を下りる頃、硝煙の匂いが鼻をかすめた。
 嫌な予感に冷や汗を垂らしながら、化物は山道を出来る限りの早さで降りていく。
(何が起こってるんだ? )
「…………っ! 」
 村に辿り着くと、そこには血の海に沈む少女の姿があった。
 周りの村人が何かを叫んでいるようだったが、化物にはそんな物はもはや耳に入らなかった。
「おい、お前どこから来たんだ…! 」
 ふらふらと少女の方へ向かう化物を村人が呼び止める。
「ぎゃあっ」
 呼び止めた村人の手は化物の爪によって切り落とされ、痛みに悲鳴を上げる。
 それを見た周りの住民も寄ってたかって声を上げる。
「化物が化物を呼んだ…やっぱり魔女だったんだ! 」
 意味のない叫びを上げる村人に、化物は自身の爪を伸ばして、村人に襲いかかろうとした。
「…やめて、やめて下さい! 」
 そんな化物を、少女が必死に声を振り絞って呼び止める。
 化物は少女の下へ慌てて駆け寄った。
 村人は化物の強さに恐れをなして、遠巻きに二人の動向を見守っていた。
 化物は村人が見守る中、少女を抱き上げると、森へと戻っていった。
「………どうしてなんだ」
 弱々しい声で呟いた化物の頬から流れる滴を、少女はそっと掬ってやる。
「ねぇ、名前、考えたんです」
「え…?」
 少女が小さな声で化物に語りかける。
 化物は足を止めて、少女の言葉に耳を傾けた。
「苗木、誠…」
 少女は化物の顔を確かめるように、目から頬、唇にかけてなぞっていく。
「私にとって苗木君は希望だったんです。この狭い檻から抜け出させてくれるような、そんな気がした…」
「ボクにはそんな力ない…」
「そんなことないです。ねぇ、苗木君、私の分もたくさん生きて下さい。生きて生きて、いろんな人を助けて上げて下さい。あなたにならきっと出来るから」
 そう告げると少女はくたりと倒れ、まるで糸の切れた人形のようにそのまま動かなくなってしまった。

  #  #  #

「狛枝クンがあそこに来る前に懇意にしていた女性にとても似てたんだ」
「その人はどうなったの?」
「ボクが殺した」
 そう告げた苗木の目は、初めて会った頃を彷彿とさせた。
「ただ、懐かしい人に会えて嬉しかった。それだけなんだ。狛枝クンにはいらない誤解をさせちゃったみたいだね」
 気丈にも笑顔を向ける苗木を狛枝は強く抱き寄せる。
「痛いよ、狛枝クン」
「………」
「…ありがとう」
 苗木も狛枝の肩にそっと手を回す。
 ぽたりと涙が苗木の頬を滑り落ちた。

「やっぱり会うの?」
 事情を聞いたとはいえ、やはり腹の虫が治まらないのか、狛枝が苦い顔をしてもう一度問いかける。
「うん、これでもう会わないから」
 ぎゅっと苗木が狛枝の首に抱きつくと、狛枝はそれに応えるように抱き返す。
「…わかったよ」
 狛枝は溜息を吐くと、苗木を送り出した。
 苗木は狛枝に頼んで、家の少し離れた所にある公園に舞園を呼び出してもらっていた。
 苗木が公園に着くと既に舞園はベンチに座っていた。
「舞園さん、急に呼び出したりしてごめんね」
「いえ、いいんです。狛枝さんとは仲直り出来ました? 」
「うん。それで、今日はお別れを言いに来たんだ」
「そんなことだろうと思いました」
 ふふっと笑うと、舞園はベンチから立ち上がった。
 そして、深く息を吸うと歌を歌い始めた。
 苗木は静かに耳をすませる。
 澄んだ歌声は、力強さも併せ持ち、こちらに元気を分け与えてくれるかのようだ。
 悩んでいた彼女が必死で作り出した詩。
 前に進んでいこうとする舞園の気持ちが伝わってくるようだった。
 歌い終わり、少し肩を上下させる舞園に、苗木はぱちぱちと拍手を送る。
「歌詞、書けたんだね」
「私、いつの間にか大事なことを忘れていました。私はこの歌で誰かを幸せにしたかったんです」
「そっか、素敵な夢だね」
「それを思い出させてくれたのは苗木君です。苗木君が居たから、私はこうしてまた歌えるようになったんです」
「ありがとう、苗木君…」
 一瞬、舞園と一緒に彼女の顔が見えたような気がしたが、きっと気のせいだろう。
        
     *  *  *

「ミリオンまであと一歩という所まで売れているこの曲ですが、作詞は舞園さん自ら行ったとか? 」
 音楽番組の司会が舞園に質問を投げかける。
「はい。今まで何度か作詞は挑戦したことはあるんですが、上手くいかなくて。でも今回はある人に会ったことで自分らしさに気付けたというか…」
「ある人とは?」
「遠い昔にあった大切な人です」
「へぇ、恩師みたいな? 」
「そう、ですね。とても大切な人です」
 そう答える少女の姿は以前とは比べ物にならない程、自信に満ち溢れ、キラキラと輝いていた。
 まさに国民的アイドルとしてふさわしい姿と言えた。
「それでは聞いて下さい」
 イントロが流れ出し、少女が高らかに歌い始めた。

「ねぇ、この大切な人って、まさか苗木クンのことじゃないよね?」
 にこにことテレビ画面を見つめる苗木に、狛枝は釘をさすように聞き返す。
「まさか」
「それならいいけど…」
 狛枝はまだ納得していない面持ちだったが、苗木の首に甘えるように抱きつく。
「ねぇ、最近狛枝クン仕事続きだったし、今度どこか旅行にでも行こうよ」
「うん…」
 狛枝はそれだけ言うと苗木の首を強く抱きしめた。
 苗木は狛枝の好きにさせてやると、そっとテレビの電源を消した。
 窓から静かに注ぐ月がさやかに二人を照らしていた。

       







あとがき

春コミでおまけとして配布してました。
狛苗の出会いやら細かい設定などはオフ本を手に取って頂ければ幸いです(←)
本来は別の話を配布する予定だったのですが、思いの外長くなり締切に間に合わなくなってので、慌ててこの話を作ったという経緯があります。
時間が足りなくて至らない部分もありますが、狛苗に舞園さんが関わる話は個人的に好きなので書いていてとても楽しかったです。








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