希望を夢見て



狛(→)←苗、苗舞、日→苗表現有り






 広場の方が騒がしい。
 またパレードか―…。
 窓の外を見つめる苗木の表情は暗い。
 予備学科の抗議運動であるパレードは、苗木にとってみたら予備学科の戯言と単純に切り捨てることは出来なかった。
 苗木自身、こうして本科に属しているものの、他のクラスメイトのように特出した才能があるわけではない。
 一歩間違えれば彼らのようにパレードに参加していたかもしれない、そう考えると複雑な思いを抱かずにはいられなかった。

「何見てるんですか? 」
「舞園さん!? 仕事はもう終わったの? 」
「はい、今日は雑誌のインタビューだけだったので。」
 後ろから話し掛けてきたクラスメイトに、苗木は少しだけ表情を明るくする。

 不思議な巡り合わせというのはあるもので、苗木は希望ヶ峰学園でかつての同輩と再会を果たした。
 超高校級のアイドル、舞園さやか。
 この国でその名を知らぬ者はいない程、有名なアイドルグループの一員である。
 その名声は中学の時から既に轟いており、苗木は彼女と同じ中学に通っていることを密かに誇らしく思っていた。
 舞園は中学の頃から忙しく、クラスが違ったこともあり、苗木が舞園の姿を見たのは数え切れる程だった。
 それだけにたまに舞園の姿を見掛けては、内心喜んでいたのは苗木だけの秘密である。
 こうして希望ヶ峰学園でクラスメイトとなって初めて顔を合わせたに等しいというのに、舞園は苗木のことを覚えてくれていたというのだから驚きである。 
 憧れのマドンナに自分のことを覚えてもらっていた苗木の心情は推して測るべし、だ。
 
「苗木君、良かったらこの後一緒に出かけませんか? 私、放課後に憧れの人と出掛けるのが夢だったんです」
「え、憧れの人って……」
 照れる苗木に舞園は笑うばかり。
 普段と変わらない笑みに自分の勘違いを正すも、胸の鼓動が高鳴るのを押えられない。
「ボ、ボクで良かったら喜んで…」 

 顔が熱くなるのを自覚しながらも、苗木は舞園の提案に頷く。
 あの舞園さんにお願いされて断れる人がいるなら見てみたいよ、と苗木は誰に言うとでもなく心の中で言い訳をする。
 舞園はそんな苗木の葛藤に気付いているのかどうか、くすりと笑って苗木の手を取り、早く行こうとでも言うように苗木を促す。
 苗木はそんな舞園に誘われるまま、夕焼けの中、町へと繰り出した。
 そんな仲睦まじい二人を眺める影が一つ―…。




 希望ヶ峰学園に入学してからの生活は、苗木が思っていたよりもずっと変化のない物だった。
 夢に描いていた希望ヶ峰学園の生活は実際に入ってみれば、普通の学校とさして変わりはなかった。
 特に苗木のような、超高校級の幸運にとっては。
 特出した才能を持たない苗木のような超高校級の幸運達は、希望ヶ峰学園の名に恥じぬようにと、他の学生とは異なった特別プログラムをいくつも受けなければならなかった。
 そこで政治学だったり、経済学だったりと、社会で生きていくために必要な知識を叩きこまれた。
 そのため、下手をしたら他の普通の学生よりも勉強に勤しんでいると言っても過言ではない。
 他にも、月に数回、研究と称して様々な実験に付き合わされた。
 希望ヶ峰学園の職員は職員であると同時に研究者でもあったため、才能についての研究に余念がなかった。
 特に運についてはまだ未開発な部分が多く、それを研究するために色んなことをさせられた。
 才能を崇拝する希望ヶ峰学園にとって、苗木のような存在は異質でしかなかった。
 それで肩身の狭い思いをすることもしばしばあったが、それでも狛枝と同じ希望ヶ峰学園に入れたことを嬉しく思っていた。
 
 周りの生徒は流石超高校級とうたわれるだけあって個性的な人達ばかりで、価値観の違いに眩暈を覚えることもあったが、概ね上手くやれている。
 思い描いていた学園生活とは少し違ったが、大した問題もなく、新生活をそれなりに謳歌していた。
 新生活に慣れると他のことにも気が利くようになり、他の超高校級の情報なども耳に入ってくるようになった。
 その中には狛枝のことも含まれていた。
 希望ヶ峰学園においても狛枝の特異性は際立っていた。
 超高校級の彼らを希望と称して愛して止まず、教師たちも手を焼いているみたいだ。
 狛枝が元気なのを知って一安心するも、最後に見た狛枝の表情が忘れられず、忙しさを理由に未だ会いに行けずにいた。
 またあんな冷たい目で見られたら。そう思うと、どうしても尻込みしてしまう。
 前向きなだけが取り柄だという自覚はあったが、狛枝のことになるとそれも形を潜めてしまうようだ。


「うわっ…!! 」
 上の空で居たせいか、生徒の一人に思いきりぶつかってしまった。
 衝撃で相手の持っていた書類が宙を舞う。
「すみません、ぼーっとしちゃってて…」
 視界を掠めた予備学科の制服に苗木は体を強張らせた。
 予備学科の人々が本科の生徒に対して良い感情を抱いていないのは知っていたので、どうしても警戒してしまう。
「悪い、俺の方こそぼーっとしてたから」
 申し訳なさそうに謝る青年に、悪い人ではなさそうだと思い、一気に肩の力を抜く。
 散らばってしまった書類を拾う青年に、苗木も慌てて書類を拾い集める。
「ありがとな。お前みたいな本科生もいるんだな」
「いや、ボクは別に…」
 人の良い青年の笑顔に少し照れながら、苗木はかき集めた資料を青年に渡す。
 書類を受け取ると、青年は再び軽く会釈をし、教室とは正反対の方向へ足を向けた。

「そっちは研究室しかないよ? 」
 苗木は慣れていないだろうという親切心から忠告をする。
「あぁ、最近、身体の調子が良くなくて、松田って奴に見てもらってるんだ」
「あぁ、松田クンの」
 予備学科である青年が超高校級の才能を持つ松田に看てもらうという事実に苗木は特に不信感を抱くことなく納得する。
 苗木自身、幸運の研究関連で松田とは懇意にしていたので、むしろ青年に親近感を抱いた位だ。
 それは青年も同じだったようで、その日以来、二人はたまに暇を見つけては話すようになった。
 クラスメイトとの仲が悪いというわけではなかったが、超高校級の才能を持つ彼らは苗木と根本的な所で違っており、辟易するのも事実だった。
 その点、日向は一般的な家庭で育てられていた者同士ということもあって、とても話しやすかった。
 日向も本科生なのに飾らない苗木の性格に好感を抱き、二人は着々と仲を深めていった。


 本科の校舎には超高校級の彼らのために様々な施設が整備されている。
 苗木達が屯している植物園もその一つだった。
 普通の植物園とは違い、日本ではめったに見られない食虫植物が植わっている様はとても穏やかだとは言い難かったが、他に訪れる人もいないため、静かに話をするにはもってこいの場所だった。
 いつしか二人はここで共にご飯を食べるのが習慣となりつつあった。

「日向クンはどうして希望ヶ峰学園に入ったの? 」
「うーん、普通に希望ヶ峰学園に憧れてたからかな。そういう苗木はどうなんだ?」
「大切な友達が希望ヶ峰学園にいたから。少しでも近付きたくて……」
「そっか、本当に大切なんだな」
「うん。でも、向こうは違うみたい。昔はいつも一緒だったけど、今は全然……」
「そんなことない、お前のその気持ちで変わることもあるさ。現に俺はお前と会えて良かったと思ってる」
 らしくもなく暗い顔をする苗木に、日向は元気づけるように頭をぽんと撫でる。
 そんな日向の優しさに、苗木は照れくさそうに微笑む。
「日向クンって何かお兄ちゃんみたいだね」
「俺もお前みたいな弟がいたら違ったのかもしれないな」
「え…?」
 ぽつりと零された言葉の意味に苗木が気付くことはなかった。



 あの日最後に交わした言葉は、未だ胸の奥に刺さって、じわじわと鈍い痛みを与える。
 でも自分もあの頃と同じではない。
 これでも希望ヶ峰学園に選ばれた超高校級の一員なのだ。
 昼間の日向との会話を思い出し、苗木はよし、と自分を奮い立たせる。
 
 77期生の宿舎は苗木達78期生のいる階よりもワンフロア上に位置している。
 扉には生徒を象ったドット絵が張り付けてあり、非常にわかりやすい。
 苗木はもう一度深く息を吸い、狛枝の部屋の扉を叩いた。

「………誰?」

 苗木の顔を見た途端、扉を閉めようとするのを、隙間に足を挟んで何とか押し止める。
 こういった強かさは希望ヶ峰学園で少し変わった彼らと暮らす中で身に付けた知恵といってもいいだろう。
 まさかこんな所で役に立つとは思わなかったが。

「何? ボクはもう金輪際近付くなって言ったはずだけど…」
 不機嫌を隠そうともしない狛枝に、覚悟していたとはいえ、やはり身体が竦む。
「それは知ってるよ。でもボクも希望ヶ峰学園に選ばれたんだ。これならボクも……」
「希望になれるんじゃないかって? 馬鹿なこと言わないでよ。希望は特別な才能に愛された者だけがなれる絶対的に素晴らしい物なんだ。キミみたいな何の取り柄も持たない幸運如きがなれる物じゃないんだよ」
「でも、何も持たないボクがこうして希望ヶ峰学園に来れたんだよ? それだって希望だって言えるんじゃ…? 」
「幸運なんて才能じゃないのはキミも分かってるだろ? そんな下らないことにボクを付き合わせないでよ」
 
 とりつくしまもない狛枝に苗木は何とか食らいつくが、狛枝はにべもなく突き放す。
 もはや反論する言葉も失い、苗木は黙ることしか出来なかった。
 話はこれで終わりだとでも言うように、狛枝は苗木を扉から押し出すと、バタンと大きな音を立てて扉を閉じた。
 扉から見えた顔つきは以前よりも眼光が鋭くなっていて、苗木は自分が勘違いをしていたことを改めて教えられたような気がした。
 希望ヶ峰学園からの手紙が来た時、柄にもなく運命を感じていたあの頃の喜びはもうなかった。
 空しさが苗木の心一杯に広がる。
 冷たく閉ざされた扉の前で、苗木は呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
 自分の存在は狛枝にとって最早不快でしかないのだろう。
 目の奥がツンとして、視界がぼやける。
 このまま狛枝の部屋の前で立ち尽くすわけにもいかないので、覚束ない足取りで何とか自分の部屋へ戻ったのはいいものの、先程の狛枝の言葉が延々と繰り返され一睡も出来なかった。



 そのまま悶々としているうちに鳥の鳴き声が聞こえ出し、朝になったことを知る。
 とてもではないが授業に出る気にはなれなかった。
 とはいっても部屋の中に籠りきりでは気が滅入るばかりなので、気分転換に外に出て散歩でもしようと思い付く。
 その考えが間違いだったことに、すぐに身をもって知る事になる。 
 
「授業サボってお散歩か、本科はお気楽でいいよな。俺らみたいな予備学科の気持ちなんか分からないんだろ」
 バンッと強く背中を壁に叩きつけられる。

 寝不足でうまく頭も回らず、宛てもなく散歩をしていたら、いつの間にか予備学科の校舎の方まで来てしまっていたらしい。
 本科の生徒が歩いていることに目聡く気付いた予備学科の生徒によって校舎裏へと連れ込まれ、今に至る。
 苗木は自身の運のなさにこっそりと溜息を吐いた。
 それは彼らの耳にしっかり届いてしまったようで、ますます彼らの反感を買ったようだ。

「ため息なんか吐きやがって、予備学科には付き合えないってか!? すかしてんじゃねぇぞっ!! 」
 容赦のない蹴りにその場に倒れ込みそうになるのを何とかこらえる。
 朝から何も食べていなかったのが幸いしてか、吐瀉することだけは避けられたが、このままでは袋叩きにされるのが落ちだ。
 気付けば予備学科の生徒達が苗木の周りを取り囲み、苗木が万が一にも逃げないようにとバリケードを築いていた。
 彼らが取り囲んでいるせいで、一般的な男子高校生にしては身長が低めな苗木の姿は埋もれてしまい、誰かが助けに来るのを期待するのも難しいだろう。
 ここで彼らの良いようにされるしかないかと、苗木が腹を括った所、聞き覚えのある声が輪の中に入り込んで来た。

「何してるの…?」

 聞き覚えのある声に苗木は、はっと顔をあげる。
 透き通った真っ白の髪に、上下左右に自由に伸びた特徴的な髪型。
 そこには確かに狛枝が立っていた。
 どうして狛枝が予備学科の校舎に居るのかわからなかったが、この状況を打破してくれるならそんなことは些事でしかない。
 心臓の音が先程とは違った風にドクドクとうるさく鳴り響く。
 偶然とはいえ、昨日あんなに冷たく突き放しておきながら、今こうして自分を助けようとしてくれている現状に、また性懲りもなく期待をしてしまいそうな自分がいた。

「予備学科がよってたかって本科を苛めてるってわけ? これだから凡人は…」
「んだと、てめぇ…!! 」
 挑発的に溜息を吐く狛枝に予備学科の生徒が殴りかかる。
 狛枝は拳をひょいと交わすと、そのまま相手の関節を抜いた。
 ごきり。嫌な音がして、相手が地面に倒れ込む。
「粋がるのもいいけど、このことが学園に知られたらどうなるか分かってるの? こんなのでも一応超高校級の一人だからね」 
 狛枝の腕前に恐れをなしてか、はたまた学園側に知られるのを恐れてか、彼らは方々に散っていってしまった。

 珍しく呼吸を少し乱して、狛枝はその様子を見遣る。
 呆然と事の次第を見守っていると、狛枝がこちらを振り向いた。
 その目は相変わらずよそよそしく、心なしか侮蔑の色も含まれていて、先程までの胸の高鳴りは一気に萎んでしまった。
 狛枝が助けに来てくれたことで舞い上がってしまったが、一人を大勢で弄ることが狛枝には許せなかっただけでそこに他意はないのだ。
 自分は何を勘違いしていたのだろう。

「キミ、馬鹿なの? 」
 狛枝の静かな怒声に苗木は体を震せる。
「予備学科の連中は本科を憎んでるっていっても過言じゃない。それなのにこんな所一人でふらふらするなんて、頭の方も残念みたいだね」
「………」
「それで、授業は…? サボりなんていい度胸してるね。勉強位でしか頑張れる所がないんだからもう少し頑張ったら?」
 狛枝の言葉に言い返せるはずもなく、苗木は自身の情けなさに泣き出しそうになるのを唇を噛み締めてやり過ごす。
 黙ったままの苗木に、狛枝は溜息を吐く。
 そんな狛枝の反応に苗木は再び身体を震わせる。

「……泣いてるの?」
「え…?」
「何でもないよ」
 狛枝は苗木の態度に、少しうろたえた様子を見せた。
 何を喋ったのか聞き取れず、聞き返すも、狛枝はまるで苗木には関係ないと突き放す。
 そこにまた距離を感じてしまって、更に唇を強く噛む。
 強く噛み過ぎたせいで、口の中に苦い味が広がる。

「何度も言うけど、ボクの背中はもう追わない方がいい。あの頃とは何もかも違うんだ。どんなに頑張ったってもう戻れないんだから」
「そんな、ボクは……!!」
 抗議するも、狛枝はそれだけ言うとさっさと行ってしまった。
 追いかけようと思えば追いかけられたのかもしれないが、とてもそんな気分にはなれなかった。
 去って行く狛枝の後ろ姿が見えなくなるまでそこに立ち尽くしていたが、また彼らが現れないうちにと苗木も本科の校舎へ慌てて戻った。
 蹴られた箇所の痛みは既になく、狛枝の残した言葉の意味を頭の中で反芻していた。

 自分はあの頃の思い出を追いかけているだけなのだろうか。
 狛枝はあの頃とは別人と見紛う程に変ってしまった。
 自分だってあの頃と全く同じとは言い難い。
 彼と再び友人になれたとしても、あの頃にはもう戻れない。
 それは分かっているつもりだったが、改めて狛枝にそれを指摘されて、自分が狛枝とどうなりたいのか分からなくなってしまった。
 自分は狛枝に何を求めているのだろう。


 幸い、蹴られた傷は日常生活には支障をきたさない程度の物だった。
 怪我が目立たない部分だったのも、個人的にはありがたかった。
 何だかんだ優しいクラスメイト達に要らぬ心配はさせたくなかった。
 授業をサボったこともあって、次の日学校へ向かうと周りに心配されてしまったが、適当にごまかしておいた。
 霧切辺りは納得いかない顔をしていたが、事情を察してか何も言わず見逃してくれた。
 クラスメイトのそんな優しさに顔を綻ばせるも、やはり苗木の気分は晴れなかった。
 身体の傷は時間の経過とともに完治したが、あの日の狛枝の言葉が何度も頭の中を反駁する。
 自分は過去の面影にすがりついているだけなのだろうか。
 それは違う。自分は狛枝がどんなに変わってしまったとしてもと仲良くしたいし、ずっと一緒にいたい。
 狛枝だから、狛枝だから――…。
 この感情は何なんだろうか。
 何度も自問自答しては、あと一歩の所で答えが出ず、悶々とする日々が続いた。



 気が付けば教室にも西日が射しこんでいて、先程まで楽しそうに話をしていたクラスメイトの姿もなくなっていた。
 声を掛けられたのだろうが、考え事に耽っていたせいか、まるで記憶にない。
 窓の外を見遣れば、先程まで練習をしていた同級生の姿もなく、もうそんな時間かと他人事のように感じた。
 まだ帰る気にもなれず、再び窓の外に目を向けるが、景色は一向に頭に入ってこない。
 あの日以来、狛枝の言葉を何度も思い返しているが、一向に胸のもやもやは解消されそうになかった。

「また、狛枝さんのこと考えてたんですか?」
「え……?」
 いつの間にか背後にいた舞園に驚くよりも先に、図星を指されたことに驚きを隠せなかった。
「何で分かったか、って聞きたいんですね。わかります、エスパーですから」
「えっ!?」
 どうしてそれを、と苗木が問いを投げかける前に舞園は苗木を制して答える。
 ふふっと笑う舞園の顔は何を考えているのか、その真意を読み取ることは出来なかった。

「冗談です、苗木君のことなら何でもわかります。ずっと、見てましたから……苗木君のこと」
「そっか、かなわないな」
 弱々しく笑う苗木の目の下にはひどい隈があり、彼と何かあったのだろう、と舞園は感を働かせる。
 そう考え、舞園は苗木に分からない程度に眉を顰めた。


 舞園が苗木を知ったのは本当に偶然だった。
 学校の裏庭に鶴が捕まっていて、それを助けに行った苗木の姿に一目で惹きつけられてしまったのだ。
 その時アイドルとして行き詰っていて、苗木が鶴を助け出す姿にまるで自分が救われたような気分になった。
 芸能界という狭い檻の中で自由に動くことが出来ず、初心を忘れそうになっていた。
 それを思い出させてくれたのは苗木だった。
 本人は知るはずもないだろうが、舞園にとっては本当に大事な思い出だったのだ。
 
 その日以来、自然と苗木に目が行くようになった。
 彼はいつも幸せそうに笑っていて、舞園はその笑顔を見るだけでとても幸せな気持ちになれた。
 彼が自分のファンだと知ってからは、彼のためにもっと頑張ろうと思えた。

 いつからだろう。
 彼が寂しそうに誰かを見つめていることに気付いてしまったのは。
 狛枝凪斗。
 噂だけは知っていたが、どうして温和な苗木が乱暴者で名の通っていた彼を気にするのか理解出来なかった。
 小学校から苗木を知る友人に聞いてみた所、苗木と狛枝がかつて懇意にしていたことを知った。
 苗木が狛枝のせいで怪我をして以来、狛枝の方から距離を置くようになったことも。
 その話を聞いて、舞園はすぐに事態を理解した。
 舞園が苗木を見つめる時、いつも自分以外に彼を熱心に見つめる視線があった。
 今まで特に気にしていなかったが、視線の先を辿ればそこにはやはり狛枝がいた。
 物言いたげそうに苗木を見つめる様に、舞園は自身の考えが間違いでなかったことを確信する。
 彼の細かい事情には興味もなかったが、結局、彼は苗木を大事に想う余り距離を置くことにしたのだろう。
 狛枝の苗木に向ける視線が全てを物語っていた。
 苗木がそのことに気付いていなかったのは幸いか。

 「私、ずっと苗木君のことが好きだったんです。」

 彼があの日見せた笑顔が好きだったから、あの人のことで悲しむ顔をこれ以上見たくなかった。
 自分では駄目なのは分かっている。でも少しくらいなら欲張ってもいいじゃないか。
 汚いのは承知の上だ。それ以上に放っておくからいけないのだ。
 本当に大事なら、自分の身で守らなければ。
 ちらりと教室の外に見えた特徴的な白に向って、届くはずもないと知りながら語りかける。

「へ……? 何言って………!? 」
 あからさまに動揺する苗木の顔に、舞園は静かに自分の顔を近付けた。
 一瞬の出来事に苗木は何が起こったのか分からず茫然としていたが、目の前で微笑む舞園に事態を理解し、一気に顔を紅潮させる。

「少しでも私のこと気になるなら付き合ってくれませんか?」
「………っ!? 」
 舞園の言葉に苗木は驚きの余り言葉をうまく紡ぐことが出来ず、意味のない単語ばかりが口を出る。
「苗木君が狛枝さんのことで頭が一杯なのはわかってます。でも、あの人のことで辛い顔をする苗木君をもう見たくないんです」
 いつもの少し余裕のある態度は形を潜め、必死に言葉を紡ぐ舞園に、苗木は舞園が本気なのだということを知る。
 まさか舞園が自分のことをそんな風に想っていてくれたとは思わず、苗木はどうしていいのか分からず戸惑うばかり。
 舞園はそんな苗木の気持ちを感づいてか、苗木の手をそっと取る。

「私のこと利用してくれていいんですよ?」
 触れた手は分かりやすい程に震えていて、表面上は気丈に笑っていても舞園が緊張していることが苗木にも伝わってくる。
「舞、園さん…」
 かろうじて出た言葉は分かりやすい程に震えていて、苗木は情けなさに内心自嘲する。
 苗木はすっと息を吸い込み、覚悟を決める。

「ボクで良かったら喜んで」
 そうぎこちなく笑って、苗木は舞園の手を握り返す。
 苗木の言葉に舞園は本当に嬉しそうに微笑む。
 教室に射しこむ西日が二人の頬を更に赤く映し出していた。
 舞園と付き合うようになったからといって、大した変化があったわけではない。
 舞園は仕事で忙しかったので、彼女がオフの日に二人で出かけたりするだけの、友人の延長線上のような微妙な関係を続けていた。
 キスもあの日舞園がしただけだったし、ましてそれ以上先のことなど勿論していない。
 苗木の戸惑いを知っているだけに、無理強いはしてこないのだろう。
 女性に気を揉んでもらうことに情けなさを感じていたが、舞園のことを好きかと問われるとはっきりと答えることが出来なかった。
 舞園のことは勿論好きだが、それは憧れの部分が多く、まさかこんなことになるとは思わなかったというのが正直な所だ。
 あの舞園さやかと付き合っているという事実に未だに実感が湧かず、苗木は自身の感情を持て余していた。


「彼女が出来たんだ……」
「ブハッ」
「わわ、日向クン大丈夫!? 」
 急に飲み物を吹き出した日向に苗木は慌ててハンカチを差し出す。
 苗木からハンカチを受け取ると、慌てて服に飛んだ液体を拭い出す。
「彼女が出来たって割には、暗い顔してるんだな 」
「ボクのことを好きだっていってくれる子がいて、その子と付き合ってみることにしたんだ…」
 言い淀む苗木に日向はにっこり笑って苗木の肩を少し強く叩いた。
 苗木はその衝撃に少しだけ肩を上下させる。
「そういうことなら、俺とこんな所で一緒に食べるより、彼女と一緒に食べてやった方が良いんじゃないか?」
「そうなのかな? でもすごく忙しい人なんだ。それに、ボクは日向君とこうやってご飯食べてるのが好きだから」
 迷惑かな?なんて普通に聞いてくるのだから性質が悪い。
 苗木に彼女が出来たと聞いて一瞬心臓が止まるかと思ったが、彼がこうして自分との関係を大事にしてくれることが純粋に嬉しかった。
「俺も苗木とこうしてるのは楽しいよ」 
 日向は内心の動揺を気取られないように、何とか笑いかける。



 心の奥に引っ掛かる物を感じながら、苗木はそれなりに幸せな毎日を送っていた。
 舞園との関係も良好で、全て上手くいっているような錯覚を起させた。
 頭の奥で呼び掛ける違和感には必死に気付かないふりをした。

 そして、穏やかな日々は静かに瓦解していく。







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