一輪の小さな薔薇 | ナノ

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私が退院してから数日が経った。退院してから二、三日はパウリーさんが暇を見ては家に来て、思い出してもらおうと色んな世間話をしに来てくれていた。なのに、最近は全然姿を見ない。ルルさん達曰く、酒場にも何回か来ていたらしいが、私が退院してからは一度も来ていない。

私、何かしてしまっただろうか。特に恋人関係とかでは無いはずなのに、とても気になってモヤモヤしていた。


「コーヒーどうぞ」
「悪ぃな」


今日は珍しくザンバイさんが私の話を聞いて、家まで訪ねてきてくれた。彼の前に淹れたてのコーヒーを置き、私は向かいに腰を下ろす。


「パウリーさんの事、忘れてんだって?」
「……はい」
「それ以外は?」
「覚えてないってわかってるのは、パウリーさんの事だけです」
「そうか」


目を伏せながら言えば、ザンバイさんは小さなため息をつき、コーヒーを口にした。私だって忘れたくて忘れたわけじゃない。記憶を失う前は、彼とどんな関係で会うとどんな会話をしていたのか知りたいくらいだ。


「ザンバイさん」
「ん?」
「私とパウリーさんって、どういう関係だったんですか?」
「オレはナマエがパウリーさんと知り合いだって事は最近知ったからなぁ。 あの時、ナマエに会ったときは気がついてなかったみたいだが、その次の日に会ったときお前はパウリーさんの事が好きだと言ってたぞ」
「私がパウリーさんの事を……?」


その話を聞いて、私は彼に対しての不思議な気持ちに気がついた。そっか、だからとても気になってたんだ。しかし、ザンバイさんが言った"あの時"という言葉が引っ掛かった。


「ザンバイさん、あの時って?」
「あぁ、プッチで仕事中のオレたちと会ったときだ」
「え!?」


ザンバイさんの口からプッチの名前が出てきてつい声をあげてしまった。やっぱり私は記憶を失う前、プッチに行ってたんだ。なら、一緒にいたのは誰なのか、ザンバイさんは知っているかもしれない。私は鼓動が早くなるのを感じながらも彼に恐る恐る尋ねた。


「あ、あの……プッチで会った時、私……一人でした?」
「いや、パウリーさんといたぞ。 その時にお前から前の人は吹っ切れたって聞いたな」


ザンバイさんの言葉で私は何となく思い出したプッチの記憶で隣にいた黒く霞んだ人影とパウリーさんを重ね合わせてみた。それはピタリと当てはまり、あの時の事を思い出した。そうだ!! 彼にデートを誘われて、プッチまで行ったもののザンバイさん達に会った後、私はパウリーさんの手を繋いで、気まずい雰囲気になってしまったんだ。

もしかして──。と私は慌てて立ち上がり寝室にあった小さな薔薇が入った小瓶を手に取り、また元のイスへと戻った。


「それは?」


私が寝室から持ってきた小瓶を見て、不思議そうな顔をしているザンバイさん。そんな彼に私は手に持っている小瓶を眺めたままぽつりと呟くように口を開いた。


「大切なものです」


大切なもの──…。誰かからのプレゼントかわからないが、とても大切な小瓶。きっとこれが割れてしまったらショックで泣いてしまうだろう。私はこのプレゼントをくれた黒く霞んだ人を先程同様、パウリーさんと重ね合わせてみればやはりピタリと一致した。

これは、パウリーさんからのプレゼント。そうだ、これはペーパーウェイトを壊したお詫びだってくれたもの。これを貰ったとき、私はあまりにもキレイだったため、見入っていたんだ。

なら、他の黒く霞んだ人はパウリーさんかもしれない。そう思い、私は全てに彼を重ねてみればやはり一致して。初めて会ったのは家ということも、頻繁に家に来るようになったことも、突然の雨でガレーラの副社長室に行ったことも。

そして私があげたボトルシップをあげようとした日に、ファンに言われたことを気にして彼を諦めようとしていたことも、その時に彼に不意打ちのキスをされた事も。

全部思い出した。しかし、未だに何故階段から転げ落ちたのか思い出せない。


「あの、私が何で階段から落ちたのか原因知ってますか?」


ザンバイさんにそう聞いてしまったものの、見た訳じゃないのに知ってるはずがない。私は何を聞いているんだ。と自分の行動に呆れていれば思いもよらぬ返事が返ってきて。


「え? パウリーさんの借金取りに追われて足を踏み外して落ちたんだろ」


ザンバイさんは現場を見てたのか。と思うようなくらいサラッと答え、その言葉で私は失っていた記憶を全て取り戻した。