一輪の小さな薔薇 | ナノ

23


私が意識を取り戻して数日。今日の朝、先生が最後に診てくれてようやく退院許可が降りた。

階段から落ちた事は覚えている。だが、誰かに追われて足を踏み外したのか、ただ単に私が自分で階段を踏み外したのかはわからない。思い出そうとすると頭痛がしてくる。

それにしても──。まさかパウリーさんと私が知り合いだったなんて。面識はないはずなのに。覚えてない事を言ったら皆に驚かれたし。最近知り合ったらしいが全然わからない。

記憶の事を考えながらも、帰る支度をし終えた時、病室の扉がノックされた。


「はい」
「……ナマエ、……入っていいか?」


声の主に「どうぞ」と言えば、扉が開き、そこにはパウリーさんが立っていて。だが、彼は部屋に入ってこようとはしない。なぜ入らないのか、小首を傾げていれば、私のバッグに目を向け「今から帰るのか?」と尋ねてきた。


「はい」
「そうか……なら、家まで送ってやるよ」


さっきまで扉のところに立っていて入ってこようとしなかったのに、帰る事を伝えれば部屋に入ってきて、鞄を私から取り上げ、部屋を出ていってしまった。


「あッ!! ちょっと!」


そんな彼の後を慌てて追いかけ、追いつくも鞄は「持ってやる」と言ってきて返してはくれない。この人はこんな強引なの? そう思いながらも、仕方なくパウリーさんと肩を並べて家へと向かう。

その行動をした時、何故かふと"美食の町 プッチ"を思い出した。最近行ってないはずなのに、最近の事のように思い出す。そして何となく隣に誰かいた気がした。だが、その隣の人は黒く霞んで誰だか思い出せない。

カクさん──。いや、違う。理由はわからないけど、私はカクさんの事吹っ切れたはず。……じゃあ誰?


「ナマエ!」
「あっ、はい!」


パウリーさんに大声で呼ばれ、我に返るとすでに家の前に着いていた。いけない、ずっと考え込んじゃった。黙り込んでいたせいか彼が怪訝な顔をして「大丈夫か?」と尋ねてくる。


「はい。 ごめんなさい、考え事してて。 家までありがとうございます。 あっ、家来ますか? コーヒー淹れますよ」
「え……」


お礼を言い、自然とでた言葉を特に気にすることなく言えば、何故かパウリーさんは驚いた顔をしてきて。そんな反応するもんだから、何か変なことを言ってしまったかと思ってしまう。「どうしたんですか?」と聞いてみればパウリーさんは驚いたまま口を開いた。


「思い出したのか?」
「え?」
「いや、いつもオレが来るとそうやって"コーヒー淹れますよ"って言ってくれてたから」


パウリーさんはとても嬉しそうに言っているが、私はそれを否定するように首を横に振った。それを見た彼は一瞬にして笑顔が消え、悲しい顔になってしまう。この悲しい顔を見ると、何だか悪いことをしているような気がして心が苦しくなってくる。でも、思い出していないのは本当だから、嘘つく訳にもいかない。


「……ごめんなさい」
「いや、ナマエは悪くねぇよ。 じゃあな」


申し訳なくて謝れば、更に悲しい表情をして鞄を私に返し、去っていってしまった。家から去っていく彼の後ろ姿はとても悲しそうで、私はそんなパウリーさんの姿を見えなくなるまで見つめていた。



そして家に入り、横になるため寝室へと直行する。ベッドへダイブし、横になれば窓際にある小瓶が目についた。一輪の薔薇が入った小瓶。それを手に取り、日に当てればキラキラと輝いて。


「これは……」


誰からのプレゼント? 誰かがくれた事はわかるのに、その事を思い出そうとすれば、また黒く霞んでいて。あなたは誰なの──? そう問いかけたところでわかるはずもなく、しかし小瓶はとてもキレイで、何故だかとても大事なもののような気がした。

そして、小瓶の中に入っている薔薇を見て、カクさんからもらったペーパーウェイトを思い出す。


「あれを壊したのも、確か誰かのはず……」


思い出せない。また霞んでる。思い出そうとすればするほど、頭も痛くなってきて。そして私は考えるのを止め、頭を休めるように眠った。





*   *






"この方は誰ですか?"

ナマエのあの一言でオレは魂が抜けたような気分が続いている。ルル達に、思い出せるようなるべく毎日顔を見せた方が良いんじゃないかとアドバイスをされ、毎日ナマエのところへ通っているが、未だに思い出していない。


「くそッ」


副社長室でデスクに向かっているが、仕事が手につかない。そし昨夜、なぜナマエが階段から落ちたか知ったときは言葉を失った。まさかオレのせい──…。いつもオレを追いかけてる借金取りはナマエをオレの女だと思ったらしくつけ回したとか。それでアイツは逃げてる最中に転げ落ちたと聞かされた。ファンの事もそうだ。オレと関わったばっかりに。


「なら、もうオレと関わらない方が幸せなのか……」


そうだ。アイツはオレと関わらなければ不幸に見舞われる事はなかった。だが、自分の家に飾ってあるナマエからのプレゼントのボトルシップを思い出した。オレは、ナマエを諦められるのか。と聞かれたら無理だろう。短期間だが、ここまで人を好きになったのは初めてだ。諦めなければと思えば思うほど、胸が苦しくなって。ふとナマエが少し前まで、カクを好きだったことを思い出した。


「そういや、あれ……大事にしてたな」


独り言をポツリと呟き、葉巻をふかす。好きな人からのプレゼント。そして、諦めなければいけない状況。なんだか出会ったばかりの時のナマエと同じ状況な気がする。……今思えば、あいつはとても辛かったのか。でもナマエは大事にしてたあれを壊したら、怒られるどころか笑ってお礼を言われた。

なたオレも──…。いや出来ねぇ。ナマエからの大事なプレゼントを壊したり捨てたりするなんて。なら自力で諦めるしかねぇのか。そしてオレはひとつの結論に辿り着いた。

もうナマエと会うのはやめよう。どうせ、今までのオレの記憶はないんだ。それにキスしてしまった時拒まれたんだ。フラれたも同然。記憶が戻ってもオレとは会いたくないだろう。


その日を境に、オレはナマエとの関わりを絶った。