堕ちゆく天使 | ナノ

07

パタンと誰もいないレイジュ様の部屋の扉を閉めて、心の中でため息をつく私は不安でいっぱいだった。今日、イチジ様とレイジュ様はジャッジ様の命令で戦争に出向いている。それはいつもの事だし、これは私の勝手だけどイチジ様とレイジュ様という組み合わせになってほしくなかった。今、ニジ様とヨンジ様に会ってしまったら逃げられない。イチジ様は何を考えているかわからないけど、絡まれていれば必ず助けてくれるし、レイジュ様も助けてくれる。二人に頼りきってしまっている自分がいる事も、自分でどうにかしないといけないということもわかっている。

でもやはり、拒んだときの仕打ちが何よりも怖かった。


レイジュ様のお部屋を掃除し終えた私は、彼らに出会わないよう、急いで厨房へと向かう。そこにはシェフ等の使用人が一番集まっている場所だから最悪、身も隠せる。

しかし──。



「よぉ、ナマエ」
「ッ!! ニ、ニジ様」


不運な事に厨房に着く前にニジ様に遭遇してしまった。遭遇したことで、嫌な表情を浮かべないよう、平然を装いながらも「何かご用でしょうか?」と訪ねてみれば、口元はカーブを作り、ニヤリと笑みを浮かべていて。ポケットに入れていた手を出しながらもゆっくりと、靴音を立てながらも近づいてくる。


「イチジのおもちゃだが、……まぁ本人がいなきゃバレねぇよな」
「あ、あの」
「お前が黙ってればな」


そう良いながらも近づいてくるニジ様から逃げるように後ずさりをしていれば、廊下の壁に背中が当たり服越しにヒンヤリと壁の冷たさが伝わってくる。そして逃げられなくなってしまった。逃げられないとわかったのか、更なる笑みを浮かべるニジ様。こうなってしまったら、もう嫌な予感しかしない。


「黙って、られるよな?」
「ッ……」


その言葉に頷く事は出来なかった。頷いたら、これからされる事を承諾する事になる。でも、断ればその仕打ちが恐ろしい。どっちも選べることなく、私はその場でニジ様から目を逸らして俯いてしまった。しかし、ニジ様はそれを肯定だと思ったのか私の両肩を押さえてきて。


「!!!」


驚きのあまり顔をあげれば、ニジ様の顔が一瞬だけ知らない男の人になった──。


「いやぁ!!」
「!!」


知らないはずなのにその男を見た瞬間、恐怖が込み上げてきて、咄嗟に声をあげてニジ様の体を押し返してしまった。反射的にやってしまったとはいえ、我に返った時には時すでに遅く、ニジ様の顔を見れば先程の笑みは消えている。とても怒っているようで、その顔を見て一気に血の気が引いた。


「テメェ……おれを誰だと思ってやがる!!」
「ッ、申し訳ありません!! その何か、が……フラッシュバックしたような……」


慌てて謝るも、ニジ様には関係のないこと。そうと分かっていても恐怖のあまり本当の事を話しても言い訳としか受け取ってもらえなくて。


「んなもん知るかッ!!」
「ッう"!!」


そして私の脇腹に強い衝撃が加わり、視界が歪んだ。


背中に痛みを感じたのと同時にドォンという音も聴こえてきて。その直後、身体全身に痛みを感じる。痛くて、痛くて動けない程。力が入らない私の体はどうやら、ニジ様に蹴られて壁に激突したらしい。そして床にうつ伏せに倒れ、頬から廊下のヒンヤリとした冷たさが伝わってくる。


「う、」
「好みだから、可愛がってやろうと思ったのに。 召し使いの分際で生意気なんだよ」
「ッぅ!!!」


倒れている私の腹部を何度も、何度も、何度も蹴ってくるニジ様。身体中痛いのに、更なる強い蹴りで痛みは強まる一方。

──痛くて、辛くて、怖い。誰か、助けて……。

その時、一番に頭に浮かんだのは何故かイチジ様だった。

イチジ様、助けて。


「っあ"!!」


痛む背中を思いっきり踏まれ、身体中に電気が走り、声をあげればニジ様はケラケラと笑っている。ダメだ、私殺されちゃうのかな。

そう思っていれば、足音が聞こえてくる。

もしかしてイチジ様達が帰ってきたのかと、少しばかり希望の光が見えた気がしたが、それは直ぐに消えてしまう。


「ヨンジか」
「何面白いことしてんだよ」
「コイツ、おれに歯向かったから躾してるところだ」
「だはは!! ニジに歯向かうとか面白ぇ!!」


その足音の正体はヨンジ様だった。最悪だ、最悪の組み合わせだ。


「でも、イチジに何か言われるぞ」
「顔は手出さねぇよ」


服の下ならバレないと思っているらしい。先程から蹴られている部分は確かに服で隠れる場所だけ。だからといっても、身体の痛みは限界まで来ていて、私の意識は朦朧としてきた。


「はぁ、……こいつのせいで気分下がったぜ」
「じゃあ、ストレス発散しに行くか?」
「あぁ」


ぼんやりとしたまま、そんな会話が聞こえてきた後。私の意識は遠退いた。





*   *






「ん……」


ゆっくりと目を開ければ、見たことのある白い天井が目に入り、ツンッとした刺激の匂いが鼻を通り抜ける。あれ、ここはどこ。何故自分はここにいるのか、記憶を頼りに思い出そうとしながらも起き上がろうと思えば、身体中がズキンと痛んだ。


「いッ……たいッ!」
「ナマエさん、起きました?」
「!!……あの、私」


この身体の痛みで思い出した。そうだ、ニジ様に散々蹴られたんだ、でも……何で医務室に。身体が痛むのを我慢しながら起き上がれば、医療班の方が私に声をかけてきて。私は彼に何でここにいるのかを聞いてみた。


「料理長が気絶しているナマエさんを運んできました」
「……コゼットさんが……」
「はい。 身体に湿布を貼ってありますので」
「あ、ありがとうございます。 あの……レイジュ様は」
「まだお帰りにはなっていないと思いますよ」
「そうですか」


良かった。どのくらい気絶してしまっていたのかわからないけど、でも仕事はしなくちゃ。私はいつレイジュ様が帰ってきても良いように横になっていたベッドから立ち上がる。


「ッ、」


しかし身体中の痛みが歩く度に、服が身体に当たる度に痛む。これじゃあまともに歩けない。でも、レイジュ様に助けられて、誰かもわからない私をここに置いてくれているんだ。何としてでも、仕事をしなくちゃ。

そう考えながら痛む身体にムチを打ちながら、ゆっくりと歩き、医務室の扉を掴み、開けた時。


「ナマエ!」
「レ、レイジュ様!!」


丁度、お帰りになったレイジュ様が医務室の前を通りかかり遭遇してしまった。彼女の数歩前にはイチジ様の姿もあって。タイミングの悪いときに出てしまったらしい。身体の事は黙っておこうと思ってたのに、医務室から出てきたら何があったのか聞かれてしまう。

そしてその不安は見事に的中する。


「ナマエ、どうして医務室から?」
「えっと、あの……ちょっと、……掃除をしてましたら怪我をしてしまって」
「何処を怪我したの?」


心配してくれるのは嬉しいのだが、正直ニジ様が怖い。またあんな目に合うんじゃないかって。しかしレイジュ様は真っ直ぐに私を見据えてきて、しかもイチジ様も腕を組みながら無表情のまま私をジッと見てくる。


「あ、いえ……もう大丈夫ですので!!」
「……そう」


誤魔化せた。
そう思っていたけど、この時レイジュ様は納得していなかったようで。結局、後に詳しく聞き出されてしまった。





そして、その日の夜。

いつものように食堂の扉の近くで待機をしながらも、ついニジ様とヨンジ様に目が行ってしまう。


「あら、ニジとヨンジ、その顔どうしたの?」
「何でもねぇよ」
「……」


明らかに不機嫌のニジ様とヨンジ様。しかしその不機嫌の原因を言わない。それにレイジュ様が聞くように二人の顔は歪んでいて、そのまま食事をしている。二人のあんな姿を見たのは初めてで、正直驚いたし何があったのか気になるが、とにかくもうあの二人とはなるべく関わりたくないと思った。

(2018/02/17)