堕ちゆく天使 | ナノ

06

レイジュ様の部屋で昨日の事を話した後、彼女にもう部屋に戻って良いと言われ、部屋を出たとき。丁度部屋の前を通りかかったイチジ様と遭遇してしまい、また部屋へ来るように言われた。

やはり私をオモチャとしてしか見ていないのだろうか。だから私を自分の召し使いにしようと……。しかし、いくら考えても本人でない限りわかり得ない為、答えなんて出るわけもなく。

イチジ様が居なくなったのを見計らい、レイジュ様の部屋に戻った私は、イチジ様に言われた事を話せば「行ってはダメ」と彼女から言われたものの、正直イチジ様の言われた通りにしなかった後が怖かった。だから……。


「き、来てしまった」


真夜中、レイジュ様達も使用人も寝静まったであろう時間に部屋を抜け出してイチジ様の部屋の前で立ち尽くす私。しかし、このまま薄暗い廊下に立っていても仕方ないので、覚悟を決め、早まる鼓動に震える手を落ち着かせながら扉をノックした。


「誰だ」
「ナマエです」


控えめの声で名乗れば「入れ」とだけ、返ってくる。緊張と恐怖で汗ばんでしまっている手でゆっくりと扉を開ければまた昨日のようにフワリと風が吹いてきてまた下ろしていた長い髪が靡いた。部屋の中を見れば、昨日と同じく部屋の電気は付いておらず、バルコニーの扉は開いていて、両サイドにあるカーテンも靡いている。しかし、昨日と違うのはイチジ様がいる位置。昨日はバルコニーに出ていたが今日はソファに座りながら、スタンドライトを付け、本を読んでいた。


「イチジ様、あの」
「座れ」
「……あ、はい」
「……」


私はイチジ様の言葉で戸惑いながら、その場の床へ正座した。突然"座れ"だなんて言われた瞬間は驚いたが、もしかしたら何か失敗をしてしまったのではないか。と不安になりつつ、正座した私は本を読んでいる彼を見上げれば、何故か眉間にシワが寄っていて。怒ってる?まさか、私よほどいけない事やらかしちゃったのかな。イチジ様の顔を見るなり、恐怖心が徐々に大きくなっていき全身が震え始めていた。

しかし、次にイチジ様に言われた言葉は意外なもので。


「誰がそこに座れと言った」
「え、あの……」


……なんかもう訳がわからない。座れと言われて座ったのに、なぜ怒られるんだ。混乱しながらも「申し訳ありません」と謝りながら立ち上がれば、イチジ様は目線を本に戻しながら私に「ソファだ」と小さな声で言ってきて。まさかそんな事を言われるなんて思ってもなかったし、召し使いである私が彼の隣に座るなんて事が出来るわけもなく。


「いえ、あの……そんな私なんかが……」
「早くしろ」
「……は、はい」


なんとか言い訳をして回避しようとしたが、睨まれてしまえば逆らうことなんて出来るわけがない。ソファに座れば、思っていた以上にふかふかで上質のものだとわかるほど。でもなんだろう、この感じ……覚えがあるような。忘れてしまっている記憶を刺激されたような気がして、必死に思い出そうとしながらも、隣を見れば本に夢中なイチジ様。


そして静かな時間が流れる。


今日は風もそれほど強くないため海は穏やかで、時おり聞こえてくるのはイチジ様がページを捲る音だけ。

そんな中、やることのない私は高級品が置いてある部屋を見渡し、目が止まったのはバルコニーで。そこからは夜空と満月が見えていて、とてもキレイだった。それにバルコニーも見たことあるような。失っている記憶と何か、関係があるのかな。


忘れてしまっている記憶は、ここのバルコニーを知っているの?しかし、考えても考えてもわからない。

そんな事を考えている時だった。


突然隣からパタンと本を閉じるような音がして、咄嗟に目を向ければ閉じた本をスタンドライトに置いてソファから立ち上がるイチジ様。どうしたんだろうと、私も慌てて立ち上がれば、私の顔を見ることなく「来い」とだけ言い歩き出す。その行き先は、私をぼんやり見ていたバルコニーで。

イチジ様に着いてバルコニーに出れば、雲一つない空に満月と星空が広がっていた。


「わぁ、キレイですね! 私ここに来てから夜空見上げた事なくて」
「……」
「あ、勝手に喋ってしまい申し訳ありません」


思っていたよりもキレイだった星空に気持ちが高ぶってしまい、つい心の声が出てしまった。きっと私の事情なんて興味ないし、召し使いのくせになんて言われてしまうだろう。私はイチジ様に怒られてしまう前に慌てて謝り、頭を下げればまたしても返ってきた言葉は意外なもので。


「別に良い。 お前はこれを見ただけでなぜ笑える」
「え……えっと、それは夜空がきれいでしたので」


バルコニーで並ぶ私たち。その隣から見下ろしてくるイチジ様の顔はいつもと変わらないものの、なんだか不思議そうな顔をしているように思えた。"笑える"って私、星空見て、笑顔にでもなってたのかな。もしそうなのだとしたら、完全に無意識だ。確かに私は星空が好きなのかもしれない。



──だって、普段あまり見れないから。




……え。今。何か。

何か、こことは違う景色が一瞬、頭の中を過った。それはここと似たようなバルコニーなのに見たことあるような、懐かしいようなそんな景色で。何だろう。忘れてしまっている記憶と関係があるんだろうか。もしかしたら、思い出せるかもしれない。

そう思って、頭の中を過った景色を懸命に思い出そうとすれば、ズキズキとした痛みが襲ってくる。


「っ……」
「どうした」
「いえ、……何でも、あ……りません……」


徐々に強くなる頭痛に耐えきれず、両手で頭を抱えれば異変に気がついたイチジ様が声を掛けてくださるが、返事するのも儘ならない程。まるで何かに思いきり頭を叩かれているような、そんな痛みで。

冷や汗も出てきてしまい、立っていられなくなり、倒れてしまった体からバルコニーの床の冷たさを感じながら、意識が遠退いた。










「ん……」


微睡みから目覚め、一番に目に飛び込んできたのは明るい部屋の天井。ここはどこだっけ。ぼんやりしたままの頭で、考えていれば近くでページを捲るような音が聞こえてきた。……本かな。えっと、……確か私は……。


「!!」


ページを捲るような音のお陰で一気に思い出し、体を起こせば部屋の電気が付いているイチジ様の部屋で、しかも私が横になっていたのは彼のベッド。そしてイチジ様は私が来た時に座っていたソファでまた本を読んでいて。その瞬間、全身の血の気が引いた。やってしまった。いくら頭が痛くなったとはいえ、ここで倒れてしまうなんて。しかもイチジ様のベッドで。

私は急いで、キレイに整えられていたベッドから降りて「申し訳ありませんでした」と頭を深く下げた。


「今から、ベッドメイキングさせていただきます」
「別に良い」
「し、しかし……」
「もういい。 部屋に戻れ」
「……はい。 申し訳ありませんでした」


謝っても、直させてはくれないイチジ様。しかしそれ以上なにも言えず私は彼の言う通り、部屋に戻ることしかできなかった。

(2018/02/07)