堕ちゆく天使 | ナノ

04

"今夜おれの部屋へ来い"


そう言われてから、数時間が経ちレイジュ様が戻られた。私が自分の仕事をしていれば、彼女は何もなかったかと聞いてきたが、イチジ様の事は言って良いのかわからず、結局言えなかった。

言っていれば、部屋へ行かなくて済んだかもしれない。でも言ってしまったら後々、何か言われそうで怖かった。彼らならやりかねない。しかし、イチジ様はニジ様達より何を考えているのか、表情にもあまり出さないせいか全くわからない。普段は私の事を気にも止めていないようなのに、急に私の顔をジッと見てきたり、ニジ様の言葉に乗っかるような事を言う。

もしかして私、レイジュ様の召し使いだけど警戒されてる?ちょっとでも何かしたら殺されちゃうとか。

そんな事を考えていたせいで、背筋がゾクリとした。しかし、部屋の時計を見れば、そろそろイチジ様の部屋へ行かなくてはいけない時間。その場しのぎで言ったのかもしれない、とも考えたが行かなかったら行かなったで何かされそう。それだけは避けたかった。

私がここに来て、同じ使用人の女性が見るも無惨な姿にされたのを見てから、彼らに対しての感情も変わった。完全に埋めつけられた恐怖心。彼らは女性に対しても容赦ない、特にニジ様は。だから、余計に関わりたくはなかったのに。


私はそっと部屋を出て、薄暗い廊下を一人歩く。もう廊下は人気がなく、使用人達も休んでいるようだった。

そして、目的地であるイチジさまの部屋の前へと着いたが、ノックしようとするもバクバクと鼓動が早まり、緊張と恐怖が入り交じった汗も出てくる。でも、ここでずっと立っていられない。

私は意を決して、コンコンッとノックをした。


「誰だ」
「ッ、ナマエです……」


ノックをすれば、中からはイチジ様の声が聞こえてくるも少し声が遠いような気がした。入れ、と言われた私はゆっくりとその扉を開ければ、ふわりと少し冷たい風が吹いてきて下ろしていた長い髪が靡く。

中へ入れば、部屋の奥にあるバルコニーの扉が開いていて、バルコニーにはイチジ様の姿があった。電気も付けず、開ききった扉から風が吹き込んできて、両サイドのカーテンが靡いている。そして月明かりだけに照らされている彼の後ろ姿は、何だかどこか悲しそうで、いつものイチジ様らしくなかった。しかし、召し使いの私が何か言える立場ではない。私は部屋に少し入ってから、満月を眺めたままのイチジ様に声をかけた。


「イチジ様……私は何をすればよろしいでしょうか」
「……お前、確か海に流されてたんだったな」
「!! はい」
「なぜ、流されていた」
「ッ……」


とても答えにくい質問をされて口ごもってしまう。記憶喪失だということは、ジャッジ様から内密にするように言われたから。なぜ記憶喪失を隠すのか分からないけど、ジャッジ様に言われたのなら断れないし、破れない。しかし、答えない私を不審に思い振り向いたイチジ様。


「答えろ」
「申し訳ありません。 その事はジャッジ様からきつく口止めされていまして」
「父上が?」
「はい、」
「……そうか」


謝りながら頭を下げてジャッジ様の名前を出せば、それ以上聞くことをやめるイチジ様に私はホッと胸を撫で下ろす。よかったこれ以上追求されたりしたら、黙っているなんてできなくなる。


しかし私がそんな事を思っていればイチジ様は歩き出し、その姿を目で追えば、部屋のドアの前で止まった。一体どこへ行くのか、ポカンと立っていればイチジ様に来い。とだけ言われて、私は慌てて、彼の後を追いかけた。


何の説明もないまま、黙って薄暗い廊下を歩く。前を歩くイチジ様は私に声をかけるどころか、黙って静かに歩いている。どこへ連れていかれるのか、全く予想出来ない。もしかしてこのまま私、始末されちゃうんじゃ。と、いろんな考えが出ていてしまい、身震いする。


しかし、着いたのは何故かレイジュ様の部屋の前。レイジュ様の部屋からは少しだけ、明かりが漏れていてまだ起きているようだった。でも何で?レイジュ様に何か用があったのか。それとも私の事?

全くわからず、そっとイチジ様後ろから声をかけようとすれば、突然後ろを振り向いてきて。


「お前はもう部屋で休め」
「え、……あ、はい」


まさかそんな事を言われると思ってもなかったせいか、彼の口から出てきた言葉に驚いてしまった。しかし、その場で立ってても、怒られてしまうかもしれない。疑問はいっぱいあったけど私は失礼します。と頭を下げ、レイジュ様の隣の部屋へと入った。

パタンと扉を閉めて、月明かりだけで照らされている部屋を見渡すも、頭の中はすぐにイチジ様になる。何で部屋に戻って良いって。じゃあ、何で私を部屋に呼んだのかな。ただそれだけ、その疑問だけが私の頭の中をぐるぐると回る。

それにレイジュ様に何のようなのか。召し使いの私が気にする事ではないんだけど。でも確か、以前もレイジュ様とイチジ様が真剣に何かを話していたっけ。

何となく、それが気になってしまって私は勝手に体が動いていた。盗み聞きだなんて良くないし、二人にバレたら怒られそうだ。しかし、興味の方が勝ってしまった。私が部屋を出れば、廊下には少し明かりが漏れていて、レイジュ様の部屋を見れば、ナイスタイミングと言わんばかりに扉が少しだけ開いていた。

大丈夫、大丈夫。たまたま聞いちゃっただけ。たまたまね。そう言い聞かせながら、そっとその隙間を覗き込めば、以前にも見たことある光景で。やはり二人が真剣に話している姿だった。


「何度来てもダメよ。 今のアナタには渡せないわ。あの子が傷つくだけ」
「そんな事にはならない」
「それにね、ナマエが私の召し使いになったのはお父様が決めたことなのよ」
「……」


え? どういう事? 渡す? 何の事? ……もしかして、自分の召し使いにしたいってこと?

二人の会話を聞いて、明らかに私の話題だとわかったが、あの様子じゃあまるでイチジ様が私を召し使いにほしいと言っているように思えてしまう。まさか、イチジ様がそんな事を考えているなんて思ってもなくて、背筋がゾクリとしたのと同時に恐怖心も強くなってくる。

話していた内容があまりにも衝撃的すぎて、動揺してしまうも、私は物音を立てず慌てて部屋へと戻る。パタンと扉を閉めたのと同時に、バクバクと鼓動が早まっていって。何で、私なの? もしかして、良いように使いたいから? だから何で海に溺れてたか聞いたのかな。それにすぐに部屋に返されたのも、自分の召し使いにしてから遊ぶため?

月明かりが照らされた暗い部屋で、そんな事を考えれば考えるほどレイジュ様以外の召し使いになったら地獄が待っていそうで恐怖心が増していった。

(2017/10/08)