堕ちゆく天使 | ナノ

29

それはティータイムを終えて、談話室からイチジ様の部屋へ戻るため、イチジ様と一緒に通路を歩いている時だった。


「そんな話は聞いていないぞ!!」


たまたま前を通りかかった客室から聞こえてきた、国王の怒鳴り声。その声に何事かと、足が止まれば、隣で歩いていたイチジ様も足を止める。温厚そうだった国王が声を荒らげるとは、何か余程の事があったのだろうか。もしかしたら、国で何かトラブルとか?


「何かあったのでしょうか?」
「……」


私の質問に答えないイチジ様。彼の顔を見上げてみれば、じっと部屋の扉を眺めている。しかし、よく見れば彼の口角は少しだけ上がっていた。

その笑みは?
国王が声を荒らげるような事の原因を知っているの?

でも、きっと今聞いても教えてはくれないだろう。それに、今、私はイチジ様の婚約者で記憶喪失だ。国王に関しての事は、正直関心がない。


「ふざけるな!!」


部屋の前で立ち止まり、うっすら笑みを浮かべているイチジ様を見上げていれば、突然扉が乱暴に開いたかと思えば、怒りに満ちた国王が姿を現した。


「!!」
「ナマエ!」


すごい剣幕で出てきたことで少し驚いてしまった。しかし、国王は私を見た瞬間、ズカズカと私に近づいてきて。


「帰るぞ!!」
「え……」
「国に帰る」


突然そんな事を言い出し、私の腕を掴む国王。一体全体何が何だかよくわからない。国に帰る?でも私は、イチジ様と婚約中。一度帰るってこと?

訳がわからず混乱している私に、国王は衝撃の言葉を口にした。


「婚約は破棄だ!! 娘は返してもらう!!」
「ッ、ちょっと待ってください!! 何故急に!!」


驚き、困惑する私を他所に国王は掴んだ私の腕を無理矢理引っ張り連れ出そうとする。訳がわからず、足や腕に力をいれて抵抗するも、国王は手を離してはくれない。

そんなやりとりをしていれば、国王が出てきた部屋からは、ジャッジ様、レイジュ様、ニジ様、ヨンジ様が姿を現し、国王はジャッジ様を睨み付ける。


「ビッグマムと繋がろうとしているお前らとは、繋がる気はない! そんな奴等に娘を渡すつもりもない!」
「ビッグマム……?」


国王の言葉を聞いて、驚きを隠せなかった。ビッグマム、それは記憶喪失の私でも知っている。四皇の一人。海賊と繋がる? 私はそんな話は聞いていない。しかし、今まで私と一緒にいたイチジ様を見ても驚く素振りがないから、きっと知っていたんだろう。まぁ、きっとジャッジ様は私に話す必要ないと考えたから、言われなかったんだろうし、私的にはイチジ様の側に居られれば何がどうなってもいい。


「婚約の話は無かったことにするからな」
「それは困る」
「困るだ……ッ」
「!!」


未だに私の腕を掴んでいる国王が、ジャッジ様に歯向かった瞬間。私の真横を銀色に光る何かが通りすぎて、それは国王の胸に刺さった。

よく見れば、それはジャッジ様が持っている槍で。銀色に輝く槍は国王の体を貫通し、そして、その槍が抜かれれば傷口からは真っ赤な血が溢れ、国王も私の目の前で吐血した。


「ジャッ……ジ、貴様……」
「悪いな、我々ジェルマの為に死ね」
「やはり、……我ら……、の、い、療……」


国王の口ぶりでは、ジャッジ様は私の国の医療が目当てだったようで、でも、今はそんな事よりも目の前で人が刺され事の方が衝撃で。


「ナマエ……」
「ひぃッ」


訳がわからなかった。目の前で苦しむ男の人は父だというのに助けなきゃという考えなんて出てこなくて、それよりも私に助けを請う国王が、私に伸ばしてくる血だらけの手が、怖くて。

体を震わせながら掴まれている手を慌てて必死に振りほどき、私は慌ててイチジ様の後ろに隠れた。


「ナマエ……なぜ、……だ」


私の行動に驚きを隠せない国王。そのままよろけて、彼はその場に倒れこむ。


「言い忘れていたが、お前の娘は記憶喪失でな。 お前の事も父親だとわかっていない」
「何故……、黙っ、てい……たんだ」
「言う必要ないだろ」
「ジャッ、ジ……お、……ま」


イチジ様の後ろに隠れたまま、聞いていたが次第に国王の言葉は聞こえなくなった。何が起きたのかすぐに察したが、からだの震えは止まらない。それに怖くて怖くて仕方ない。初めて人の死に直面したからなのかもしれないが、先ほどの血だらけの国王の姿が頭に焼き付いて離れなくなってしまっている。


「やっと死んだか」
「中のやつと一緒に片付けておけ」
「はいッ」


ジャッジ様の言葉で、国王の付き添いの人も殺されたんだと知る。でも悲しみはない。ただただ、誰かが殺されるところなんて、初めてだから怖かっただけ。


「ナマエ」
「ッ!! はい!」


まだ震えている体で、イチジ様の後ろから動かずにいると突然ジャッジ様から名前を呼ばれ、鼓動が口から飛び出しそうになってしまった。慌てて、返事をし、ジャッジ様の方を見れば、いつもの目付きで彼は口を開いた。


「お前の父達はここへ来る途中、海賊に襲われ、全滅した」
「え……」
「いいな」
「は、はい……」


突然の事で、一瞬困惑したが、どういう意味なのかすぐに理解した。国王達は海賊に襲われて、ジェルマにたどり着く前に死んだ、と言うことにしろ。そういう意味だろう。

しかし、何故そんな事をしなければいけないのか、そんな疑問は出てこず、私はジャッジ様の言いつけをすんなり受け入れていた。

(2018/10/26)