堕ちゆく天使 | ナノ

28

イチジ様と正式に婚約者になった日の夜。

私は、いつものように彼の部屋の前まで来ていた。バクバクと早まる鼓動を感じつつもドアをノックする。


「入れ」


中から聞こえてきたのは、大好きな声。その声に「はい」と答えた私はゆっくりとドアノブに手をかけて、ドアを開ければ、ふわりと風が通り抜けて私の髪を揺らした。部屋の中に目を向けてみれば、明かりがついていなく、イチジ様はソファに座っていたのか立ち上がり、私の方へと歩み寄ってきていて。

彼の後ろに目を向けてみれば、バルコニーの扉は開いていて、またカーテンが靡いていた。


「どうした」
「あ、いえ……」


何でたまに電気もつけず、扉を開けたままにしているのか。そのまま寝るわけでもないのに。そんな疑問が頭を過り、気がつけばバルコニーをジッと見つめてしまっていたらしい。その様子に気がついたイチジ様は目の前で立ち止まり、私の顎を掴み、顔を自分の方へと向け「言ってみろ」と顔を少し近づけて言ってくる。


「その、前もそうだったのですが、何故寝るわけでもないのに明かりを付けずにいるんですか?」


言ってみれば、一瞬だけ動きが止まるイチジ様。きっとそんな事を聞かれるなんて思ってもなかったんだろう。その考えを確信つけるかのように「……そんな事が気になったのか?」と口を開く。


「申し訳ありません」


しかし召使いの癖で怒られてしまうと感じ、慌てて謝れば「そんな事くらいで謝るな」と言われてしまった。婚約者ならそうなのかもしれないけど、でも、まだ召使いの癖が抜けない。このままだと国王にも怪しまれて記憶がないってバレてしまうかもしれない。そう思うもののついてしまった癖はなかなか抜けないもの。


「勝手にしろ。 自分の好きなようにすれば良い」
「はい」
「それに、これは特に理由はない。 気分だ」
「気分ですか」


もし何か意味があったのなら、それはそれで驚きがあったせいか、"気分"という言葉にイチジ様らしいと思ってしまった。

──でも、こんな風に電気を消してバルコニーを開けているのっていつも満月な気がする。

思い返せば私が来て、こうして電気が消え、バルコニーが開いているのは必ず、月明かりが差し込む満月の時だけだった。何か共通点があると、本当に気分なんだろうかと思ってしまったが、言葉に出ないようぐっと堪える。


そしてイチジ様は私の顎から手を離して、背を向け、そのバルコニーへと歩きだす。そんな彼の大きな背を追うように私は着いていく。

バルコニーへと出れば、以前来たときと同じく満月と星空が広がっていた。


「私、……こうしてイチジ様と夜空を眺めるのが好きです」
「そうか」


手摺に手をかけて、上を眺めながらつい出た私の本音にイチジ様は短く返してくれる。イチジ様は星空なんてきっと興味ないだろう。でもこうして私に付き添って夜空を眺めてくれることが嬉しかった。


「あの、一つお聞きしたいのですが」
「何だ」


気持ちが落ち着いている状態で、私は今日ずっと気になっていたことを聞こうと思い口を開く。本当はイチジ様の婚約者になった後、すぐに聞こうと思っていたのに、イチジ様はジャッジ様と何かを話していて聞くに聞けない状況だった。


「婚約者がニジ様からイチジ様に変わったことなのですが」
「それがどうした。 ニジが良かったか?」
「っ、いえ!! イチジ様と婚約者になれてとても嬉しいです!!」


婚約者が変わったことを聞いたせいか、少しだけ、ほんの少しだけ眉間にシワを寄せるイチジ様。私が変わって不満だと言い出すのかと思ったらしい。慌てて素直な気持ちを話せば険しい表情は消え、ホッと胸を撫で下ろす。


「しかし、何故急に国王はイチジ様にすると言い出したのか、少し気になりまして」
「お前が知ってどうする」
「……あの、もしかしてイチジ様が国王と話をしてくださったのですか?」


国王と同じくはぐらかそうとしたイチジ様に、更に感じたことを聞いてみれば、彼は私の方に体を向けてきて。片手で私の腰に手を回して、自分の方へと引き寄せ、もう片方の手でまた私の顎を掴み、顔を近づけ見つめてくる。


「お前はおれのだ。 だから当然の事をしたまで」
「!!」
「たとえ、弟だろうとお前は絶対に渡さない」


その言葉に、嬉しさが溢れ出してきて鼻の奥がツンッと痛くなり、そして次第に視界が涙で霞んできてしまう。まさか、イチジ様にこんな嬉しい言葉を言われる日が来るなんて思ってもなかったせいで、涙はぼろぼろと溢れて止まらない。


「イチジ様……う、嬉しいです」
「何故泣く」
「すごく、嬉しいからです……」
「お前はやはり、変わった女だな」


涙を拭いながら言う私に、少しだけ口角を上げて笑みを見せたイチジ様は、泣く私の唇にそっと口付けをしてくれた。

(2018/07/20)