堕ちゆく天使 | ナノ

15

レイジュ様から「今は特に何もないから」と言われ、私はいつものように他の使用人の方から仕事を貰い、今は廊下の掃除をしている。

ジャッジ様達は今日は外出せず城にいる。勿論あの王女様も。

王女様はイチジ様にべったりで、常に一緒だ。だから私は、彼女がここに来てから一度も呼ばれてはいない。まぁ、いらないからだとは思うけど。でもやっぱりそれが何だか寂しくて。

何となくイチジ様の事を考えながらもゆっくりと隅々まで廊下を掃除していくうちに、気がつけばイチジ様の部屋の前まで来てしまっていた。……わ、勝手に体が動いちゃった。そう思いながらも、丁度いいタイミングでイチジ様が部屋から出てこないだろうか、とそんな事を考えてしまっている。


「って、掃除に集中しないと」


自分に言い聞かせながら、イチジ様の部屋の前を掃除しつつ通りすぎようとした時。


「イチジ様!」
「!!」


その声は紛れもなく王女様の声で、しかもイチジ様の部屋から聞こえてきた。しかし、盗み聞きは良くないと思い、少しだけ掃除をするスピードを上げてイチジ様の部屋を通りすぎた時、少しだけ扉が開いている事に気がついてしまった。だから声がハッキリと聞こえてきたんだ。

そして、一瞬だけ部屋の中に目が行ってしまって。


「!!」


その一瞬を見なければ良かったと、この時強く後悔した。

隙間から見えたのは、王女様がイチジ様の首に手を回して背伸びをしている様子だった。しかもその時にイチジ様と目が合ってしまった気がして。


「ッ……」


胸が苦しくなりながらも、私はその場から立ち去り、使われていない客間に飛び込んだ。そしてパタンと後ろ手で閉め、その場にずるずると座り込む。

苦しくて痛む胸。何でイチジ様の事でこんなにも心がすぐに乱れるのか。その答えが今、ようやくわかった。



私、イチジ様が好きなんだ。



だから、王女様がイチジ様にくっついたりしている姿を見て嫌な気持ちになったり、二人きりやキスされたら嬉しくなったりしてたんだ。

私、……とんでもない人を好きになっちゃった。

でもイチジ様からしてみれば、私はおもちゃ。そう思えば思うほど、また胸がズキズキとした痛みが出てくる。

あぁそうか。胸が苦しいのは一方通行な恋だからか。……でも、おもちゃでもあの時だけ自分を見てくれるなら。

絶対に叶わないであろう恋をしてしまったのなら、それはそれでいい。ようやくわからない気持ちの整理が出来て、少しだけ心が軽くなった気がした。





*   *







イチジ様に対する恋心に気がついた夜。仕事も終わった私は就寝するため、電気を消してベッドに入ろうとしていた。しかしまた静けさの中、カツカツと足音が聞こえてきて。

勿論、今日もイチジ様から部屋に来いとは言われていない。だから、イチジ様だなんてこれっぽっちも思っていなかった。きっと使用人か誰かだろうと。

だがその足音は、また私の部屋の前で止まり、部屋の扉がガチャと音を立てて開いた。


「ッ、イチジ様……」


そこには絶対違うと思っていたイチジ様の姿があって。何で、今は王女様がこっちに来ているのに。しかもまたイチジ様自ら来るなんて。それに自分の気持ちに気がついてから、二人きりになるのは初めてだったせいか、急に鼓動が暴れだす。

しかし、そんな私の状態なんて露知らずイチジ様はベッド脇にいた私に向かって歩き出しながらも、付けていたサングラスを片手で外す。サングラスを外した姿は、抱かれた時にしか見たことがなく、そして久しぶりだったせいか更に鼓動が激しくなり、体も火照っていく。


「あの、イチジ様……どうし、んッ」


「どうしましたか?」と、戸惑いながらも聞こうと思ったのに、目の前まで来た彼によって唇を塞がれてしまった。両手で体を強く抱きしめられながらも、重なる唇。この温もり、香り、感覚がたった数日無かっただけなのに、とても久しぶりに感じてしまう。

触れるだけのキス。ただそれだけで、私の気持ちは一気に高まっていく。


「んッ……!!」


キスをされつつも、イチジ様に押し倒されて、二人一緒にベッドへ倒れ込む。その拍子に、触れるだけのキスから、啄むキスに変わっていって。

しかし、ベッドで私を組み敷くイチジ様は突然キスを止めて、私から顔を離した。一体どうしたんだろうと思いながらも見下ろしてくるイチジ様を見つめる。


「ナマエ、お前は何者なんだ」
「え、あの……」


突然のその言葉に、私は戸惑ってしまう。私が誰かって、そんな事私自身が知りたいことだ。しかし、イチジ様にそんな言葉を言えるはずもなく、何も言えないでいればどうやら私の返答は待っていなかったようで。イチジ様はそのまま続けた。


「お前は良く似ている」
「似てる……?」


そう言い出したイチジ様。最近よく、似ていると言われる事があるなぁ。そう思いながらも聞いてみれば、イチジ様は徐に話し始める。


「昔、父上と"世界会議"に行ったとき、お前に良く似た病弱の女がいた」
「病弱……」
「病弱の王女は相当なお人好しでな。 そのせいでおれの中で強く印象に残っている」


その言い方だと、イチジ様が気になっていた人という風に聞こえてしまう。好きなのかはわからないけど、でもとても心がモヤモヤして何だか妬けてしまう。


「最初、お前を見たときそいつかと思った」
「多分、人違いです。 前にここの国の王子にも私に良く似た病弱の王女様を知ってると言われましたが、私は病弱ではありませんから……」
「……そうか」


王子に言われた事を話してみれば、イチジ様は少し間があったものの、納得してしまった。そして話はもう終わりだ、と言うかのようにまた私に啄むようなキスをしてくる。

気持ちを自覚してから、こうしてイチジ様に求められるのはとても嬉しい。でも今の私の頭の中には、最近良く聞く私に良く似た王女様。

あなたは一体誰なの? もしかして私の姉妹? もしそうだったら私も王族の人間になる。でも、王族ならジャッジ様が知っていてもおかしくはなし、気がつくはず。

もう、考えれば考えるほど頭の中が混乱してきて、よくわからなくなってくる。

とにかく今は私が誰だっていい。私はただイチジ様のお側にいたい。ただそれだけ。

そして今日も、今までと同じく私はイチジ様に身を委ねた。

(2018/03/19)