堕ちゆく天使 | ナノ

12

あの日以来。また毎日呼ばれ、何もせず部屋にいる時もあれば、キスだけをしてきたり、体を求めてくるイチジ様。ニジ様やヨンジ様なら嫌だと思うのに、イチジ様になら不思議と嫌と思わない私がいて。それよりもドキドキして、怖いと思ってたのにいつの間にかその怖さは、優しく抱かれた事で消えていた。


そして今、私は他の使用人と共に城の出入り口に敷かれたレッドカーペットに沿うように整列し、ジャッジ様に続き、イチジ様達が外出する際に深々と頭を下げる。


『いってらっしゃいませ』


声を揃えて彼らを送り出す。外では兵達が整列していて、私たちと同じく声をかけている。

ジェルマ国は夜中のうちにある島に上陸し、他の使用人の話ではここの国王と何か交渉をするのではないかという内容だった。しかし、我々使用人は詳しいことなど説明されないため、それはただの憶測。

そしてジャッジ様達が出掛けていってからの城内は、いつもより和やかになる。城の扉が閉まれば、使用人達は各持ち場に向かい始めていて、今日は私も城内に残ることになっているため、他の使用人に声をかけた。


「じゃあ、ナマエちゃんはレイジュ様の部屋前通路をお願いしていいかしら? そしたら、レイジュ様の部屋も出来るでしょ」
「はい、わかりました」





イチジ様達はどのくらいで帰ってくるのか、分からないが私は足早にレイジュ様の部屋の前へと向かう。その足取りは思ったよりも軽かった。

そして、レイジュ様の部屋に向かっている途中。イチジ様の部屋の前で自然と足が止まってしまった。もう見慣れてしまった部屋の扉、今この部屋の主はいないし、入ることなんて許されないけど。でも、今イチジ様がいないと思うと何だか少しだけ……寂しくなってくる。

いくら抱かれたからとはいえ、きっとイチジ様は私をおもちゃとしか考えていない。そんな事は抱かれる直前もその後もわかっていたのに、そう思いこむのを拒んでいるかのように胸が苦しくなってくる。


「っ……」


最初は怖いと思っていたのに、ただおもちゃとして抱かれただけなのに。私の心はゆっくりと、まるで闇に堕ちていくかのように彼の虜になっていた。





「ナマエちゃん?」
「!?……は、はい!」


一人ぼんやりと、イチジ様の部屋の扉を眺めていれば他の使用人に声をかけられて体が震えた。慌てて振り向けばその使用人はキョトンとした顔を浮かべていて、私が見ていた方を一度チラッと見てから少しばかり顔を歪ませる。


「ナマエちゃん、よくここの使用人やろうと思ったわね。 もしかして、ジェルマ66のファンとか?」
「あ、いえ」
「違うの? でも……ジャッジ様もイチジ様達も怖いわよね」
「は、はい」
「ナマエちゃん、この前ニジ様に手をあげられたんだって? コゼットちゃんから聞いたわ」
「あれは……その、私が反抗してしまって」
「何があったかはわからないけど、ニジ様は本当に容赦ないからね……弟にも」
「弟?」


どうやら話好きの方らしい。彼女が言った"弟"と言う単語に反応すれば「あら? 聞いてない?」と言われ、コクリと頷く。

話を聞けばどうやらそれはイチジ様達の四つ子のうちの一人だとか。そもそもイチジ様達が四つ子って事に驚いたが、もう一人こんな冷たくて強くて怖い人がいるんだと思うと怖くなってきてしまう。しかし、彼女は少しばかり悲しい顔をしながらも口を開く。


「私ね、二十年以上ここの使用人やってるから彼らの事は見てきたんだけど……サンジ様は本当にお優しい方だったわ」
「サンジ様……」


その名前だけは聞いたことがあった。食事中にニジ様が"飢え死んでなかったのかよ"とか話していた人物だ。私はレイジュ様から何も聞いてなかった為、全く気にしてなかったけど。それが彼らの弟だったなんて。私はニジ様が大笑いしながら、弟のサンジ様の事を話している光景を思い出し、背筋がゾクリとする。やっぱり、あの人達は恐ろしい。


「あ、サンジ様と言えば……今は海賊やってるんだったかしら」
「海賊……?」
「えぇ、確か……麦わら一味だったような」
「そう、なんですか」
「でもね、サンジ様を知る使用人達は彼が生きているって事が分かって本当に喜んだ者もいるのよ」


和やかに微笑む彼女につられて私も笑顔になってしまう。彼女達が言うのなら本当に優しい王子だったのだろう。でも、何でここにいないで海賊になったんだろうか。しかし、その事を聞く前に「さ、早く仕事しましょ」と話を切り替えられてしまい、聞くことは出来なかった。





*   *






頼まれた通路とレイジュ様の部屋の掃除を終え、他に頼まれた仕事も終えた私は一人、書庫を掃除をしていた。たくさんの本があり、子ども向けの本や難しそうな本が並んでいる。

そして棚をひとつひとつ掃除している時だった。


「ん?」


書庫の奥にある小さなデスクの上に何かが置かれていることに気がつき、掃除する手を止めて近づいてみれば、そこには"WANTED"と書かれた手配書と新聞があった。手配書を手に取ってみれば、そこには手書き感が凄い絵が書かれていて、そして名前をよく見てみれば"サンジ"と書かれている。


「サンジって……」


この名前は先程聞いたばかり。イチジ様達四つ子のうちの一人。じゃあこの人がサンジ様?しかし、手書き感がスゴくてイマイチよく分からないし、それにもし本当に知っていたとしても私は今記憶を失っている。唯一わかるとすれば特徴的な眉毛。それにここにあるって事はやっぱりイチジ様達の兄弟の人なんだろうか。そう考えながらも私は新聞を手に取り広げてみる。


「麦わら一味……完全復活?」


新聞の中でその記事が大きく取り上げられている。その中には後ろ姿だが、手配書のようなサンジ様の後ろ姿もある。それにサンジ様は麦わら一味だと言っていた。じゃあ、もう確実にそうかもしれない。


「この人が……」


サンジ様は優しい方だと言っていたけど、どんな人なのかとても気になる。ここで使用人を続けていればそのうち会えるだろうか。新聞を見つめながら、そんな事を考えていた時だった。


突然通路が騒がしくなり、その音で私はすぐにジャッジ様達が帰宅されたのだとわかった。お迎えしなければ、と慌てて手配書と新聞を置き、書庫を後にした。







そして城の玄関に並ぶ使用人達に続き、私も並ぶ。その直後、扉が開いてジャッジ様達が入ってきて、合わせて『お帰りなさいませ』と私たち全員は頭を下げる。ジャッジ様を先頭にイチジ様達が歩いてきた時、イチジ様の存在を感じられて、少しばかり胸が高鳴った。


「イチジ様! お部屋へ行っていい?」


嬉しい気持ちが溢れそうになったときだった。聞いたことのない甘ったるい声が聞こえ、頭を下げながらも足元に目線を向けてみれば見慣れない靴を履いた女性が私の頭を通りすぎた。そして、ニジ様、ヨンジ様、レイジュ様が通りすぎて頭をあげ、もう通りすぎたイチジ様の方を見てみれば露出が多い服を着ている茶髪の女性がイチジ様の腕に絡み付くようにくっついて歩いている。


「ッ……」


その姿を見た瞬間、高まっていた心は一気に下がり、胸が締め付けられているように苦しい。

──あの人は誰?


「あの子、ここの国の王女様よ」
「ッ、レイジュ様!」


いつの間にか戻ってきていたレイジュ様は、私が考えていた事を答えたかのように言いながらも隣に立ち一緒にイチジ様達の後ろ姿を眺める。


「ふふ、気になる?」
「い、いえ……その、キレイな方だったので……イチジ様とお似合いだなと」
「……そう」


私の答えに、笑みを浮かべるレイジュ様。でもそんな事は一切思っていない本音を見透かされているようで、彼女の目を見る事は出来なかった。

(2018/03/06)