堕ちゆく天使 | ナノ

09

今日の仕事を終えた私は薄暗い廊下に立ったまま、またイチジ様の部屋の前へと来ていた。

昼間、また来いと言われた。

それは今となってはもう毎日で、言われない日は無い。しかし、毎回部屋に行っても特に何をされるわけではない。じゃあ何で毎日私を部屋に呼ぶんだろう。疑問を抱きながらいつもの様にノックをすれば、中からはイチジ様の声が聞こえてきて。


「入れ」


流石にこの時間にノックするのは私だけだとわかったのか、誰かを尋ねることなく入ることを許可してくる。「失礼します」と声をかけながらゆっくりと扉を開ければ部屋の明かりはついていてバルコニーに繋がる窓は閉まっていた。

毎度の事ながら躊躇しつつ入れば、ソファに座っていたイチジ様は徐に立ち上がり私に向かって歩いて来て。今日は何を言い出すのか、内心ドキドキしながら私の前に立ち止まった彼を見上げれば、ジッと私を見下ろして来るイチジ様。


「あの……わっ!」


何をするのかと思えば、突然私の両肩を掴んできてそのまま体をくるっと半回転させられ入ってきた扉の方を向かされてしまう。急すぎて足が追いつかずよろけそうになりながらも体制をキープし、訳わからないまま、何も言わず立っていれば今度は、ジィーとファスナーを下ろす音が聞こえてきて。肌が空気に触れ、声をあげるもイチジ様はまたしても無言。そして結局何も言えない私の背中は露になってしまった。


「イチジ様……」


小さな声で呼んでもイチジ様は聞いちゃいない。そして露になっている背中に何かが上から下へと這うような感覚がしてきて。驚きのあまり、体が反応してしまう。

背中を向けたまま、後ろを振り向けばどうやらさっきの感覚はイチジ様の手だったらしい。急に背中のファスナーを下ろしたかと思えば、優しく背中を触れてきてどうしたんだろう。今まで何もしてこなかったのに。そう思っていれば、後ろから押され、扉に体と手がついてしまう。そもそも相手はイチジ様だから抵抗なんてできる訳が無いけど、でも後ろ肩を押さえられていて逃げられない。


「許可なく手ェ出しやがって」


消えてしまいそうな程、小さな声で私の後ろで囁いたイチジ様。もしかして、自分のおもちゃに手を出されたから機嫌が悪い? でも、アザを見ただけでニジ様につけられたものだとわかるのだろうか。そもそも私は彼にこのアザの事は話してはいない。レイジュ様には聞かれたから答えたけど、だからといってレイジュ様がイチジ様に話すとは思えないし。

そんな事を考えている時、手とは違う感覚が背中を這った。


「ッ!!」


その正体は何かと思い、また振り向けばそれはイチジ様の顔で。うなじから鼻先をつけながらゆっくりと下がっていく感覚。それと同時に彼の髪や吐息が背中を撫でるように触れ、くすぐったさも出てくる。何で急にこんなような事をするの? しかしそんな事聞けるはずもなく、私はイチジ様にされるがまま大人しくする。


「んッ……」


しかし、イチジ様の触れ方が優しいせいかゾクゾクとした気持ちが出てきてしまい、変な声も漏れそうになる。慌てて手で口を塞ぐも、体は制御なんて出来なくてビクッと反応してしまう。ファスナーの一番下まで行くと、今度は上がってくる感覚がまたゾクゾクとしてきて。

──なにこの感覚ッ、変な感じが……。

初めて感じるこれは一体何なのか、しかし今はそんな事を考える余裕なんてない。


そして上へと上がってきたイチジ様は私のうなじに辿り着き、そのまま私の耳の下へと顔を埋めたかと思えば、また背中に温もりを感じる。どうやらそれは空いていた彼のもうひとつの手のようで、その手はアザだらけの背中を優しく撫でながらも、ファスナーからスルリと脇腹を撫でるように入り込んできた。


「あッ……」


ただ触れられるだけでも反応してしまうのに、そんなところを触れられれば、更に強く感じてしまう。きっとイチジ様はただ、私で遊んでいるだけだろうけど、でもやはり素直な体なせいか全身熱を帯びてくる。

そして上では耳の下で舌を這わせるイチジ様。もう変な声が出ないよう口を塞ごうとしても力が入らなくなってきた。


「イッ、イチジ様ッ……」


今、出るだけの声を振り絞り名前を呼ぶも流されてしまう。もうどうすればいいのかわからなくなってきた。耳の下を這っていた舌も耳たぶに触れ、軽く歯で噛んできて。


「んッ!!」


その甘噛みがまた気持ちを高ぶらせる。ただイチジ様に触れられてるだけなのに、いつの間にか私の息は少しずつ乱れてきていて。彼はきっと私をおもちゃだと思っているし、これは遊びにすぎない。そうと頭でわかっているのに、高ぶった気持ちのせいで、彼に対してドキドキと鼓動が早まっていた。


どうしようもできないこの状態に、身を委ねているときだった。


ファスナーから脇腹に入って、肌を撫でていた腕がスルッと抜けて、首もとにあったイチジ様の温もりも消えた。下がっていたファスナーはイチジ様の手によって上げられる。そして私を押さえつけていた手はまた肩を掴み、先程同様半回転させられイチジ様と向き合う形になる。


「あ、の……ッ!!」


急に触れてきたり、やめて向き合わせたりと真意が全くわからない行動ばかりするイチジ様に聞いてみようと思った瞬間。聞こうとした私の口は塞がれた。

イチジ様の唇に。


一瞬、何が起きたのかわからなかった。間近にはイチジ様の顔があって、触れてきた彼の唇は思っていたよりも柔らかくて。そして、ゆっくりと離れるイチジ様に対して素直に名残惜しいと思ってしまっている自分がいた。

しかし、突然の触れるだけのキスをしてきたイチジ様は「部屋へ戻れ」と私に背を向けながら言ってきて。私は言われた通り、急いでイチジ様の部屋を飛び出した。





薄暗い廊下に一人、部屋に向かって歩くも先程の優しいキスがどうしても気になる。気になって気になって仕方がない。てっきりあのまま、その先までいってしまうと思っていた。でも違った。突然やめたと思えば、触れるだけのキスをしてきて……イチジ様は一体何を考えているんだろう。ドキドキした気持ちのまま、自分の唇に触れれば先程のキスの感覚をはっきりと思い出して、余計ドキドキしてしまう。

なにこの気持ち。全然落ち着かないよ。それに明日イチジ様の顔を見てさっきの事を思い出してしまいそうだ。

いや、でも仕事はしっかりしないと。

そう思い、私は深呼吸をしながらも自室へと急いだ。

(2018/02/18)