…――バレンタイン当日。
前日に準備していたチョコを冷蔵庫から取り出し、全員分のチョコレートが入った箱を紙袋に詰めて後ろ手に隠しながら、未だ開店前のレストラン内へ向かうナマエ。
普段ならば、開店するまでは静かなのだがバレンタインという今日この日だけは全く別物だった。
『皆、おは――…うわぁ…』
サンヨウジムで初めて迎えるバレンタインの光景に、ナマエは唖然とした。開店前というのにも関わらずサンヨウジムの前には沢山の女性ファンが押し掛けていたのだ。
勿論、まだ扉の鍵は閉まっている為に女性ファン達が店内に入る事は許されない。しかし、扉の向こうから聞こえる黄色い声にはナマエも呆れながら耳を塞いだ。
「コーン様ぁああ!!」
「デント様、私の本命受け取ってー!」
「ちょっと!デント様は私のモノなんだからね!?」
「ポッド様ー!」
…聞いているだけでも疲れてしまう女性ファン達の熱いハートの篭った掛け声。毎年こうなのかと思うとゾッとしてしまう。
『バレンタインって、毎年こうなんですか…?』
「あ、おはよう。うん、そうなんだ…毎年こうというか…年々酷くなってる気がするよ」
階段から降りてホールに遣って来たナマエの声に振り返るデント。デントは扉の前で腕を組みながら苦笑していた。
「気持ちは嬉しいんですけどねぇ…。こうも熱いとコーン達も滅入ってしまいますよ…」
「俺の熱も冷めちまいそうな勢いだよな。なぁ?バオップー…」
「オップ…」
肩の上に乗ったバオップに同意も求めるポッド。彼もまた年々酷くなりつつあるバレンタインデーに若干呆れている様子。
確かに、この状況を目の当たりにしては彼等の心境が分かりたくなくても自然と分かってしまう。扉を開けてしまえば沢山の女性ファン達が一気に押し寄せ三人とも一斉に揉みくちゃにされるだろう。
実際に経験した事はないけれど、何となく想像が付く光景に胃が痛くなってきた。それは彼等もまた同じ…否、それ以上なのかもしれない。
(あー…どうしよう…。三人とも滅入ってる状況の中でチョコを渡すのは気が引けるなぁ…)
ナマエは後ろ手に隠していた紙袋を近くにあったテーブルの椅子に、三人からは見えないようにコッソリと隠した。暫く様子を見て渡せるようであれば後で渡そうと考えたのだ。
「どうする?開店まで後30分位だけど…」
「どうするもこうするも…これだけファンが来ているんですから、いきなり店休日にするわけには…」
「えー…俺は嫌だぜ。去年だって悲惨な目に遭ったんだ…もう無理!なぁ?バオップー…」
「バオバオ!」
『こ、困りましたね…』
(…なーんて同情してるけど、私もチョコを用意した一人なんだよなぁ…。ゴメンなさい、三人とも!)
刻々と近付く開店時間。それに併せて三人が感じている恐怖も徐々に強さを増した。三人が女性ファン達に揉みくちゃにされる光景はまさに地獄絵図。何度想像しても怖い。
「なぁなぁ、俺腹痛くなってきたから部屋で休んでても良いか…?」
「何言ってるんですか、馬鹿なこと言わないで下さい」
「お腹が痛いのは僕も同じだよ、ポッド」
「なら、デントも部屋で休めば良いじゃん。後はコーン一人に任せりゃ良いだろ。バオップもそう思うだろ?」
「オップ!……バオ…?」
ポッドに再度同意を求められ頷くバオップ。しかし、何か様子がおかしい。言い合いするポッドとコーンを他所にキョロキョロと周囲を見渡しているのだ。
そんなバオップの様子には誰一人気付いていない様子。勿論、主人であるポッドでさえも。バオップは、ある場所を見据え、ポッドの肩から"ピョン"と床に飛び降りると見据えている先の場所へ歩み始めた。
「…バオ?」
その場所に到着したバオップは目線の先にある物体に首を傾げている。その反面、その物体に何処か興味津々の様子で鼻を立てて匂いで判別しようとしていた。
「…クンクン、…!バオッ!バオバオ!!」
突如、バオップが大声で鳴き始めた。同時にナマエやデント達が一斉にバオップの方へ振り向いた。その瞬間、ナマエは慌ててバオップに駆け寄る。
『ち、ちょちょッ!それはダメッ!』
「バオー?」
ナマエの慌て様にバオップは不思議そうにナマエを見つめている。勿論、後ろに居る三兄弟も「何だ何だ」とバオップとナマエに視線を向けていた。
…――そう、バオップが見つけたのはナマエが先程隠しておいたチョコレートの入った紙袋だった。ポッドの肩に乗っている際、微かに漂ってきたチョコレートの甘い香りにバオップだけが気付いていたのだ。
『ダメだよ、バオップ…!』
「バオ…」
「ナマエさん?どうしたの?」
「何かあったんですか?」
「オイ、バオップー…ナマエのこと困らせちゃダメだろー…って、あぁぁあああッ!!」
キーン、と耳に響くポッドの叫び声。周りに居た誰もが一瞬耳を塞いだ。
「ナマエちゃん!それってチョコレートだよな!?」
『ち、ちちち、違うの…!これは、その…!』
「え、チョコ…?本当なの?ナマエさん…」
『だから、違ッ…ああぁぁあ!!?』
「…ふむ、間違いなくバレンタイン用のチョコレートですね」
慌てるナマエの腕の中に納められた紙袋の中に手を入れるコーン。勿論、中から取り出したのはナマエが準備していたバレンタインチョコレートだった。
『あぁ…ゴメンなさい…!此処のバレンタインが恐ろしいなんて知らなかったので…!』
ナマエは紙袋を足元に置くと、三人に向かってペコペコと頭を下げ必死に謝った。しかし、謝っている最中に聞こえてきたのは「よっしゃぁああ!」というポッドの叫び声だった。
聞こえてきたポッドの叫び声に、ナマエは間の抜けたような表情を浮かべながら頭を上げ三人に視線を向けた。
「ナマエからチョコ貰えるなんて思ってなかったぜ!よっしゃ、これって脈アリって事だよな!?なぁ、デント!」
「そうとは限らないと思うよ?だって、紙袋の中にはチョコが入ってそうな箱が六個入ってるし…」
「え、マジで…?」
「色分けされているので、これがポッドの分でしょうね」
ナマエの足元に置かれていた紙袋を勝手に漁り出すコーン。コーンは紙袋の中から赤色の包装紙でラッピングされた箱をポッドに差し出した。
続けて、緑色の分はデントに差し出し、青色の分は自分宛てだろうと勝手に受け取るコーン。ポケモン用だと分かりやすい箱は紙袋にそのまま残しておいた。
目の前で繰り広げられる光景にナマエは言葉を失くし、ただただ目の前の光景を眺めている。すると、バオップがナマエの足を"ツンツン"と軽く突いてきた。
『…――ハッ!……あ…どうしたの、バオップ…』
「バオー…」
バオップはナマエを見上げ寂しそうな表情を浮かべている。暫くしてバオップの視線はナマエから外されたが、視線を外したと同時にバオップの視線はナマエからバレンタインチョコを貰って嬉しそうにはしゃぐ三つ子に向けられた。
どうやら、バオップも三人と同じようにチョコレートが欲しい様子。そんなバオップの気持ちに察したナマエは「ちょっと待っててね」とバオップの頭を軽く撫で、コーンから紙袋を取り戻した。
『えっと…あ、あった!はい、バオップの分だよ』
「バオッ!?」
未だ紙袋の中に残っていた箱を取り出したナマエは、その中でポッドと同様に赤色の包装紙でラッピングされた箱をバオップに差し出した。
バオップは自分達の分まで用意されているとは思っていなかった様子で最初は驚いた表情を浮かべていたが、次第に嬉しそうな表情に変わりナマエが差し出している箱を受け取った。
三つ子と同様に、ナマエからバレンタインチョコを貰えて本当に嬉しかったのだろうか、貰った箱を"ギューッ"と胸に抱き締めるバオップ。そんなバオップの姿にナマエも嬉しい様子。
「お、バオップもチョコ貰えたのか!良かったなー!」
「バオバオッ」
「という事は、その残った箱はヤナップとヒヤップの分ですね?」
『その通りです…というかですね!何で勝手に漁るんですか!?私、あげるなんて一言も言ってないですよ!』
「言ってなくても見れば分かるよ。僕達の為に用意してくれた事くらい」
『う…』
「それより、ヤナップとヒヤップ出してやれよ?チョコ渡せねェじゃん」
「嗚呼、そうだね。よし、出ておいで、ヤナップ」
「言われなくても分かっていますよ。ヒヤップ、出てきなさい」
「ナップ!」
「ヒヤッ!」
『おはよう!ヤナップ、ヒヤッ…プゥウウッ!!?』
モンスターボールの中で会話を聞いていたヤナップとヒヤップは、バレンタインチョコを早く寄越せと言わんばかりにナマエ目掛けて飛び付いた。
二匹が飛び付いた反動でナマエの身体が後ろに倒れそうになるが、咄嗟に足で踏ん張り何とか持ち堪えた。
『ちゃんとあげるから、そんなに興奮しないで!えっと、ヤナップがこっちで…ヒヤップがこっち…はい、どうぞ!』
「ヤナーップ!」
「ヒヤヒヤッ!」
「ヤナップ、ちゃんと御礼を言うんだよ」
「ヤナッ!」
バオップと同様にバレンタインチョコを貰ったヤナップとヒヤップも嬉しそうにはしゃいでいる。
そんな二匹の様子に、ナマエがホッと安堵していると、突如ポッドが"ガシッ"と肩を組んできた。同時にデントとコーンもナマエの目の前に詰め寄っている。
『え、な…何ですか…?』
「あのな、ナマエ。俺達ってさ三つ子だろ?」
『は、はい…』
「三つ子ってな、趣味とか行動とか色々とシンクロしちまう事があるんだよ」
『は、はぁ…』
「俺の言ってる意味、分かるか?」
(…いや、サッパリ分かりません!)
「ポッド、そんな遠回しに説明しても分かるわけないよ」
「全くですね」
「え、だってストレートに言うよりかはマシだろ?」
「もう良いです。コーンが説明します」
コーンは自分が説明すると言ってポッドの腕をナマエの肩から退かし、代わりに自身の両手を"ポン"ナマエの両肩へ軽く乗せた。
「コーン達は三つ子です。ポッドの言った通り似通った行動を取る事もあります。それは好きな人に関しても同じ事なんです」
『え…それってつまり…』
コーンの分かり易い、寧ろ直球的な説明にナマエの顔は徐々に赤く染まっていく。
「僕達はナマエさんの事が好きなんだよ」
デントはコーンの後ろで微笑みながら三人を代表して気持ちを告げた。
「デント、美味しい所だけ持って行かないで下さいよ」
「こういうのは言った者勝ちだよ」
「まぁ、そういう事だ!だから、俺達はナマエからチョコ貰えて凄ェ嬉しいンだけど、反面複雑な気持ちもあるってわけだ」
『…う、嘘ぉ…』
「嘘じゃないよ、本当のこと」
…し、信じられない。デントさんやコーンさん、ポッドさんが私の事を好きだったなんて…。いやいや、きっとこれは夢…!夢に違いない…!
ナマエは今の状況が夢だと思い込み、自分の両頬を"バチンッ"と思い切り叩いた。そんなナマエに驚いた三人の内、ポッドが慌ててナマエの両手首を掴む。
「ちょ、何してんだよッ!?」
『あ、いや…夢なんじゃないかって…』
「お前なぁ…」
「さっきも言ったけど、嘘でもなければ夢でもないよ」
「コーン達はナマエさんが好きなんです、信じて下さい」
「でもね、ナマエさん」
今度はコーンを押し退け、デントがナマエの目の前に位置を変えた。
「確かに僕達三人はナマエさんの事が大好きだ。だけど、それだけじゃダメなんだよ」
『え…?』
「僕達三人がナマエさんの事を好きで居ても、ナマエさんは一人しか居ない…言ってる意味分かるよね?」
『…つまり、三人の中から一人を選べ…って言いたいんですか?』
「そういうことだね」
『む、無理ですよ!!三人の中から一人を選べだなんて…!私、三人とも大好きですもん!』
…勿論、デント達が言う「大好き」の意味は、私が感じてる「大好き」とは全く別物だって事くらい分かってる。だけど、この状況で選べだなんて本当に無理!
ナマエの言葉に三人は困ったように顔を合わせた。確かに今すぐ三人の中から一人を選べなんて言っても到底無理な話だ。
そこで、三人はナマエが決められないなら自分達で決めてしまおうとポケモンバトルで勝負を付ける事にした。
「こうなりゃ、バトルしかねェもんなぁ…」
「ナマエさんが決められない、ならね?」
「では、ファン達には申し訳ないですが本日は臨時店休日に致しましょう」
『え、え…ちょっと、何勝手に…』
「よーし!バオップ、絶対に勝つぞ!」
「オップ!」
「ヤナップ、この勝負…負けるわけにはいかないからね」
「ナップ!」
「ヒヤップ、分かってますね?」
「ヒヤッ!」
『あ、あの…ちょっと…』
…――この後、サンヨウジムのレストランは臨時店休日となり、サンヨウジム内のバトルフィールドでは三つ子達による熱いバトルが行われたのだった。
本 命 争 奪 戦
(誰が勝利したかは貴女の御想像にお任せ致します)
--END--
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