いつもと変わらない帰宅路。陽が暮れてどれくらい時間が経っただろうか。自宅を目指して真っ暗な街路路をトボトボと歩く。
今は何時だろうか、と確認しようと鞄を探るがあるはずの携帯電話が見当たらなかった。
『あ、れ…?おかしいな…』
職場に忘れて来たのだろうか、と踵を返す。まだ職場からはそんなに離れて居なかった為、取りに戻る事にした。
『ダメだなぁ、最近…』
プライベートも仕事も何だか上手くいかない。そんな日が続いて少しだけ気が滅入っていた。
ナマエの職場はライモンシティにある。各都市を繋ぐ路線を持つギアステーションの事務員で、入社して一年目の新米社員だ。
終電を迎え、灯が消えたギアステーションの構内。従業員専用の通路から入ると事務室を目指し暗い構内を進んだ。
『あ、あった。やっぱり忘れてたか…』
携帯電話は無造作にデスクの上に置かれたままになっていた。画面をタッチすれば真っ暗な室内が携帯電話の明かりで照らされる。時刻は九時を少し過ぎていた。
「ナマエさん…?」
携帯電話も見つかり、今度こそ帰ろうとしていると背後から聴き慣れた声がした。突然の事にビクリと肩を震わせては背後を振り返る。
『ノ、ノボリさん…!』
そこには上司であるサブウェイマスター・ノボリの姿があった。
「この様な時間に如何されたのですか?」
懐中電灯を片手に持ち、暗い事務室を照らしながらコツコツと踵を鳴らし此方へ歩み寄るノボリ。
『いえ、その…携帯電話を忘れてしまって。帰宅してる途中に気付いて取りに戻って来たんです』
「そうでしたか」
…――少しだけ、ノボリに惹かれていた。入社する前からサブウェイマスターの事は知っていたけれど、実際に言葉を交わすのは入社してからが初めてだった。仕事の事で何度か直接教わった事もある。紳士的なノボリの姿に心が揺らいでいた。
『ノボリさんは見回りですか?』
「はい、此処が最後で…」
『あ、ごめんなさい!直ぐに出ますから…!』
自分が居ては仕事から上がれないだろうと、慌てて鞄を持ち直し事務室を出ようとするナマエ。扉に右手を掛けるが、どういう訳か左手をノボリに握られていた。
『え…?』
「も、申し訳ございません…!」
手袋越しに伝わってくるノボリの体温。握られたのは一瞬で謝りながら手を離すノボリ。
『えと、何か…?』
「その…ナマエさんが宜ければ、この後…食事でも、と思いまして…」
思いも寄らぬ展開に少しだけ思考回路が追い付かなかった。まさか好意を寄せていた異性から食事に誘われるとは…。
『食事、ですか…?』
「此の所、沈んだ雰囲気をされていたので何かあったのかと…。私で良ければ相談に乗りますよ」
『…ッ、沈んでる様に見えました?』
「はい、少しですが…」
周囲に分かるくらい暗いオーラを出していたのかと思うと、相手がノボリというのもあるが、少しだけ恥ずかしくなってしまった。
『すみません、気を遣わせてしまって…』
「謝る事はありませんよ」
『あの、お食事までは大丈夫ですから…』
気を遣って食事に誘ってくれたのだと思うと断る事しか出来なかった。
「私が、」
『・・・?』
「本当は私がナマエさんと食事をしたいのです。申し訳ありません、相談に乗ると言って理由をこじ付けただけです」
「え、あ…その…」
ノボリの言葉にどう返して良いのか分からなかった。本来であれば素直に喜んで良い状況なのだろう。しかし、相手がノボリなだけに心臓は煩くなるし、頭も少し混乱気味になってしまった。
「嫌、でしょうか…?」
『そんな…!嫌なんて事は絶対にないですから!』
「で、では…」
『…私で良ければ、』
「良かった…!それでは直ぐに帰る支度をして参ります故、少しだけ此処でお待ち下さいまし」
いつもとは違うノボリの笑顔。仕事中の笑顔は何度も見た事があるけれど、こんなに嬉しそうで安堵した笑顔は初めて見た。
ノボリは帰る支度をすると言って事務室を後にした。事務室を出る際に室内灯のスイッチを入れてくれた。優しいな、なんて心の中で呟きながら登りが戻るのを待った。
好 き だ か ら
(…――期待、しても良いのかな?)
--END--
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