三月に入り、終了式を恙無く終えた一昨日は、取り立てて変わったことなどなかった。


強いて言えば授業も無くなり教室の雰囲気が浮き足立っていたくらいだろうか。


長期の休みに入って、春の陽気が穏やかで、朝は起きるのが辛く布団からなかなか出られなかった。外はもう少し暖かくなれば桜も咲き始めるだろう。


起きたときにはもう太陽が高く上っていて、朝食は抜いて昼まで待ちなさいと母親に言われた。


欠伸を噛み殺して顔を洗う、寝巻きを着替える歯を磨く。昼にはチャーハンを食べて暇つぶしがてら散歩に出た。


何気ない休日が、自分にとっての日常が音を立てて崩れていくのはここからだった。






―思わせ振りOn Mars.―






「相変わらず暇そうだよね、シズちゃん」


爽やかな、それでいて憎たらしい声が届く。それだけで今までのなんでもない思考を完全に停止させ、全ての意識を背後の男へと向けた。


淡い景色の中に相応しくない全身を黒で統一した姿。天敵である折原臨也は一見にこやかに、そして細部を嫌味で塗り固めた笑顔で静雄に対峙した。


「手前、殺されに来たのか」


舌打ち交じりに向かい合うと、どこまでもシニカルな態度で臨也は静雄のほうへ歩み寄った。


少し警戒しながら相手の出方を窺うと、何を恐れることも無く、臨也はすぐに静雄の目の前にやってきて何かを取り出した。


ナイフか、と思って仰け反るが間に合わず、「それ」を胸板に押し付けられた。


痛みは無い、刃物が刺さろうがものともしない自分の体。だが凶器の固さとはまた違う、固形を包んだような、何かを手に取る。


「じゃあね」


それだけ言って口端を吊り上げ、形のいい孤を作って見せる。そのまま無防備に背を向けて去っていく。


あの頭を今から思い切り殴りつけてやっても良かったのだが、後ろから攻撃するというやり口は、どうにもその攻撃対象と同じの卑怯な手段に思えて気が引けた。


遠ざかる臨也の姿、ふと視線を手元に移して見ると、静雄の手には小さな透明の袋が持たされていた。


中には四つ、チョコレートのチップが疎らに入ったクッキーがある。毒でも入れてあるんじゃないかと一つ取り出して嗅いでみる。しかし分かるはずが無い。


かといって放置するわけにもいかず、静雄はその場に立ち尽くした。確か先月も同じようなことがあった。


そう、二月にチョコレートを貰ったのだ。結局あの時は臨也に、臨也に。


ならば、このクッキーは何だ。


丁度一ヶ月前の出来事だが、なんとなくあの日のことは記憶に残っていた。いつもと違い、いや、いつも以上にあの男の様子がおかしかったから。


有り余るほどの普段の臨也の余裕が感じ取れなかったし、引き際はやけにあっさりとしていた。静雄が言えたことでもないが、勝手に怒って勝手に去っていったから。


理不尽に投げ捨てられたチョコは、新羅が片付けておいてくれたのだそうだ。新羅と名も知れぬ送り主には悪いことをしたが、そもそもの原因は臨也なのだから、自分が非難される理由はないと思いたい。


当然腹が立った。でもあのノミ蟲から滲み出ているはずの嫌味や不気味で構成された気配がその時無かった気がする。


どこか変だった。雰囲気が、言葉が、表情が。


アイツの本心など知らないし知りたくもない。だが天敵として認識しているはずの自分に菓子を送る奴の真意が分かるはずが無いだろう。


歴史の授業で、上杉だかなんだかの武将が、敵に塩を送ったとかいうことを話していた気がする。でもその話と今日とはニュアンスどころか何か根本的に間違っている気がするし、臨也が厚意でこんなものをくれたなどと考えた途端に寝首を掻かれてもおかしくないのだから。


などと冷静にあの男の分析などをしている自分がいることに気付き、静雄は鳥肌が立ちそうなほどの嫌悪感に身震いする。


手作りなのだろうか、値札が付いていないし包装も市販のものとは違うように見える。


でも臨也がそんな殊勝なことをするのだろうか。ますます毒入りという線が怪しく思えてきた。だが見た目は店の商品と比べても何ら違和感が無いほどによく、不覚にも「とても美味しそう」なクッキーだった。


何故か静雄は周囲を見渡した。誰もいないのを確認したところで何かあるわけでもないが、意を決したようにしてクッキーを口へ放り込んだ。


口の中でクッキーの味が広がった。思った以上に美味しいと感じたが、毒ではないが何か中に入っていたようだ。


行儀が悪いのを承知でその小さな混入物を掌に吐き出した。唾液やチョコで汚れていても、それが何か判断することは出来た。


一枚の小さな紙切れ。中央に「だ」とかかれてあるだけでその他に変わったことはない。


しかしこれだけでは何のことか分からなかった。噛み砕いて飲み込んだ小さな菓子の中に入っていたこの紙が何を意味するのか、流石に図りかねる。


「普通に美味え・・」


そのことにまず吃驚した。これが臨也の作ったものだということを除けば、手作りの域を越えている。


感嘆してしまった自分に気付き、すぐさま否定する静雄。だがその手は袋の中にのびている。百歩譲って美味しかったことは認めるが、それだけが理由ではなく、全部の中を調べれば、何か解かるのではないかと考えたからだ。


残り三つのうちの一つを取り出す。真ん中を加減した力で割ればやはり同じような紙が現れる。


ただ違うのは中央の文字。今度は「よ」という字が茶色の欠片に塗れていた。


また一つ、半分に割れば紙が出てくる。割ったクッキーは一口ずつ食べていく。次は「き」。


「だ」「よ」「き」、順番どおりに割っていないというか、そもそも順番なんて分からないので、並べ替える必要もある。面倒だが四つだけというのが少しだけ救いだった。


昼飯の直後だったので、いくら好物である甘いものでもいい加減腹の中が満たされつつある。女子ではあるまいし体重などは気にしていないが、そろそろ満腹だ。


最後の一つは、端のほうを少し齧ってその紙を取り出した。舌はもう甘味に侵されていて、今更味なんて確認しなくてもいいくらいだった。


最後の文字はなんだろうかと見てみると。


「好きだよ」


その言葉と、四つのパーツが一致して納得いった。驚いて後ろを振り向けば、そこにいたのはクッキーの甘さと似ても似つかぬ苦々しい男で。


「何の冗談だよ」


気味の悪いことをいうな、と睨めつければ、お決まりのような動作で肩をすくめた臨也。


「一世一代、懇親の覚悟を用いた告白だよ」


大仰な言葉で飾りつけようと、信じるつもりも無いのだから静雄にはどうでも良かった。ふざけた態度に苛立つが、臨也はその「告白」を続ける。


「君が好きなんだよシズちゃん。そりゃあ信じられないかもしれないけどね、それに気色悪いとも思っているかもしれないし、そんな俺自身を気持ち悪いと俺が一番よく分かっているよ」


ただそのクッキーは、二月のお返しと思ってくれたらいいよ。


本心からそう思う。君が愛しいよ。


平然と言ってのけた相手の言葉を、信用した訳ではなかった。ただ、分からなくなってしまう。


こんな、ずっと昔から好きだったみたいな言い方をされては、本当にそうだったみたいに聞こえてくるじゃないか。


静雄の身体を抱き締めるでもなく、手を握るでもなく、友人に向けてまた明日と手を振るように、「それじゃあね」と笑って背を向けた。


今日、二回目の姿だ。


「美味かった」


ごちそーさま、と、口をついた挨拶は聞こえているに決まっている。


何故なら、確かにあの肩は、おかしそうに小さく揺れていたのだから。


暴言よりも、伝えたかった言葉がそれか。それでも違和感が無いと思えるほどに、率直な感想は消え入るようにあの男の耳に吸い込まれていった。


あの告白が本当に本気だとしたら、やっぱり殴っておくべきだろうか。万が一にも首を縦に振ることなんて無いのだし、もう二度とあんな妄言言い出さないように痛めつけたほうが良いのだろうか。


どの道、次に会う新学期も平和に過ごさせてくれるはずがないのだから、顔を見ない暫くの間は落ち着いて過ごせたらいいなと淡い期待を抱くことにした。


返事とか、普通に考えて無いだろう。





―思わせ振りOn Mars.―






今信じることが出来るなら、今までの貴方への疑いなんて存在しませんよ。






***



Happy (White) Valentine's Day!!




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