借金の取立てが、静雄の仕事だ。


聞こえは悪いかもしれないが、バイト先をクビになったところに中学時代の先輩である現在の上司が現れていなければ、自分が今何をしていたかなど想像すら出来ない。


今の仕事に誇りを持っているし、他の仕事が勤まるかどうかも甚だ疑問なくらいだ。


債務者の中には攻撃的な者もいて、自分達に殴りかかってくるような反抗を見せる輩も多い。


今日もいつものようにそんな男をぶん殴った。男でその日の仕事は終わりだったので、早く終わらせて帰りたいと思っていたのに、なかなか金を出さないから静雄の苛立ちは募る一方だった。


一発の打撃で男は部屋の壁まで吹き飛び、静雄のことを知ってか知らずかそそくさとあるだけの金をこちらに渡した。


回収も終わり、上司であるトムは「もうあがっていいぞ」と告げて、職場へ戻っていった。静雄は素直に頷いて、暮れ始めた池袋をまた歩き出した。


すると帰り道、何処からともなく柄の悪そうな連中が現れ、静雄の周りを取り囲んだ。恐らく債務者のうちの誰かの仲間だろう。


それ自体も、大して珍しいことではない。向こうが仕掛けてきたら返り討ちにすればいいだけの話だった。


面倒だ。気にかかるのは、同じようにトムが襲撃されそうになっていないかということと、普通の通行人が周囲で見ていること。


トムの方は、さっき職場に着いたとメールが来ていたから、恐らくは大丈夫であろう。それに、人の目を気にしている場合でもない。


案の定、連中はこちらに襲い掛かるように向かってきた。また暴力を使うような羽目になるのは死ぬほど嫌だが、自分の沸点はそんな気持ちを許してくれない。


達した怒りに任せ、思い切り拳を振るった。それだけで大概の奴らは気絶するか倒れ込み、逃げ出す者もいた。


それでもめげずに走ってきた男を蹴飛ばして、残っていた男達に激突させた。あらかた片付いたと思ってゆっくりと息を吐く。


元々自分の喧嘩に対しざわざわと人込みで騒がれていたが、その時一際高い悲鳴が上がった。


何事かと思いそちらを向くと、さっきのぶつかった男達と共に巻き込まれたのか、彼らの下敷きにされた中学生ほどの少女がいた。


連れであろう同じくらいの年の少女が慌てて彼女の上で倒れている男達をどかそうとしており、静雄はそこへ駆け寄った。


静雄の力はあっさりと彼らをどかし、大丈夫か、と少女に声をかけた。


自分の顔を見ると、倒れこんだ少女は怯えた表情で後退り、引きつった声で静雄から逃げようと連れの少女と一緒に逃げ出した。


当たり前だ、あんな目にあって、「加害者」である自分に手を差し伸べられて平然としていられるはずがないだろう。


少女は地面で擦ってしまったのか、頬から少し血を流していた。


自分を見たあの目は、恐怖で塗りたくられていて。


また、人を傷つけた。


その事実だけが、静雄の頭の中を巡って離れなかった。一向に減らない野次馬の輪の中心で、静雄はただ立ち尽くすだけだった。






―応援歌―







自己嫌悪のあまりに、あの後静雄はトムに電話で理由を淡々と告げた上で「しばらく休ませて欲しい」と頼んだ。


トムはしばらく無言で、考え込んだ後に「社長に言っておく」と答えた。声のトーンや事情だけで、仕事が出来る状態でないと判断したのだろう。


家に帰ると、真っ先に布団に潜り込んだ。着替えるでもなく、何か口にするでもなく、薄いシーツの下で丸まった。


あれほどに嫌っていた自分の力、やはり傷つけるだけの自分。


それでも泣くことは躊躇われ、下唇を強く噛む。肩が震えていることに自ら気付いて、静雄は冷たいままの布団を縋るように引っ掻いた。


自分はこんなに弱い人間だっただろうか。


否、化け物染みた力に強いも弱いも無いかと自嘲し、クツクツと笑みが零れたが、それも次第に消えていって、瞼の裏がどうしようもなく熱かった。



がちゃ、とドアノブの開いた音がする。


そういえば鍵を掛けていなかったことを思い出す。泥棒か、とも思ったがここには金目のものなど無いし、起き上がる気力も無い。


静雄は立ち上がろうともしなかった。誰が来たかなど、そんな命知らずが誰かなんて分かっている。


何故アイツが自分の家を知っているのか、とも思ったが、多分こちらの情報などある程度知られていて当然だろう。


大嫌いで大嫌いな奴のにおい。近付いてくるのは足音でも分かる。土足で入り込んだのかと分かる高い靴の音に内心舌打ちした。


音が止んだと思うと、突然シーツをひっぺがされた。やはり、ここに来たのは自分の天敵、折原臨也だった。


自分のこの情けない様をまじまじと見られる。赤い瞳は泳いでいるかのように静雄を見回している。


「・・・笑うなら、笑え」


声は掠れていた。最早怒る気も失せている。自分の事を聞いて嘲りにでも来たのだろう。この男は、そういう人間だ。


しかし、その目は自分を見つめるだけで何を言うでもなく、いつものふざけた態度も無い。


いきなり手を引っ張られた。無理矢理起き上がらされ、臨也は静雄の手を引いて歩き出そうとする。


何がなんだか分からなかった静雄だが、ふと我に返り「・・離せっ」とその手を振り解こうとする。


だが再び掴まれ、何のつもりだとまた振り解いて睨みつけると、臨也はようやく口を開く。


「・・・・辛いんでしょ?」


今の静雄には、心臓を抉り取られるかのように突き刺さる一言だった。臨也がこんなことを言うなど信じられず、静雄は目をぱちくりさせる。


泣きたいんでしょ。


助けて欲しいんでしょ。


悲しいんでしょ。


自分の心を撫で回す言葉は、どれもありきたりで歯の浮くようなフレーズばかりだ。


「なら、俺の胸でも借りなよ」


この際、誰でも良かった。


広げられた腕。一番乗ってはいけない相手。手を取ってはいけない相手。


「・・・う、あ・・ああ・・・」


そんな相手にしがみ付くように、臨也の肩口に顔を埋めた。


一度崩されたそれは、止まることも知らずに溢れ出た。枯れるまで叫んだ声は、部屋の外まで聞こえているかもしれない。でも、そんなことどうだっていい。


もう、どうでもいい。


分かったのは、臨也自身のものよりも、首元に僅かに香る香水の匂い。


まどろみに意識は溶け込み、静雄は目を閉じるだけだった。








(続)












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