朝だというのに、今年の夏は日が高い。眩しさを堪えながら前を向く。


暑さを凌ぐ為の唯一の涼しげな木陰の中に、ぽつぽつと疎らに日差しが見える。


そこに立っているのは、太陽のように透き通った金の髪をして、所々に絆創膏の貼られた、精悍ながらも整った顔立ちの高校生。


彼の方へ駆け寄るは、季節を無視して真っ黒な短ランを着た俺、折原臨也である。


「おはよう」


片手を挙げて挨拶すると、彼は顔をあげて多少どもりながらも返事をする。


「お、おう」


行こう、握れと言わんばかりに右の手を差し出すと、躊躇いがちに左の手を伸ばす。


通勤や通学などで人通りも多いこの道で、通行人の目はもう気にしないようにしている。


それでも、彼の顔が赤いのは、気温の高さだけではないのだろう。


一々人目を気にしていたら手なんてつなげない。俺は彼の左手を取って、半ば強引に引いた。


「あっ、おい臨也」


「早く、シズちゃん」


静雄は、始めこそぶつくさと文句を言っていたものの、結局は観念したように歩き出す。


この時間が、永遠に続いてくれたらよかったのに。






第四章 -最後の日々-(1)







それこそ「何事も無かった」ように、静雄と俺は共に登校してきた。


元気そうな静雄の様子を見て、新羅も少し安心していた。くどくどと体調管理についてしつこく注意されて、その新羅を一撃で伸した姿が元気でなければ、誰が元気だと言うのか。


憂鬱な自習の時間、俺は静雄に声をかけて、屋上でサボタージュしようと提案した。静雄も頷いて、途中ジュースを購入してから最上階へ向かう。


久々というほどでもないが、ようやく静雄を独占できる機会なのだと心躍るように、俺にとっての聖地へと足を運んだ。





これが、本来あるべき日常の姿。





「何か俺、国家の最終兵器になっちまったんだとよ」


錆び一つ無い白のフェンスにもたれかかり、フルーツオレに差し込んだストローを加えながら、静雄は他人事みたいに呟いた。


「へえ、適任じゃない。っていうか君の場合それ以上強化する必要あったの?」


こちらも、彼自身の強さを知っているからこそ、冗談めいた軽口を叩く。


静雄は少し笑って、「何か、実験に耐えられるの、俺だけだったらしい」


いつか見たテレビの感想みたく単純に答えた。


そんな、感じだ。


「改造されてさ、説明もあんまりされてなくてよ・・」


彼にしては珍しく、歯切れの悪い回答ばかりで、普段あれほどに饒舌な自分でも、相槌を打つ以外に言うことも無かった。


言葉に詰まれば手元の紙パック入りのジュースに逃げる。空気を吸い込む音がしたから、もう無くなってしまったのだろう。


はぐらかすように曖昧なことを述べるのは、責任逃れの為か。


「それで、いつ頃出て行くんだ?」


「予定としては、一週間後くらいかな」


一方的に自分の気持ちを押し付けておいて、静雄を置いて日本を発つ自分が、最悪だということは自覚している。


妹達の小学校も、昨日の襲撃で半壊状態だという。それこそいい機会を与えられたものだ、未練がましい自分への。


「退学届けは、明日にでも出すかなって」


寂しげな顔をしてほしくなくて、わざとらしく笑って見せた。


離れ難くなるような顔は、今だけはして欲しくはない。


だから、笑った。何かから、目を逸らすみたいに。


「それでさ・・シズちゃんは、どうするの?」


まだ、余地はある。自分が今朝のように、無理に静雄の手を引くだけの。


静雄は、また、残酷なほどに平然と笑って言った。


「俺は敵の国に攻め込む以外は国から離れるなって言われてるから、当分日本にいる」


日常の会話の中でも、おかしくないくらい、平然と、笑って。


「・・・そう」


本当は、相手が嫌がっても、無理矢理一緒に連れて行くつもりだった。


「あんなこと」が無ければ、静雄がどれだけ拒んでも。


だというのに、この空気で。


その笑顔に向かって。


俺と来てよ、だなどと、


「そっちに行くようなことがあったら、よろしくな」


何を、よろしくするんだ。


「はは、死んじゃうって」


言えるはずがない。


あまりに自然で、不自然な見慣れぬ笑顔に問いかけた。


「ていうかさ、その最終兵器って、一時的なものなんでしょ?」


元に、戻るんだよね?


それこそ、肯定して欲しかった。笑って頷いてくれたらよかったのに。


静雄は一瞬言葉に詰まった。


「・・・多分、そうなんだろ」


グラウンドで体育をしている下級生らを見ながら、零した小さな言葉。


中身も無いのに、ストローに噛み付いて、ちう、とありもしないフルーツオレを吸った。


俺のコーヒーは、握られたまま温くなった。折角買ったのに、もう、飲む気がない。


手の中から滑り落ちたその缶は、コンクリートの地面によく鳴り響いた。


驚いてこちらを向いた静雄の手首を掴む。その手からも、同じように空のパックが零れ落ちる。


大方何をされるかも分かっているようで、俺を拒否するように身じろぐ静雄。


「・・・なん、だよ」


眉間を顰め、俺を見たその目は何色だったろう。


俺の手は静雄の本来の力で、いとも簡単に振り解かれる。


互いに数秒見合った顔、静雄はそれだけで耐えられなくなったのか、ふいに目を逸らす。


「シズちゃ―――」


俺が口を開いたのとほぼ同時に授業終わりのチャイムが鳴り、下からは教室へ戻っていく生徒らの声。


そういえば、次は数学だったと思い出し、それから何を話すでもなく、俺たちは足早にクラスへと戻った。





夏の正午は、暑さなど耐えようにも耐えられない。手の甲で拭った汗も、次第に量を増やして再び流れ始める。


「あ、返事書いといた」


ふと足を止めて軽そうな鞄の中身を漁り、静雄は一冊のノートを取り出す。


二人の絆、というのもどうかと思うが、分かり合うため、理解し合う為に始めた交換日記。


最も、長続きはしなかったが。


渡されたそれを開こうとすると、「家で読め」と睨みつけてくる静雄。脅しとも照れ隠しとも付かぬ表情に俺はたじろぎつつも従った。


渋々しまうと、静雄は満足したのかまた歩き出した。焼け付くほどに日に当てられたアスファルトと奏でる靴音は、周囲の靴音に混じって消え入りそうだ。


そんな中、近くで何の変哲も無い電子音が響く。静雄の携帯の着信音だったらしく、慌ててポケットの中を漁り、取り出したそれを開いた。


「誰?」


画面だけを見つめていることから、メールが来たのだろうと推測する。静雄がアドレスを交換している相手といったら、番号を知っている俺以外では、新羅かその同棲相手である静雄の親友くらいしか想像が付かない。


興味本位に覗き込むと、当然だが淡々とした文字の羅列が一瞬見えただけで、すぐさま閉じられた。


「・・見たのか」


はっきりと見えたわけではない、しかし静雄の表情は先程と一変して、焦りのような、恐れのような負の感情で強張っている。


多くはないが少なくもない通行人の雑踏の中で、自分達の時が一瞬止まった。


何も言えない俺に、聞いてもいないのに静雄は目を細め、


「・・・・軍から、出撃要請が来た」


空気はその言葉に引き裂かれた。


一瞬一瞬が枠で区切られているかのようにぎこちなく進み出した時間。


静雄は「悪い、先に帰る」と申し訳無さそうに片手を挙げる。


「じゃ、明日な」


また、明日。ないかもしれない「明日」に手を振って、静雄は背を向けた。


「俺なら、大丈夫だから」


途中振り返って、後ろの俺を心配させまいと力強く笑って見せる。大丈夫とは、何のことかも分からずに。


「行ってくる」


俺も、笑顔で手を振った。何処へ、という叫びを胸の内にしまって。


かけたはずの声は、自分で浮かべた笑みの中で燻った。






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