(捏造設定)
暗い物置で見つけた人形は、照明をつけなくても分かるほどに、それは美しいものだった。
―糸の無いコッペリア―
「なかなかの上物でしょう、これは」
その低い声に我に返った臨也は、慌てて平静を取り繕った。
今回の取引相手であるこの貿易商の男は、随分と気のいい性格で、何度か顔をあわせるうち、よく他国から取り寄せた商品を臨也に見せることがあった。
今日もそのようなもので、男がどうしてもというので顔を出してみると、彼の自宅の物置に連れて来られ、「それ」を見せられた。
それはまるで生きた人間のような生々しい美しさを見せていた。
金糸のような髪、透き通る白い肌。長い睫毛は閉じられた目を縁取り、その陰影がどこか物憂げな表情を生み出している。
体つきも顔立ちも、確かに男性のものではあったが、凛とした力強さの中に、儚げな雰囲気を醸している。
「私の知人が余ったと言って送ってきたのですが、最初は勿論困りましたよ。よりにもよって男性型のセクサロイドですからね」
笑いながら説明する男は、「それ」の頬を撫で付けて、
「要するに性交渉の相手として造られたアンドロイドですよ。世の中は広いようで、女だけでは飽き足らず、こういったものに興味を持つ人間もいるようですね」
貴方はどのクチで?その冗談めいた視線が投げかけた質問に、臨也はくだらないといった口調で、
「いや、私が愛するのはこの世の全ての人間たちですから、こんな作り物に欲を抱く気が知れませんがねぇ」
それは、事実ながらも半分嘘だ。
自分は確かに人を愛している。その行動や罪深くも愉快な性質も、何もかもを。
だが、今自分は、このよく出来た造り物に多大なる興味を持っている。
あまつさえ、美しいと思ってしまった。
「・・やり場に困っているのならば、こちらが引き取ってもよろしいのですが」
口を滑った言葉に、男は目を丸くした。しかし次第にくつくつと笑いを溢し、
「珍しいではないですか、貴方が見返りも無しにそんなことを言うのは」
まさか、心でも奪われましたか?と問われ、即座に否定する。
「それに、これは世界的にもなかなか価値のあるものでしてね、今のところ誰の手にも渡す気は無いのですよ」
彼は人当たりこそいいが、臨也から見ても変わっており、気に入ったものはどんな手を使ってでも手に入れるという熱心な収集家でもある。
そんなところは自分とも似ており、それなりに気が合うほうでもある。
しかし彼の所有物であるこの人形を、臨也はどうしても欲しいと思ってしまった。どれほど金を積んでもいいというほどに。
「この型は製造段階で廃盤になってしまい、サンプルであるこの一体しか残っていないようなのです」
なるほど、つまり同じものを探そうにも出回っていないので俺の手に入ることは無い、と。
まるで、旅行に行ったことをひけらかすような口ぶりだな、と臨也は目を細めた。それで自慢のつもりか。
「・・・・どうしても、欲しいと言ったら?」
ぼそりと呟いた。らしくない臨也の態度に、「・・・ああ」と得心したように男は言う。
「貴方は、奪われるより奪うほうが性に合っているようですね」
含み笑いが癪に障った。普段の自分を見ているようで、これが同属嫌悪かと納得した。
「金は出す。望むだけの金額を言え、代わりにそいつを貰う」
自分でも驚くほどに低い声が出た。揚げ足を取るかのように男は口元を歪め、
「ふふ、「そいつ」?これを人間のように言うのですね」
「御託はいい、さっさと渡せ。さもないと今回の話は無しだ」
すると男は困ったような表情で、「子供の喧嘩ですね」と揶揄する。構うものか、と語気を強めて臨也は言った。
「それだけじゃない、アンタのところの子会社の商品リストにあった違法薬物、サツや然るべきところに垂れ流してもいいんだが?」
それだけ告げると、男は先程までの顔が嘘のように憎々しげに舌打ちし、背を向けて右手の人差し指を立てて見せた。
「最低でもこれだけだ、あとは誠意を見せろ」
スーツの隠しからジッポと煙草を取り出すと、一本を加え火をつける。予想はしていたが、なかなかに別人のようだ。
「・・・・明日にでも、そちらの口座に振り込んでおきますよ」
再びいつもの営業用の顔で、「これからもご贔屓に」と、人形を抱え臨也は立ち去った。
起動する際は首にある痣に指で触れる。その指紋の主をマスターとして認識し、リセットするまでの間どのような命令にも忠実に従う・・。
薄っぺらい説明書の一行目に書かれていたのはそんなこと。
このアンドロイドの上半身に着せられていたのは、真っ黒なベストに白のYシャツ、それに襟元に巻かれていた赤い蝶ネクタイというバーテンダーのような服装だ。
蝶ネクタイとシャツの上部のボタンを外すと、確かに人間で言う首の少し下あたりに、確かに青い痣がある。
そっとそれを撫でると、金属が叩かれたような高い音が鼓膜を突き破りそうなほどに響き渡った。
思わず指を離してしまう。アンドロイドを見ると、閉じていた瞳をそっと開き、静かに立ち上がった。
「前回のパスを消去中、データを初期化しています・・・」
淡々と音声を紡ぎ出すアンドロイドは、機械音が止むまで微動だにせず、ブラウンの瞳は虚空を見つめていた。
情報の処理が終わったのか、再び口を開いた彼は、暫くするとこちらを見て、告げた。
「貴方が俺のマスターですか」
感情の無い平坦な声で尋ねるアンドロイドに、臨也は頷いた。生唾を飲み込み、向こうの反応を待つ。
「製造ナンバー4Zoです。お好きな呼称でお呼びください」
「・・俺は折原臨也、まあ、よろしくね」
その名称の通り、よく見るとその手の甲に「4Zo」とゴシック体でくっきり刻まれていた。
戯れ程度に握手を求め、右手を差し出した。
すると、何を思ったか、4Zoと名乗った彼は、膝をついて屈むと、臨也の指に舌を這わせた。
「―――っ、何して・・!」
驚いて、さも当然のように咥えられた指を引いた。
「お望みではありませんでしたか」
首を傾げ、金の髪を揺らす。きょとんとした目が、臨也を映した。
この人形は、あくまでも口を利く性玩具。その事実を思い出して納得する臨也は、所詮はこの程度の感情の無いコンピュータかと目を細めた。
「君に、人のような心は無いのかい」
投げかけた疑問に、中身など無い。
「心とは、身体に対する知識、感情、意思などの精神的な働きのことと捉えてよろしいのですか」
彼の語彙は、全てメモリの中のデータベースから来るものだろう。
「俺に行動の決定権などありませんから、意思や感情は必要ありません。俺は臨也様の思うように動きます」
予想の範囲内の回答だ。つまらなさそうに臨也はその場に座り込み、
「君は、いくら綺麗でも、見栄えが良くても、やはり人じゃないよ」
皮肉った言葉も、造り物に響くわけは無い。
眉一つ動かさず、「俺は人ではありませんから」と事実だけを述べる。
「君は、俺を愛しいと思うかい?」
「臨也様が望むのならば」
これは愚問だ。分かっていて尋ねる自分は何なのだろうと、頭の片隅で臨也は自嘲するようにそう思った。
「その敬語と臨也様っていうのやめてくれない?堅苦しいし、俺は奴隷が欲しかった訳じゃない」
「では何と」聞き返した奴隷は、1oたりとも目を逸らさない。
「臨也でいいよ、君は笑えるほど静かだし、4Zoとかけて静かな雄で静雄だ。人じゃないからオス。略してシズちゃんと呼ぼう」
静雄、と名付けられた人形は、即座に「分かりました」とデータを上書きした。
静雄の周囲に僅かな機械音波が広がる。その間、臨也の赤い瞳は静雄をただじっと見つめていた。