「や、待っててくれたの?」


片手を挙げて、待ち合わせ場所の木の下に立っている静雄に声をかける。


振り向くとその短い金髪が少し揺れて、俺の姿を捉えた瞳が眠気を吹っ飛ばすように丸く開いた。


「まっ、待ってない」


ぱたぱた駆け寄ってくる静雄はたどたどしく俺の正面で立ち止まり、今度は黙り込む。


俺が時間通りに登校するなんてかなり珍しいことかもしれないが、今後は随分規則正しい学園生活を送ることになるのだろう。


「それじゃ、行こうか」


全て、彼と過ごす為だけに。





第二章 -ハジマリ。-(1)





「しかし、君たちが本当に付き合いだすなんて・・僕としてはまさに天地鳴動の驚きなんだけどね?」


先日俺の背中をいいように押した友人は、悪びれもせずヘラヘラと笑っている。


隣りで黙っている静雄は今にもその拳を彼に向けてしまいそうで油断できない。


「で?今日も早速一緒に登校してきたんだ」


「当然」


ストレートすぎる友人、岸谷新羅の言葉に僅かに頬を染めて恥ずかしげに俯いてしまう静雄と、当たり前のように今まで天敵であった相手との惚気を話す俺に周囲は随分と驚きの目を向けている。


俺としてはもっと見せ付けてやりたいくらいなのだが、そんなことを公衆の面前でやってのけた日には俺の右腕が捻じ切れてしまうか何かなってしまう可能性があるので会えて我慢しておく。


「いやぁ、僕としてもここまで上手くいくとは思わなくてね・・よりにもよって相手がアレだけど、ようやく静雄にも春が来たんだね」


「アレって何だよ」


やはり新羅は俺のことを大分軽視しているように思える。何を考えているのかよく分からない友人は、いきなり静雄に顔を寄せ、


「ところで二人はどんな感じなの?その後に何か進展あった!?」


興味津々と言った顔をしてメガネのレンズを光らせた新羅は、静雄の過剰防衛に二分と三十二秒気を失っていた。







――――そう、あの日から、俺たちは晴れて「恋人」となった。


日のまだ高い放課後に、俺は静雄を誘い共に帰路についている。


夏の日差しに意気消沈していた人々は、今まで犬猿の仲として町中に名を馳せていた俺たちが仲良く下校している姿に開いた口を塞げずにいた。


いや、仲良く、という修飾は根本からしておかしい。


教室を出てから今の今まで、会話という会話が無いのだ。


はずみで俺は静雄に告白してしまい、俺が日本を出るまでという期限付きでこの関係を続けることになったのだ。


実を言えば、本当のところその時が来れば強引にでも静雄を連れて行くつもりだが、それよりも、


「ねえ、シズちゃん・・」


「っ?!」


ずざざっ。そんな効果音が相応しいほどに静雄は後退り、顔中は真っ赤に茹で上がり、大きな目の動揺の色が隠せず、それでも俺の顔を直視はしないまま十秒ほどの間を空けて、「な、なんだ・・?」と早口に返事をした。


「いや、・・何でもないよ・・・・」



そうだ、あれ以来俺は静雄に触れていない。


というか触らせてくれないのだ。


恋人という関係を妙に意識しすぎた結果なのだろうが、キスどころか手をつなぐのも、今のように会話さえ殆ど無い。


中学生のようにプラトニックな恋愛の典型だ。特に静雄など、彼が誰かと恋愛をしたことがあるなど、天地がひっくり返っても想像出来ない。


新羅には、彼が昔恋をした人を傷つけてしまったという話は聞いたことがある。


しかし、それも少年時代の淡い片想いみたいなもので、実際に恋人なんて出来たこともないのだろう。


となればキスなんて初めてだろうし、俺だってそれなりに緊張しているのだから、静雄などその緊張に耐えられるはずも無いだろう。


そんな彼を可愛らしいとも思うのだが、生憎俺はそんな初々しい交際をするだけでは我慢できないのだ。


一応俺だって男だ。いや相手も男ではあるのだが、キスだって本当は毎日したいし、それ以上のこともしたい。


性欲処理だけならその辺の女を適当に見繕えば済むし、今までもそれに不自由はしなかった。


だが自分は今では女よりも静雄のほうがいいと思うし、寧ろ何故自分が今まで女を抱いていたのかが不思議に思えてならないほどに重症なのだ。


自分は静雄を抱きたい。今の欲求は何よりストレートだ。


だがそれ以前に触らせてももらえないというのは恋人としてどうなのか・・、本当に静雄は俺のことが好きなのか?と疑いたくなる。


待て、そもそもあの日のキスは俺が半ば無理矢理にしたことであって、静雄は俺に好きなんて一言も言っていない。


ならばこんなに静雄が緊張しているのは何故だ?好きでもない相手にキスをされて気まずいからというだけなのか?


自分が一人で盛り上がってる、なんていう格好悪い現実なのか?


延々と続く自問自答は、「・・・なぁ」という静雄の呼びかけで幕を閉じた。


「え、何・・?」


あまりに心の準備も何もしていなかったため、通常の1.5倍ほど鼓動が加速している。


そんな情けない自分をひた隠している俺の本心にはまるで気がつかずに、いつもこうあってくれればいいのに、というほどおずおずと静雄は尋ねてきた。


「お、お前さ・・俺のことその・・・・す、好き、とか言ってたけどよ」


多分、俺が静雄に告白したあの時のことを言ってるんだろう、そう察した自分の顔に体中の血液が集中していくのが分かった。


よくよく見れば、そのまま頭を下げて唇を噛み締めている静雄も、耳まで真っ赤に染め上げて交互に踏み出す足元を見つめていた。


「そ、それがどうしたの」


やばい、少し声が裏返っただろうか。サ行の音はちゃんと発音出来ただろうか。


こういうのが俗に言う「馬鹿みたい」な関係なんだろうか。


静雄に殴られて満身創痍の状態で授業を受けた新羅は、二限目の教室移動の際俺たちに「青春してるね」と空気も読まずに冷やかしを入れてきた。


こういう「甘酸っぱい青春」なるものには一生縁が無いんだろうなと決め付けていたが、過去の俺だってこんな未来など予想出来ないだろう。


過去に付き合ってきた女共だって、俺の単なる暇潰しで飽きたらポイ、の連続だったし、恋愛感情なんてあるはずも無い。


つまり俺がこの静雄に対する感情を「恋」や「愛」と形容出来たなら、つまりだ、つまりは。


これは初恋と呼ぶに相違ない、というかそれ以外にないのではないのか?


「俺の、どっどこが、好きなんだよ・・・」


頭が痛くなった。


静雄の質問よりも、「初恋」に戸惑う自分への笑える嫌悪感のほうが勝った。


「俺がシズちゃんのどこが好きって?」


この心臓の昂りを好きな気持ちと表すならば、それは静雄の全てだ。


脱色したくせにまるで傷んでいると思わせない指通りのよさそうな金髪も、近くで見れば意外に長い睫毛も、日本人にしては色素の薄い、茶色っぽい瞳だって。


あんな化け物染みた力を持っている割に俺と大して変わらないくらい細い腕も、長い足も白い肌も静雄の力自体さえ。


数え出したらキリが無いし、一々答えていったらどうせ怒られるか気持ち悪がられるんだろう。


敢えてそれらは口には出さず、「分からない」と伝えた。


「分かんねぇって、お前・・・なのにあんなこと言ったのかよ」


少し語尾が強くなった。軽蔑されただろうか。それはそれで傷付くが、誤解されては困る。


「だって、好きなものはしょうがないでしょ。君のことが好きっていうのに嘘偽りはないんだから」


俺にしては大分直球かな、というほど普段の自覚出来る理屈っぽさは見当たらなかった。


柄に無く「好き」を連呼する俺に、耐えられなくなったのか「もういい」と制止した静雄。


暑い夏の東京で、ただでさえ火照った体。その上その手は彼のブレザーのポケットの中で握り締められていた。


こうして並んで歩くと、静雄は少し猫背気味なんだな、と今更思った。


「ただね、これだけは分かって欲しいな」


俺は隣から静雄へ手を差し出した。


静雄は俺の手に、俺が好いているその目を向けた。


「俺はいつだって君に触れていたい」


いつの間にか、二人とも足を止めている。


好奇の目は、周囲のざわつきは、最早気にもならなかった。


躊躇いがちに伸ばした静雄の手を、やや強めに引き寄せた。そのまま観衆共に見せ付けるように静雄の唇を掠め取った。


「―――――っ」


息を呑むのは群集か、それとも目の前の恋人か。このまま深い口付けというのはムードがないので諦めたが。


どうだ、と辺りを一周見回すと、急に空気が冷えた気がした。


離れた静雄の唇からは、声にならない声が途切れ途切れに漏れ出し続け、仕舞いには俺の手の甲に深々と爪を立てて叫んだ。


「こっの・・ノミ野郎があぁああああああっ!!」


そのままフルスイングした拳は俺の額を正確に捉え、頭の割れるような激痛と、自分の体が風を切って吹き飛ぶあまりに非現実的な感覚に目を閉じた。






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