「待ちやがれ、いぃざぁやぁああ!!!」


くそ、やっぱり化け物だ、コイツ。


自分は普通の大人より、結構体力があるほうだと思っている。同年代だって、運動部にも負けない程度に足は速いし、力だってそれなりに強い。


それも、普通の「人間」相手ならば、だ。


後ろから迫ってくる怪物は、俺が少し隙を見せるだけで弾丸のような拳をぶつけてくる。鬼のような形相で、追いかけてくる「平和島静雄」という怪物。


どうして、こんなヤツを好きになってしまったんだろう。




第一章 -ぼくたちは、恋していく。-(4)




池袋の大通りでは、いつもの俺たちの喧嘩と思って、指示も無いのに道が開く。


人込みの中には、こちら、主に静雄に対し畏怖した眼差しを向ける者もいれば、好奇心から携帯電話で写真を撮り出す者もいる。


この場所ではあまりに目立つ。最早日常と化してしまった自分たちの関係は、例え自身が無意識に生み出してしまったものだとしても、修復なんて不可能のように見える。


俺は車道へ飛び出し、道路を走る車に飛び乗った。それに驚いた観衆のどよめき。静雄も流石に立ち止まったが、すぐに眉間を顰め、何も躊躇わず、長い足で地面を踏み込み追いかけてきた。


俺は何かのゲームのように車から車へと渡っていく。俺の足の軽い衝撃に次々とブレーキをかける運転手たち。


そのまま反対側の歩道へ移った俺はちら、と後ろを見遣る。同じように静雄も車を踏み台に、一直線に俺を追ってくる。


それが少し嬉しく思うなんて、どうやら俺は大変末期のようだ。


「シズちゃん、こっちだよ!」


わざと大きく手を振って、相手を挑発するように呼びビルとビルの間の小路に逃げ込んだ。


埃っぽく、かび臭い道を通ると、先ほどの道が嘘のように、がらりと人気の無い通りに繋がっていた。勿論、この道を選んだのは偶然などではない。


俺は目の前にそびえる廃ビルの非常階段を上がっていった。カンカンカン、錆びた足元から嫌に高く聞こえる音。


俺が七段目の階段を踏んだ瞬間、あの細い道を通って静雄がやってきた。俺の姿をその目に捉えた瞬間、不快と狂喜がごっちゃになったような顔で階段を目指す。


「臨也ぁ!!」


俺はビルへと続く扉の鍵を開ける暇も無く、勢いよく廃れたドアを蹴り飛ばす。


普段静雄がやっているような行為を、実際目の当たりにしている自分で試してみるのはなかなか新鮮なものだが、聞き慣れた鈍い音に耳を塞ぎたくなる。


あと数分は足の痺れが取れないだろう。しかし俺は脇目も振らず走り出す。


外観とは裏腹に、使われなくなってからまだ日が浅いのだろう、予想していたよりはまだましな程度の内部だったが、汚いことに変わりはない。


すぐそこで、階段を駆け上がってくる足音が聞こえる。三流のホラー映画みたいな、重っ苦しいものではなくて、それこそ鋭い弾幕の甲高い靴音。


俺は廊下の先にある、屋上に通じる階段を目指した。大して距離の無いそこまで進むのに、随分と長い時間を感じた。


その埃立つ階段を登ったら、取っ手についた鍵を難なく開ける。開いた扉は、外の空気を思い切り吸い込み、いつの間にか暮れた世界を俺の目に焼き付けた。


これから、終わらせるんだ。


夏の夜の空気は冷たい。飲み込んだ風は、喉から胃の奥まで俺を侵す。


嗚呼、もうすぐでシズちゃんがここについてしまう。心の準備は、まだ出来ていないというのに。


あれほど青々としていた空が、俺たちが「戯れ」ている間に色濃く闇を敷いてしまっていた。


ネオンはまだ点いていない。人通りなんて特に無いこの通りに、明かりなんて必要ないのだろう。


そんな景色に思いを馳せていると、背後にある扉がゆっくりと開いた。静雄だ。


いつものように扉を破壊しなかったのは、多分俺が鍵を開けたままにしておいたからだろう。


「今日という今日は手前を地獄に送ってやるぜ、臨也君よぉ・・!」


ゴキリ、と関節を鳴らし、力強くこちらを睨む静雄は、一歩一歩コンクリートの大地を踏みしめるように近寄ってくる。


「あはは、待ってたよシズちゃん」


俺は静雄に向かい合うと、おどけたように肩を竦める。「俺に殺される日をか?」と至極当然みたいに聞き返す静雄の機嫌は悪いままだ。


「違う違う、実は今日、君に言わなければいけないことがあってねえ」


首を横に振ると、真っ暗な空間に俺の黒髪が揺れた。明かり一つ無い屋上で、静雄の表情は読めなかった。


小さく息を吸うと、用意されていたかのように言葉がボロボロ溢れ出す。


「もうすぐ、俺は日本を離れるんだ」


あんまりにストレートで、若干俺らしさを見失いそうになる。静雄の反応を窺った。


「・・そうか、そりゃよかった」


淡々と返された言葉に、さして感情は込められていなかったように聞こえた。


「ようやく目障りなノミ蟲が消えるんだな」低い声はきっと笑いを堪えているから震えているんだろう、そうに違いない。


「ところで、ここからが本題なんだけど」


言うつもりも本当は無かった、だというのに俺は切り出してしまった、終幕を告げるブザーを鳴らしてしまった。


「俺、そう考えてたらシズちゃんのこと思い出したんだ」


古い鉄のフェンスにもたれかかると、信じられないほどこの口は、俺の思いをスラスラと代弁してくれた。


最初はそりゃ何でって真っ先に疑問を抱いたよ、それから何で自分がシズちゃんにあんなに執着してたのか、今更考えてみたんだ。そして、それらが軽く常軌を逸してる行為ってことに気が付いちゃってね、いつの間にか俺の中には君に対するドロドロした想いが巡っていたんだ。大嫌いな君に関わる気なんて本当はサラサラ無かったはずなのに、君の顔を見ると理由も無くムシャクシャして、無理だと分かっていながらどうしても屈服させたくて、こんな感情を抱かせておいて全く君は何様のつもりなのかなぁ?!


一頻り言い終えると、辺りは一瞬、静まり返ったように感じた。俺の口が塞がっただけなのに。


静雄からは何も言ってこない。言葉も無いのか、もしくは俺の言葉の真意が伝わっていなかったのか。


「まだ分からない?」


あ、言っては駄目だ、このまま歪な丸で終わらせたいのに、伝えてしまってはもう青春の過ちを取り返しのつかないトラウマへ昇華させてしまう。


だから俺ではないこの俺は、



「―――君が好きだと言っているのだけど?」



伝えてしまった。もう、戻れなくなった。静雄も多分真に受けてはくれないだろうが、最後の最後でとんだ嫌がらせだと思われてしまったのだろう。


「なに、言って・・・」


「悪かったね、俺のせいで君の青春めちゃくちゃにしちゃって」


遮った謝罪の一言は、言うべきだと思っていた苦肉のフレーズ。


まさか本気にしたか?動揺するように聞こえた静雄の声。それはそうだ、いくら同性愛が法的に認められるようになったからって、普通男に告白されて喜ぶヤツなんていないだろう。


最悪の別れだ、俺が想像し得る範囲で。


もう、いたたまれない。踵を返して開きっぱなしの扉へ向かう。すれ違った静雄の表情は、俯いていてやはり読み取れない。


怒ってくれていいから、本気にしないで。


ただ一言だけでいいから、聞いていて。


「バイバイ、シズちゃん」



―――好きだったよ。



俺はドアノブに手をかけようとした、すると、もう一方の手に引っ張られ、進めない。


俺は振り返った。俺の左手はしっかりと握られていた。―――静雄の手によって。


「・・シズちゃん?」


一瞬、何が起きたのか分からなかった。


その時、この廃れた通りのネオンが一斉に輝き出した。下品なピンクや、遠くで光る淡いオレンジ。それらの光に照らされた喧嘩人形は、俯いたまま顔を見せてくれない。


綺麗に染まった金髪がある。だが、この体勢ではそこから彼の表情を窺うことは出来ない。


俺は体の向きを変えた。それにつられ静雄の腕も引っ張られるように俺に寄せられる。


その肩をしっかりと両手で掴む。静雄の頬に当てた手、ゆっくりとこちらに顔を向けさせると、平和島静雄はそこにいなかった。


眉は八の字に下がり、真っ赤な照明の当たった顔はそれ以上に赤く火照っており、今にも泣き出しそうな目で俺の顔を捉えていた。


キスしたい。無性に口付けてやりたい。


そんなことをしたら、お別れなんて絶対に出来なくなる。そう理解しているのに。


そんな欲求を後押しするように、静雄の瞼は閉じられた。震える睫毛は、近くで見ると思っていたより長くて。


静雄の後頭部に左手をまわし、ゆっくりと顔を寄せる。ファーストキスでもなんでもないのに、この緊張感が自分でも信じられなかった。


優しく、優しく数秒間触れるだけのキスは、今までの自分を根底から覆すようなとても幼稚なものだった。


触れている唇は、男のものとは思えないほど柔らかくて、熱かった。


薄く目を開けると、凄く近くに静雄の顔がある。目尻には生理的な涙が浮かんでいて、鼻先に当たった金髪が少しくすぐったかった。


名残惜しくも唇を離す。でも、自分の手は静雄にまわしたままだ。静雄が恐れるように、しかし必然みたいにその目を開く。


「・・・こんなことしたら、離れられなくなっちゃうじゃん」


衝動的に静雄をきつく抱き締めた。驚いたような顔は俺の顔を見てやはり悲しげに見えてしまう。


俺は今、多分かなり嬉しそうに笑っているのだろう。


「一ヶ月でいい、俺がここにいる間、」


俺の我が儘に付き合ってくれるかな?


肩に埋められた静雄の熱い顔が、Yesの返事と確信した。






ぼくたちは、恋していく。






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