アニマ・メモリア | ナノ

夜を貪り月喰らう。

 雲一つない空を見上げ、アンバランスに整えられた夜に溶けそうな髪を涼やかな風に揺らす。
 頬張った飴玉を躊躇なく噛み砕いて、未珠は丸い月のその向こうの何かを見通すように、目を窄めた。

「──つきが、きれーでっすね、……なんちてー」
「ええ! そうですね、とても綺麗だと……思います……。あっいえ、月もですけど、その綺麗な月明かりに照らされた未珠さんが更に綺麗というか美しいというか、麗しいです!!」

 少年──月方光希。群を抜いた未珠信者の一人である。──は恍惚といった様子で、自分の目の前に立つ少女を見詰める。よくもまあ次から次へと賛美の言葉が浮かぶものだ。光希の熱い口調に小さく笑いを零しながらも、未珠はくるりと後ろを振り返り、宥めるように声を上げる。

「ありがとお。でも、ね。ほら、──今は、ね」

 静かに。と人差し指を唇に当てて、艶然と笑う。諌めるような言葉を聞いて、光希は姿勢を正すと、謝罪のつもりだろうか、小さく一礼をした後に背筋を伸ばして、一歩、後ろへ下がった。
 視線は冷ややかに、投げ出された四肢を見下して。
 未珠はそれを確認するなり、視線を男に戻す。乱れた服装を正すように襟元を整え──指に当たった銀のバッジを引き千切り、月明かりに掲げた。

「踏み込みすぎたね、おにーさん?」

 刻まれた意匠は狼。男の視線があちこち彷徨い、諦めたかのように伏せられる。しかし、その口は堅く閉ざされたままだ。仕方ないなぁ、と小さくぼやいて引き千切ったバッジを光希に投げる。片手でそれを受けとり、忌々しげに睨んで舌打ちを噛ました少年を諌めるように、未珠は笑みを向ける。

「天然モノを調達するまでは上手だったねぇ、未珠さんびっくりしちゃったぁ。でもねえ、残念。あたしの仲間には……ウソがわかる子がいるの」

 心を鎖すこと──外部からの干渉により、思考を読めなくする──は、一朝一夕に身につくものではない。それに、完全に鎖せる人間など、そうはいない。どこにでも、穴はある。そこを突いてしまえば、ハリボテの壁など崩すに容易い。
 捨て駒。こちらを試したつもりだろうか、それとも要らぬことを知った人間だったか。そのどちらかは、“まだ”知らないけれど。

「上っ面だけで行動してればよかったんだよ、君はさ。下手に情報を集めようなんて欲に駆られたのが間違いだったんだ。──ほんと、残念だったね」

 ひゅう、と男の喉の奥から漏れた呼吸に、笑みを深める。痛覚を鈍くした分、深く負った外傷に、脳の理解が追い付いていないのだろう。現に自分がどうして動けないのか、という目の色をしている。
 投げ出された四肢に力が入ることはない──既に関節を砕いている。自分に跨る少女を殴りつけようにも、振り落そうにも、それに必要な部位が動かないのではどうしようもない。

「緊張、しなくていーよ」

 赤く艶やかな唇を唾液で濡らし、未珠は微笑む。視線は外さず、男の黒い眼をじっと見詰めたまま、呼吸すら奪わんと、深く、深く口付ける。嬲るように、ねっとりと。男の命そのものを、吸い出し、まるで喰らうように咀嚼して。

 ──そうして、一体何分経ったろうか。

「……っふ、はぁ、んっ」

 唇をゆっくりと離す。唇同士を繋いでいた銀の糸が、ぷつりと切れる。男の身体から完全に力が抜け落ちた。“それ”は最早、ただそこに在るだけの、肉塊だ。

「んん、ビター。あぁ、でもちょぉっと甘ぁい。ふふ、きみはあたしがもらってあげる」

 ──ずうっと、あたしの中で、生き続けて。
 美味かな、美味かなと頷きながら、血色のいい唇を拭うように親指でなぞる。その扇情的な行動と艶やかな色に当てられて、光希はぼんやりとした様子で、無意識に言葉を落とした。

「僕も、吸い尽くされたい……」

 意識していなければ、聞き逃していたかもしれない。それくらいに声音は小さかった。しかし、それを聞き逃す未珠ではなかったようで。んー、と首を傾げるような素振りを見せ、

「月光がいなくなったら、困るにゃー」

 まるでそばにいるのが当たり前だ、とでも言いたげにそう告げて。光希はハッと我に返ると、慌てて取り繕うように「ぼっ、僕は未珠さんのそばから絶対に! いなくなりません!!」と返して、頬を染めた。言った後で恥ずかしくなったのか、夜の闇の中でもわかるくらいに、その頬は紅潮している。

「月光はあたしに必要なんだから」

 そう言うと意味ありげな視線を投げて、口角を上げた。その視線は一瞬。未珠は立ち上がると軽く服の裾を叩いてから、指先から伸びる銀の糸のようなものを引くと、それを無造作に男の躯に落とした。銀糸を、緩やかに爪弾く。
 ばいばい、と唇が動いた。その肉塊──躯はやたら不自然な動作で立ち上がると、ずり、ずり、と全身を引きずるように闇の中へと消えて行く。

「──……んん? ああー、ふぅん」
「何かわかりましたか?」

 銀バッジを手慰みに弄っていた光希が、ぱっと面をあげて少女を見る。未珠はんふふ、と小さく笑いながら指先で、少年の額を突いて。

「ガッコでは気を付けて、って言ったのに」

 別にいいけどね、光希だから許したげる。と言い足すと、くるりと方向を変えて、男が消えて行ったのとは反対の道へ歩みを進める。ぽかん、とした表情の光希は、慌ててその背を追う。

「あー……んまかった」

 満足げな、甘く蕩ける声。
 口の中に満ちた甘さと、ほんの少しのほろ苦さを思い出して、ぺろりと唇を舐める。

「月が、きれー、でっすね!」

 鼻唄歌い、ステップ踏んで、踊るように。未珠の姿は夜に溶け消えた。

140707


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