アニマ・メモリア | ナノ

甘く苦く、侵食。

 隕石が飛来してから約半年経った、古斗野町住宅地。
 ぱちぱちと火の爆ぜる音で、幼い娘は薄っすらと目を開けた。意識は朧げで、今自分がどうして倒れているのか、わからないといった表情だ。
 ただ、嗚呼、燃えていく。と、事実だけを青く小さな双眸に映していた。視線だけがまるで何かを探すかのように忙しなく動き──火の向こうにいる両親の姿を、ようやく捉えた。「たすけて」、と唇を動かすが、声は出ない。どうにかして身体を動かそうにも、指先がぴくりと動くだけで、起き上がることは困難だった。はくはくと酸素を求めて唇が戦慄く。その拍子に、煙を僅かに吸い、小さく咳き込んだ。

「──我々は捨て置いてください!!」

 霞みかけた意識の中で響いた温厚な父の怒声に、目を見開き、荒く息を吐く。そこでようやく、自分と両親以外の誰かがこの場にいることを認識して、目を凝らす。もうもうと煙の立ち昇る中に見えたのは、母の美しい──今は煤で少しばかり汚れてはしまっているが──金の髪。そうして、二人の正面に立っている、誰かの白い髪。まるで降ったばかりの新雪だ。一片の汚れもない真白のそれは、燃え逝こうとしているこの場所において、酷く違和感を持たせる。
 ぜえ、と息を吐いた父を支え、宥めるように手を取った母の髪に、火の粉が降り注ぐ。──けれど、母の髪はただ汚れるだけで、髪が燃えたような様子は無い。よくよく考えれば、髪に火の粉が降り掛かって汚れるだけ、という事実がおかしいと分かった筈だが、今の少女にそれを判断/判別出来る思考の強さは無かった。

「わかった、わかったよ。きみらの覚悟は、確かに受け取った。娘さんさえ無事であれば……それで、いいんだね?」

 幼くどこか舌足らずな声に似つかわしくない、大人びた言葉の響き。両親が動く度、隙間から見える雪のような髪がゆらり、ゆらりと揺れている。顔の判別は付かないけれど、歳は自分とそんなに離れていないような気がする。
 ──おとうさん、おかあさん。そう、かさかさの唇を動かすも、やはり出るのはか細い息のような何かだけ。娘の意識は緩やかに混迷する。落ちまいと、幾度かまばたきを繰り返して──最後に視たのは、まるで血のような二つの赫い、何か……──。

 くるり。白い髪を持つ少女は振り返り、苦しげに縮こまる幼い影を見やる。どこか困ったような、放っておけないといったような。曖昧で複雑な表情だった。縮こまる影の意識が緩やかに混迷していったと同時、白い髪の少女の前に立っていた二人は膝から崩れ落ちるように倒れた。──炭になるのも、時間の問題だろう。
 娘の両親の覚悟ごと、“それ”を引き受けて、着物の袖で唇を拭う。背後に控えていた青年を軽く顎でしゃくり、気を失ったままの縮こまる少女を抱えさせた。一歩、足を進める。──火が、白き髪の少女を避ける。さながらそれは、海を割ったモーセのようだと云えた。

「相変わらず、どうなってんだかわからないな、アレ」

 気を失っている金の髪の少女を抱え直して、小さく乾いた笑い声を漏らす。目の前に存在する異能者は、間違いなく七大罪に評されるであろう強き力の持ち主であり。──己はそんな娘に仕える者であり。
 数奇な運命を呪った試しは無い。ただ、こうも目の前で不可思議を連発されると、物語の世界の有難味は無くなるよな、なんてくだらないことを、思っただけだ。白き髪を追って歩む自分すら避ける火にまた、苦笑いを零す。

 ──これだけのことがありながら、燃えた家の周辺には少しの被害も無い。被害が無いどころか、野次馬すらいない。青年はコンクリート壁に金髪の少女を寄りかからせ、指の腹で頬の灰を拭ってやる。……汚れが広がっただけな気もするが、この際、それは気にしないことにした。
 自分らよりも一歩早く、新鮮な空気に触れていた白髪の少女は、暫く月を仰いだ後、かんらこんろと木履を鳴らして、金の少女の前に立つ。母譲りであろう、金の髪を幾度か撫でたのち、その頬に触れて、乾いて灰の付いた唇を舐め、接吻(くちづ)ける。

「あたしを、恨めよ」

 零距離で囁く。その声音は、見目にそぐわぬ毒々しさと艶を持って、静かな住宅地に響いた。どこか名残惜しげに触れた手を離し、ぴんと背筋を伸ばす。表情には少しの動揺も後悔も喜悦も無く。ただ、ほんのりとした笑みかどうか判断のしにくいそれが浮かんでいるだけ。
 青年は白髪の少女の乱れた髪に手櫛を通した。燃え盛る家屋の中心部にいたにも関わらず、少しの汚れも見当たらない処女雪のような艶のある髪。撫でるようにして、何度か動きを繰り返す。

「きみは、あたしを殺す為に──生きるんだ」

 コンクリートの地面に触れてしまいそうな程に長い髪を揺らして、どこか自嘲気味に言い放つ。青年はただ、同じ動きを繰り返して、繰り返して。──そして、ようやくかさつく唇を開いた。

「嬢、そろそろ」

 その言葉を聞き入れ、白髪の少女は青年に向かって小さな両手を伸ばす。流れるような髪から手を離し、慣れた風に少女を抱き上げる。金髪の少女を見下ろすその表情(かお)は、──嗤って。

「甘く苦い記憶を、精々堪能しろ」

140707


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