夢のあとさき
89

トレントの森の一番奥、オリジンの封印の石碑が立っている空地にクラトスはいた。その姿は、昨晩会ったのとまるで変わらない。あれが夢ではないかと思い続けていた気持ちが霧散してしまうようだった。
クラトスは私たちの気配に気がついていただろうに、言葉の交わせる距離になってようやくこちらをむいた。ロイドが先頭に立って、クラトスと言葉を交わす。
「……来たか」
「どうしても戦うのか」
「……いまさら、何を言う。中途半端な覚悟では……死ぬぞ」
ロイドの問いにクラトスはそう答えた。
死ぬ。クラトスに勝てなければオリジンの封印は解けず、世界の統合は成らない。クラトスに勝てたとしても、オリジンの封印のためには――。
「オリジンの契約がほしくば私を倒すがいい」
「それが……あんたの生き方なのか」
クラトスの意志はどうあっても変わらないようだった。私が、ロイドがそれぞれ道を選んだようにクラトスも道を選んでしまっている。……それは、死への道だ。
「みんな。ここは俺に任せてくれ」
ロイドが私たちを振り向く。それにクラトスは目を細めた。
「……一人で大丈夫なのか?」
みなでかかってこなくていいのか、と今さら言うのか。あなたはロイドただ一人に、その手にある剣を渡したいと思っているのに。
「ロイドに……あなたたにちに、任せる」
「姉さん」
私は強くあれなかった。父であるクラトスと戦うことはできない。その重責をロイドに担わせてしまうのは心苦しいけれど、同時にロイドなら大丈夫だとも信じている。私はロイドの腕を引くと一度ぎゅっとその胸に抱き付いた。
「ごめん……、ロイド。お願い」
「……うん」
一瞬の抱擁でロイドに伝わっただろうか。グローブに包まれた手が私の背中を優しく叩いて、ロイドはにかっと笑った。そしてクラトスに向き直る。
「……あんたが過去と決別するなら、それに引導を渡すのは……息子である俺の役目だ!」
剣を抜く。ゆっくりと構える。同じようにクラトスも腰に下げた長剣を抜き、ロイドと対峙する。
私たちは知らずのうちに一歩下がっていた。そして息を詰める。その緊張の糸がまさに切れそうな瞬間、ロイドは息を吐いた。
「行くぞ!」
そして、剣戟が森に響き渡る。

その戦いを、私は自分でも意外なほど凪いだ心で見守っていた。
儀式めいたものでありながら、生と死を賭けた真剣勝負。クラトスはほとんど魔術を使わず、剣技だけで対抗していたが、それは本気を出していないからではないだろう。ロイドの二刀流に追いつくためにはそうせざるを得ない。それでも不意打ち的に繰り出す魔術は効果的で、ロイドは間合いを離れざるを得ないときも何度もあった。
みんな息を呑んで勝負の行方を見守っている。それはロイドの剣がクラトスのもとへ、勝利を告げるかたちで届くまで続いていた。
「――」
クラトスが膝を折る。負けを認めるように。
「……強くなったな」
その言葉が勝負の終わりだった。ロイドは剣を収めて、そして改めてクラトスを見つめた。
「……あんたのおかげだ」
「とどめを……刺さないのか?」
一瞬胸が痛む。ロイドはふっと笑ってすぐに答えた。
「俺は、俺たちを裏切った天使クラトスを倒した。そして俺たちを助けてくれた古代大戦の勇者クラトスを許す。それだけだ」
過去との決別をロイドはそんな形で受け止めたらしい。みんなの顔を見るとそれで納得しているようで胸をなでおろす。
「フ……。……ようやく死に場所を得たと思ったのだが……やはりおまえはとことんまで甘いのだな」
クラトスの台詞は古代大戦から長い時を生きていた勇者の本音であったに違いない。よろめきながらクラトスは立ち上がる。そしてゆっくりと封印の石碑へと歩いていった。
「ま、待て!まさか、封印を解放する気か!?」
ロイドの慌てた声に私ははっとした。封印を解放すればどうなるか、そんなのは自明だ。
けれどクラトスは首を横に振る。そしてロイドを、その後ろの私を見て瞳だけで微笑んだ。
「……それが望みだろう」
「それじゃあ、あんたが……クラトス!」
「お父さん!」
違う、そんなのは望んでいない。あなたの死なんて、望んでいないのに……!クラトスは止まらない。私は思わず駆けだしていた。何もできないと知っているのに、体が勝手に動いていた。
私の手が倒れる父へと伸びる。けれどその前にクラトスを抱きとめたのはユアンだった。
「……ユアン!」
「私のマナを分け与えた。大丈夫。クラトスは……生きている」
「ほ、ほんとに……?」
いつからユアンが見ていたかは全く気がつかなかったが、とにかく安心した。思わずふらついて、その場にへたり込んでしまったくらいだ。
「とうさ……、……クラトス。本当に大丈夫か?」
ロイドが私を心配するように肩に手を置きながら、クラトスにも声をかける。クラトスは閉じていた瞼をゆるりと上げると――本当に生きていて――呟いた。
「……また死に損なったな」
「バカやろう!死ぬなんて、いつでもできる。でも死んじまったらそれで終わりだ!」
クラトスの言葉にロイドは感情的にそう叫んだ。その通りだと思う。ただ、今の私は安堵が勝って何も言えないのでクラトスの手をぎゅっとつかんだ。
「生きて地獄の責め苦でも味わえと?」
助けたくせに、そんなことをユアンが言う。ロイドは首を横に振って睨むように二人を見た。
「誰がそんなこと言ったかよ!死んだら何ができる?何もできないだろ!死ぬことには何の意味もないんだぜ!」
「……そうだな。そんなあたりまえのことを、息子に……教えられるとは」
握っていた手から力が抜けていく。慌てて「お父さん!」と呼びかけるとユアンがふ、と微笑んだ。
「クラトスなら大丈夫だ。ロイド、おまえはオリジンと契約しろ」
そう言ってユアンがクラトスを抱き上げたまま立ち上がる。オリジンとの契約でまた戦闘が行われることを見越して退いてくれたのだろう。私は外された手を見てから立ち上がった。
「姉さん」
「大丈夫。契約を、済ませてしまおう」
戦えないなんてここで言うつもりはない。ロイドは力強く頷いて、封印の前に一歩進み出た。


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