夢のあとさき
86

空を見上げるとずいぶんと日が沈んできていた。空気も冷えている気がする。話題が途切れて、私はぼんやりと今日はあの宿に泊まるのかなあと考えていた。それにクラトスのことを。オリジンの封印の前で待たせたままだとあの人はどこで眠っているのだろう。
「あのさあ」
同じようにぼんやりとしていたと思っていたゼロスが口を開く。私は視線をゼロスに戻した。
「俺は親子の決闘なんてするべきじゃないと思うワケよ」
「……うん」
「だって決闘つったって、オリジンを解放したらあのおっさんは死ぬんだろ。それって――父殺しをさせるみたいなもんじゃねえか」
「……そのとおりだね」
「子どもに全部押し付けて死ぬなんてさ」
ゼロスの言いたいことは分かっている。私はもう一度空を見上げた。
もし、コレットのときと同じように、クラトスを犠牲にしないで済むのなら。そう思うのを止めることはできない。だがコレットのときとは話が違うのだ。マナを放射して封印を解き放つ――それ以外に手がないのだとしたら、あの人は死ぬしか道がない。
「……でもさあ、もし、そうしなきゃいけないなら……ロイドの言った通り、ロイドに任せるべきなんじゃねえかって思うぜ」
最初の話題に私たちは戻ってきていた。いや、この話をするためにゼロスは私の腕を引いたのだろう。かなり遠回りしたなと私は他人事のように思う。返事ができないくらいに。
「レティは本気、出せねえよ」
「どうして……」
「同情しすぎなんだ。クルシスのクラトスのこと、受け入れられてないんだよ」
ゼロスの言葉の意味が一瞬分からなかった。頭の中で復唱する。受け入れられていない……?クルシスの天使で、四千年生きていて、かつてミトスの仲間であったクラトスのことを?
「ロイドくんの方がこういうのは向いてるってワケ。わかるか?弟だからってのは関係ない、いや、弟だからこそだろうな。ロイドくんはオトウサンのこと、覚えてなかったんだから」
そうか、とようやく腑に落ちた気分だった。ゼロスは私の話を聞いて、そしてこうやって判断したのだろう。自分で自分の思いを反芻するとゼロスの言っていることは間違っていないような気がした。
マナの守護塔で光の精霊と契約するとき、クラトスを足止めするために戦ったことはある。あのときの私は間違いなく本気だった。それこそ感情を取り戻すくらいには昂ぶっていたのだろう。
でも今、コレットやゼロスにクラトスをどう思っているかを吐露してしまった以上、私は自分の感情をあの時以上に自覚してしまっている。知らないままで、気がつかないままでいられたならよかった。けれど、もう刃を向けることはできないだろう。
「そっか……」
クラトスとの決闘は負けられないものだ。そんな戦いに、私が参加するのはむしろ足手まとい、ということか。
ロイドはまっすぐだ。クラトスの気持ちだってまっすぐに受け止められるだろう。それは私にはできないことで、クラトスに必要なことでもある。
「うらやましいなあ」
そう言ったのは無意識だった。目を細める。もう一度、沈みかけの太陽に視線を合わせた。
「ロイドくんが?」
「……わかる?」
「そうだなあ、うらやましいってのとはちょっとちがうけど、ああいうふうに生きれたら楽しかったんじゃねぇかとは思うぜ」
「楽しい、か。うん……そうだね」
飽きっぽいロイドは様々なことにチャレンジするのが好きだった。今はそんな飽きっぽさもなりを潜めているけれど、ものごとに全力で取り組む姿勢は変わらない。責任感が強いところも、包容力があるところも、恐れを知らないように何にだって挑んでいけるところも。
自慢の弟はとっくに私なんか追い越して先に進んでしまっていたのだ。それを今さらショックを受けてたなんて馬鹿馬鹿しい。吹っ切れてしまうとくだらないことで悩んでいたのだなと笑えてしまうくらいだった。弟をうらやましがって、嫉妬して、それこそ姉として失格だ。
「私なんて、もうロイドには必要なかったんだね」
親父さんの家と、イセリアと。それだけがロイドの世界だったときはよかったかもしれない。でも旅に出てロイドは私以上に成長したのだ。もう私が護ってやるなどと言えないくらいに。
「必要ないってことはないんじゃねぇの」
そんなふうに思っていたのだが、ゼロスは軽い調子で否定してきた。
「レティちゃんだってロイドくんが強かろうが弱かろうが、ロイドくんがいないとイヤだろ?そんなもんだよ」
「……いないとイヤ、か。はは、そうだね」
理由なんてないのだとゼロスが言う。愛おしい人にはそばにいてほしい。そばにいなくても、元気でいることを知っていたい。ずっと見守っていてほしい。
ずいぶんと心の整理ができた気分だった。本当は――本当に、話をしたい人はここにはいない。けれどゼロスは自分も傷ついて、大きな決断を下したばかりだというのに私に付き合ってくれた。
私はベンチから立ち上がる。大陽は沈んで見えなくなってしまって、水平線の向こうから雲をわずかに赤く染めるだけだった。
「ゼロス、ありがとう」
振り返ってお礼を言う。思い出せば、ヴォルトの神殿で契約を交わした直後にもロイドと言い争うになったことがあった。あのときもゼロスが仲裁してくれたんだっけ。
「……どういたしまして」
ゼロスも立ち上がる。私たちは来たときとは反対の微笑みを浮かべて長い対話を終えたのだった。


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