夢のあとさき
81

コレットの言葉に我に返った私たちはすぐさま戦闘の体勢に入っていた。このままだと大いなる実りが失われてしまう。それでは世界の統合どころか、世界の維持すらままならないだろう。
ミトスは剣を抜いた私たちに少年の姿から青年の姿に見た目を変えた。クルシスの輝石というのはこんなことも可能にしてしまうのかと思うと目眩がする。あまりに人の理を逸脱した所業だ。恐ろしいとさえ思った。

剣を交えていた記憶はあまりない。恐らく私は心を失っていたときのように機械的に剣を振るっていたのだろう。見えているはずなのにユグドラシルの姿を見るのが恐ろしかったのだと思う。姉を殺され、姉を救うためにあまたの命を犠牲にし、そして姉に否定されたユグドラシル――ミトスが私にはひどく哀れな存在に見えた。
ユグドラシルの千年王国のことを知ったときもこんなに心を揺さぶられなかったのに、私はどうしてマーテルとミトスの一幕に泣きそうにすらなっているのだろう。不思議だった。私はハーフエルフではないから、差別される当事者ではなかった。だが、きょうだいを想うという心は知っている。だからだろうか。
そうだとしたら、ウィルガイアから逃げ出した後、救いの塔でユグドラシルの理想を切って捨てた行為はひどくおろかに思えた。間違っていると思っているのは変わらない、ユグドラシルをここで倒すのも私たちの未来を取り戻す行為であると信じている。けれど、あの苦しみを馬鹿馬鹿しいと断じたのは、無知からくるただの愚かさだったのだろう。
息が苦しくなる。けれど剣を手放すことだけはしなかった。私は私の道を信じている。正義などというものではない、ただの信念のようなものだ。ここまできて無様を晒すことだけはしたくなかった。

やがて、ユグドラシルが膝をつく。倒れ込む。それに剣を突きだしていたロイドがゆっくりと視線を下げた。
「……そんな……ボクが負けるわけがない……。姉さまと……還るんだから……」
ユグドラシルの体から力が抜けていく。それは彼の死を意味していた。私も剣を下げてその様子をただ見つめていた。
真白い衣装は汚れてしまっている。ああ、あわれなひと。どうしてこうなってしまったんだろうと思わずにはいられない。それほどに――ミトスのマーテルへの想いは私の心を打っていた。
我ながら現金なものだ。もしミトスとマーテルが恋人などといった関係だったら私には理解できなかっただろうから。果てない家族への愛こそが、私が焦がれて否定のできない唯一だった。
「……終わった」
ロイドが呟く。それに低い声が答えた。クラトスだ。
「いや、まだ終わっていない。まだ世界は引き裂かれたまま。大樹も発芽していない。オリジンを……解放しなければならないだろう」
私はその言葉に体が強張るのを感じていた。表情も何も、もう取り繕えてはいなかっただろう。ただ、声だけは絞り出すことができた。
「あなたは……ミトスの何に共感したんだ。どうしてオリジンの封印に協力したんだ?」
それが責めるような響きを持っていることに自分で気づいていた。クラトスはロイドから私に視線を向ける。
「……ミトスは、私の剣の弟子でありかけがえのない仲間だった。それで……十分ではないか?」
クラトスにもミトスと共に過ごした時間が大切だったのだろう。それは分かっている。そんなことは分かりきっている。だからこそ私は言葉を重ねずにはいられなかった。
「大切な人の間違いを正さないで、ただ許して、あまつさえ協力するなど……それがあなたの選んだ道だったのか」
ふ、とクラトスは口元を緩めた。その通りだと自嘲する笑みだ。やはり気に食わないと思う。
四千年前、マーテルを失って――そんなときに間違えてしまうことはあったかもしれない。けれど結局四千年間、この人はミトスの過ちを正してやれなかったのだ。それが悲しい。怒りの感情などよりも、ひたすらに悲しかった。
「……これ以上話すことはない。オリジンの封印を解きたければ私を倒すがいい」
クラトスはそう言って踵を返した。「クラトス!待て!」とロイドが呼びかけるのに一度だけ振り向いて、低く告げる。
「……オリジンの封印の前で待つ」
あとは足音が響くだけだった。私はクラトスの背中を見送ることもできずに目を逸らす。そして急に視界が揺れた。
「……ぁ」
「レティ!」
戦いが終わって気が抜けたのだろう。頭ではそう思っていても倒れ込むのを止められない。しかしその前に誰かの腕が伸びてきて抱きとめてくれた。リーガルだ。
「大事ないか」
「……ああ、うん……すまない、」
目の前が霞む。思ったより体力と気力を消耗してしまっていたようだ。まあ飛んだりとかしていたし、何より傷が完全に回復していなかったのだろう。じくじくと痛みはじめる。
「姉さん!やっぱり怪我が……!」
「す、こし、やすむ……だけだ……」
我ながら情けないが、これ以上は意識が持ちそうにない。私はロイドの心配そうな表情を最後に映して、目を閉じた。


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