夢のあとさき
74

家からミトスが出てきたことで状況は一変した。
ミトスは魔術でレネゲードを倒しながら静かに歩いていく。ユアンの方へ。そしてユアンへと手をかざしてマナのかたまりを放出すると吹き飛ばした。
「ボクが気づいてないとでも思った?残念だったね。クラトスにはプロネーマを監視につけてたんだ。ロイドたちに情報を流していたみたいだったからね」
「くそ……っ!ユグドラシル!おまえがどうしてここに……」
思考がゆっくりと別の方向へ回り出す。とにかくクラトスのことを考えていたくなかった。強引に切り替えてミトスに視線を遣る。そうか、やはりこのミトスが――ユグドラシルだったのか。
「なかなか面白い趣向だったよ。ボクの邪魔ばかりする薄汚いレネゲードがおまえだなんてさ」
ミトスはユアンを何度も蹴りつける。その表情に宿るのは紛れもなく狂気だ。
「本当なら殺すところだけど、姉さまに免じて命だけは助けてあげるよ。アハハハハ、ハハアハハハハハハ!」
「や、やめろ!おまえ一体……」
ロイドが流石に見逃せなくなって声を上げたところで再び家のドアが開いた。流石の騒ぎにみんなも起き出してしまったらしい。そのなかでジーニアスがミトスを見ると息を呑んだ。
「ミトス……っ!……やっぱり……」
「……やっぱり?やっぱり信用できなかった?正解だね、ジーニアス。ボクもお前なんか信じてなかったよ!」
ミトスが手をかざす。その魔術はプレセアに向かっていったが――それをアルテスタが身を投げ出して庇っていた。
「ミトスサんは……私を……助けてくれまシた」
「う……うるさいっ!」
タバサにもミトスは魔術を向ける。吹き飛ばされたタバサは何度か同じ言葉を繰り返して完全に沈黙してしまった。
「なんてことを……!あなたは自分を犠牲にしてタバサを護ったのに!」
「どうして!ミトス!どうしてだよ。何でタバサやアルテスタさんを傷つけるのさ!あんなに仲良くしてたじゃない!」
リフィルとジーニアスの言葉にミトスは顔をゆがめた。
「タバサ!不気味なほど僕の姉さまに生き写しのあの人形!ずっと気に入らなかった!あいつは姉さまの心を受け止めきれなかったできそこないの器だ!見るだけで反吐が出る!」
「……このクソガキが!俺の親友を裏切りやがって!」
ついに我慢ならなくなったらしいロイドが斬撃をミトスに向かって放った。それに続いて私も編んでいた、ようやく完成した術を発動させる。
「――聖なる鎖に抗ってみせろ!シャイニングバインド!」
「ぐっ……!?」
光の鎖がミトスの体に巻き付いて動きを封じる。私は剣を握ると駆けだした。
「レティ!やめて!ミトスは……!」
「ユグドラシル!ここで討つ!」
ジーニアスが止めたが私は剣を振りかざした。分かっているのはこれがまたとないチャンスであることだ。ミトスである今、この男はおそらくエクスフィアを着けていない。
「くぅ……ッ!」
ただミトスも黙って拘束されているわけではなかった。魔術を私に向けて撃ってくる。それを受け止めてなお私は止まらなかった。マナの翼で突っ込んでいく。痛みなど、感じないのだから。
「小娘ぇっ!」
しかし私の剣を受け止めたのはいつの間にか現れていたプロネーマだった。そしてそのまま私を吹き飛ばす。岩壁まで飛ばされて、私は体を強かに打ち付けていた。衝撃で真っ二つになった剣がカランと音を立てて落ちていく。
「レティ!」
コレットの悲鳴が聞こえる。ずるずると体が崩れ落ちた。力が入らない。
「ユグドラシルさま!まだ傷が癒えておらぬのでしょう!ここは他の天使たちにお任せを」
プロネーマがそう言うのが霞んでいく意識の中で聞こえた。ユグドラシルは退くのか――。
目を閉じる。
聞こえていた音が唐突にプツンと途切れた。


風が吹いていた。
私は空を見上げた。いつもよりずっとずっと遠くに星々がきらめいているようだった。
しばらくそうしていると、誰かが私の名前を呼ぶのが聞こえる。
「レティシア」
手が頭の上に置かれた。大きくて暖かい手が私の頭をかき混ぜる。その手が私は大好きだった。
「おとうさん!」
見上げると父の姿が映る。そしてその後ろにはノイシュがいた。私は自分の頭に手をやると、置かれたままの父の指をぎゅっとつかんだ。
「おとうさん、ろいどは?」
「ロイドは眠っている。おまえももう寝なさい」
「ろいど、もうなかない?」
ここのところ夜泣きがひどい弟のことを思い出して私は言った。父は少し困ったように微笑む。
「泣いてしまうかもしれないな。だが、私やアンナがいるから平気だ」
「ろいどは、かなしいの?」
「……ロイドはまだ小さいから、寝ていると怖くなるのだ」
父の言葉に私はぱちくりと瞬いた。そんな私の手を引いて父が歩き出すので、私もその横に並ぶ。視線の先には父が準備をした大きな焚き火があった。
「ねてると、こわいの?どうして?」
「真っ暗になるだろう。真っ暗でひとりぼっちなのが怖いのだ」
「でも、おかあさんといっしょにねてるんだよ」
「そうだな。だが、ロイドはまだ幼い。それが分からないから泣いてしまう」
私はふうんと相槌を打った。自分が幼いころは同じように夜泣きをして両親を困らせたことなどさっぱり覚えていなかったので。
「わたしはね、おとうさんといっしょにねたら、こわくないよ」
「……そうか」
一生懸命に父を見上げて私は言った。父は大きくて、その顔がずっと遠くにあるのがちょっぴり寂しい。でも抱き上げてくれる時や、一緒に寝てくれるときはうんと近くにいるので、そんなときが私は大好きだった。
ロイドが生まれてからはことさらに母がつきっきりなので、私はよく父に構ってもらっていた。そのせいもあるのだろう。
ノイシュが寝そべるのでその背中を借りて私たちは腰を下ろす。すぐ近くに母がいて、その胸には弟が抱かれていた。
私たちは旅をしている。こうして野営をすることなんてしょっちゅうだ。それでも、家族全員で眠る夜であれば怖くないと思っていた。父と寄り添って眠れば怖い夢をみない。あの低くて優しい声で語りかけられれば暗闇の中でひとりぼっちになんてならないのだから。
「おやすみ、レティシア。よい夢を」
さっきまで眠くなんてなかったのに、そう言われただけでとろんと瞼が下がってくる。
ぱちぱちと薪の爆ぜる音と、冷たい夜の風と、そして私の横の父の優しいぬくもりと。そんなものを感じながら私はいつもの眠りを迎えていた。


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