夢のあとさき
36

山岳を下って、山の麓で今日は一泊する。コレットが食事をするのは久しぶりだからとロイドとジーニアスが張り切ってご飯の支度をしていた。
「私も手伝うよ」
「私も〜」
手持ち無沙汰なのでやることはないかと聞くとジーニアスに野菜の皮むきを割り振られた。今日はシチューかな?コレット好きだもんね。
「ふふ、楽しみだなあ」
「……うん。コレットが元に戻ってよかったよ」
心と記憶をなくす。それはどれだけ恐ろしいことなのだろう。マーテルとして生まれ変わる――レミエルはそう言っていたが、そんなものは生まれ変わりではない。コレットはコレットのままでないと。
「ありがと、レティ。心配かけてごめんね?」
「ううん。止められなかった私が力不足だったんだよ。ちゃんと……もっと前から、行動しておけば……」
それでも無理だっただろうと頭の片隅で冷静に思う。この世界のことはあまりに秘されているのだ。しいなに出会えなければテセアラのことだって知らなかったし、クルシスの輝石についてだって王立研究院にいかないと分からなかった。ユアンにこの世界がユグドラシルによって作られたと告げられなければ想像も難しかっただろう。
私の敵は強大すぎた。でも、コレットはこうして元に戻ったのだ。
コレットにもまた、時間が足りなかったのかもしれない。命を惜しむことを知る時間が。
「レティのせいじゃないよ。私が選んだから……諦めちゃったから」
「今はどう思ってる?」
「……今は、みんなが私が犠牲にならない方法を探してくれてるのがうれしい。神子なのにね」
神子なのに、という言葉が私は嫌いだったけど、コレットが前向きになってくれたことは嬉しかった。ロイドの誕生日プレゼントのおかげかな。遅れても結果オーライってやつだった。
じゃがいもと人参の皮むきを終えて適当に切り、ジーニアスが煮込んで味付けをしていく。コレットが「わあ!いい匂い!」とはしゃいでいた。ゼロスじゃないけど、コレットは笑顔のほうがずっとかわいい。

やっぱり食欲はなかったが、どうにか口に詰め込んで食事を終えた。みんなコレットのことを気にしてて気づかないだろうけど。しかしコレットはこんな思いをしていたのか、隠すのは少しつらい。
「姉さん」
ロイドが呼んでくる。その目を見たら何の話かはすぐにわかった。
私は立ち上がるとロイドの腕を掴んでみんなから少し離れた。あまり聞かれたくない話だから。ロイドもそれに黙ってついてくる。
星が頭上に見えていた。テセアラにも月がある。星座は同じなのかなとぼんやり考えたがすぐに思考を戻してロイドに向き直った。
「……トリエットに最初に行った時に、ディザイアンに遭ったんだ」
急に話し始めてもロイドは驚かなかった。一人で旅に出たときを思い出す。置き手紙だけを残して、朝日よりも早く家を抜け出した日のことを。
「ああ、あれはレネゲードだったのかな。そのときは全員倒したんだけどね。ユアンに見つかって基地に連れて行かれた」
「あの、レアバードを奪ったところか?」
「そう。その後脱出してルインに行ったんだよ。イズールドから船は出てなかったから」
陸路を伝ってぐるっと北へ向かったのだ。船が出ていれば良かったんだけど、そんな幸運は神子一行にしか与えられていなかったらしい。
「マナの守護塔に行ってね、そのときにまたユアンに会った」
「会った、だけ?」
「少し話をしただけ。そのときにユアンも悪い人ではないのかなと思った。ユアンは、この世界がおかしいことを知ってたから」
「……でも、今は俺たちの邪魔をしてくる」
「それは彼が何らかの理由で私の協力を必要としてるからじゃない?私がいなければユアンが邪魔してくることもないと思う」
「姉さん!」
ロイドが怒ったように声を張り上げる。でも私は話を続けた。
「取引をしたのは最後に会ったときだよ。私はパルマコスタの人間牧場に侵入してそこで捕えられた」
「な、そんなことしてたのか!?」
「……ロイドに言われたくないな。そのときはほら、エクスフィアを作っているのを目の当たりにしちゃって冷静じゃなかったからね。で、他の牧場に送られそうになったから移動中にディザイアンを倒して逃げようとしたんだけど怪我して動けなくなったんだ。そこをユアンに助けられた」
「無茶しすぎだろ……姉さん、一人でそんなことしてたのかよ。しかも言わないし」
「だからロイドも人のこと言えないって。仕方ないでしょう。虎穴に入らずんば虎子を得ずってね」
「?」
しまった、ロイドにことわざは通じないんだった。「ディザイアンのことを知るには危険を冒す必要があったってことだよ」と解説しておく。
「それで怪我とかも治してもらったんだけど、ユアンがあなたに会ったとか言いだして」
「……それ、俺が最初にトリエットに行ったときの話だ。ユアンは姉さんのこと言ってた」
「ロイドがレネゲードに捕まったのをジーニアスが先に旅立ってた三人を呼んで助けてくれたんだっけ?」
「うん。姉さんがいるのを知ってたら一緒に助けてもらったのに……」
それはただの都合のいい仮定だ。私も助けてもらってたらさくっと合流できててよかったとは思うけど。
「私、ロイドが無茶すると思って心配だった。コレットについていってたとしても危険な旅だし、あのときのあなたは剣もそこそこだった」
「そこそこって、傷つくな」
「……でも、私にとってはそうだったんだよ。ロイドに無茶をしてほしくないからコレットのことを知ってても言わなかった。コレットと同じ気持ちだった。あなたは村で平和に暮らしていてほしかった」
ロイドは静かに私を見る。その瞳に応えなければならない。
「ロイドは覚えてないかもしれないけど、私たちはお父さんとお母さんと旅をして暮らしていたんだよ。その途中にディザイアンに襲撃されて、お母さんはあの異形になって私たちを襲った。――怖かったよ。お母さんが死んだのも、ロイドが殺されそうになったのも」
旅の結末は苦い思い出だ。一種のトラウマだろうか。
私はロイドを守るためにお母さんの前に立ちはだかっていた。お父さんが教えてくれた身を守る陣とノイシュがかばってくれたおかげで攻撃は削がれたけど、あのときの恐怖のせいで私の脳裏には化け物の姿の母が刻まれているのだ。
「私はね、ロイドが死んでしまうことが何よりもつらい。だから、あなたには平和に暮らしていてほしかったけど……無理だったね」
そうだ。ロイドはもう選んでしまった。
この先の道は平坦ではない。戦いの道だ。旅を経て成長したロイドでも、無事にいられるとは思わない。
ロイドはしばらく黙っていたが、やがてゆっくり口を開いた。
「ごめん。姉さんの気持ち、知らなかった。……いや、ちゃんと考えてなかった」
「……うん」
「でもやっぱり俺は姉さんにそうやって守られたいと思わない。姉さんを犠牲にしたくない。ユアンが襲ってきたら今度こそ倒せばいいと思うし」
「そっか」
「ていうか姉さん無茶しすぎだからな!ホントに!今の話聞いて姉さん一人にするとか無理!絶対俺と一緒にいろよ!頼むから!」
「は、はは……」
そこまでか。一応生きてるからなんとかなってきたんだけどなー?
「……俺が一人で突っ走ってるときにさ、クラトスが言ったんだ。俺は一人じゃないって。……あいつの言葉思い出すのもなんかイヤだけど、その通りだと思う。姉さんは一人で抱え込みすぎだ。俺は頼りないかもしれないけど、先生とかしいなもいるだろ」
「……そんなこと言ってたんだ」
ぽろりと言葉が漏れてしまう。ついでにそれ以上も口走ってしまいそうだったけどそれは飲み込んだ。
ロイドは思ったよりも私の心配をしているらしい。成長したなあ、と改めて思う。周りの環境のおかげだろうか。いい師に、恵まれたからだろうか。
――まるで嫉妬しているみたいにそう思う。
「わかった。とりあえず、ユアンへの協力はしないことにするから」
「うん。そうしてくれ」
実際、ロイドに知られた以上はユアンに無条件に協力することはできないだろう。わざわざユアンが暴露したのはあのとき、トリエットの基地で逃げた私への意趣返しだったのだろうか。
裏切ったのは私だ。それは覚えておかないといけない。


- ナノ -