リピカの箱庭
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ローレライの鍵が第七音譜術の力を増幅させるというのは、第七音素を自由に操ることができるためだ。音素が集まっている場では術技の威力が強くなる――というのはFOF変化として知られている。それを自在に使える、ということだろう。
しかしそれはローレライの剣、つまり第七音素を集結させる力だけで十分な気がする。なぜローレライの宝珠の音素拡散が必要なのか?
譜術や音素力を使った技には効果範囲が存在する。それはおおまかには個人のフォンスロットの能力に左右されるものだろう。どの程度の音素を操ることができるのか?どれほど遠くの音素まで干渉することが、つまり吸収することができて、その取り込んだ音素をどこまで響かせられるのか。そう、拡散も術技の効果範囲を決めるのに重要なファクターであると考えられる。
この効果範囲、というのが障気除去のネックの一つではないだろうか。発動のため吸収し、取り込むというのは近くに第七音素があればいいのだから、第七音素の塊のレプリカがいればいい。だがそれをどう拡散させるか。世界全体に影響するほどの術だ。音素乖離が発生するほどの負担になるというのは当然である。
おそらくだが、第七音素による超振動でなくてはここまで効果は出せないだろう。第七音素超振動特有の現象が音素ゆらぎだ。物体の位置が確率的にしか存在できない状態、つまりは量子ゆらぎのようなものだ。
この音素ゆらぎはメシュティアリカとルークの瞬間移動が発生した原因でもある。というか、そこから逆説的に考えて解明したのだ。要は第七音素超振動はゆらぎによって発生地点と離れた場所での観測が可能になるため、遠く離れた場所でも障気消去効果が発揮される、ということである。
簡易封印術の響律符は個人のフォンスロットと、周囲の音素環境に働きかけることにより譜術の威力を低減させる。ならばその逆、適切な拡散ネットワークを作りさえすれば超振動の効率的な伝播は可能なはずだ。
そのうえ音素ゆらぎ効果で各地にスポット的に効果が強い箇所が発生するのだから、一箇所ではなく同時多発的に術が発動するようなものである。かなり難易度が下がる。
これまでも有線だけではなく無線通信理論も研究していたし、音素が伝播しやすい「場」を作ること自体は難しくない。ただしこれ、違う使い方をするとあまりに強力な兵器になってしまうから、運用は慎重にしないといけないけれど。

なので残された問題は、どうしてもレプリカを利用しなくてはならないということだ。第二超振動で効率を上げ、音素ゆらぎ拡散で負担を下げ、それでも第七音素が大量に必要だ。
これは命の選別だ。オリジナルのためにレプリカを生み出し、殺すということだし、同じレプリカであるルークの負担にはならないように考えている。
私はこれをどうすることもできなかった。それに、命を選別すること自体はレプリカに限らないのだ。戦争は起きてしまって、たくさんの兵士たちが死んだだろう。何かを全て掬い上げることはできなくって、いつも何かを、誰かを選んでいる。
これまではガイラルディアの代わりだという言い訳があったが、今はそれも無くなってしまった.私は私自身の選択をしなくてはならない。その選択は結局、ヴァンデスデルカのつくったレプリカたちを殺すことになるのだ。
頭の中にある全体の絵を紙面にまとめる。私の考えていることは机上のものだが、ピースは全て揃っている.これらをどう組み合わせるか、ということさえわかればきっと大丈夫だろう。
「……何が大丈夫なものか」
ポツリとつぶやいた。ガイラルディアのいない屋敷ではやっぱりうまく眠れなくて、私は幼い頃のようにぬいぐるみを手に取った。
金庫の鍵をしまい、立ち上がってソファに座った。本当は一眠りしたいところだが、この後まだ予定が入っている。
ガイラルディアはそろそろダアトについているだろうか。ルークはもうキムラスカを出ただろうか。
この先何が起こるかは誰もわからない。ただ一つだけ確かなのは、ヴァンデスデルカがあの場所に立つことだろう。
そんなもの思いに耽っていると、コンコン、とドアがノックされた。応えると小さな人影がドアを開けた。
「伯爵さま。あの、すこしだけいいですか」
「どうかしましたか?こちらにおいでなさい」
なんとなく不安げな顔のエゼルフリダが気になって手招きをする。彼女はスカートを握りしめたまま近づいてきた。なんだかいつもと違う不思議な香りがする。これは、ハーブだろうか。
「これ、作ったのです。どうぞ」
エゼルフリダが差し出したのは小さな袋だった。透ける生地で、リボンが結ばれている。ああ、ポプリか。
「ありがとう。誰かに教わったのですか?」
「はい、えっと、塾で先生が来てくれたの」
「ああ、そうでしたね」
ホドグラドの塾では職業体験と称して定期的に街のさまざまな職業の者を呼んでいて、特に塾に通っている子どもの親なんかは協力的で助かっている。そこから弟子になったり奉公に出ている子どももいて、選択の幅が広がっているのだと思いたい。
エゼルフリダもそんな職業体験、まあこのレベルだと工作教室のようなもので、ポプリを手作りしたようだ。わざわざ持ってきてくれるとは思わなかったけど。
「伯爵さま、あの……ガイさまがいなくなってからつかれてるみたいだから、よく寝れるっていうの、教えてもらいました」
まさかエゼルフリダに気遣われるとは思わず、驚いて咄嗟に何かを言うことができなかった。そんなにわかりやすかっただろうか。エドヴァルドには言われてないんだけどな。
「あなたはよく気づきますね」
「伯爵さまのこと、しんぱいです」
「……そうですか」
謝ることはできない。私はエゼルフリダの髪を梳いて、なるべくいつも通りに微笑んだ。
「エゼルフリダ、私に何かあったときはガイに尋ねてください」
「……ガイさま?」
「ガイです。よく覚えておくんですよ」
戸惑った顔をしながらエゼルフリダが頷く。彼女は私の服の裾をぎゅうと掴んだ。
「伯爵さま、えっと、何かある……んですか?」
「それは言えません。でもこの家はきっと大丈夫ですよ」
「……うん」
ガイラルディアがいるし、ピオニー陛下もいる。預言がない世界は幼い彼女にとっても恐ろしいかもしれないが、どうか畏れないでほしいと思う。
「伯爵さま、」
エゼルフリダが何かを言いかけたのを遮るようにドアがノックされる。私は彼女の頭をもう一度撫でて立ち上がった。
「すみません、予定があるのでまた今度聞きましょう。何かあればエドヴァルドかロザリンドに言うんですよ」
「はい」
何かは気になるが、こういうところはだいぶ聞き分けの良くなったエゼルフリダは素直に頷いた。私は顔を引き締めてドアの向こうに返事をする。
――これ以上誰かに心配をされるような失態は犯さないようにしなくては。


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