リピカの箱庭
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アニスを屋敷に呼んで一番喜んでいたのはエゼルフリダだった。アリエッタとイオンが――メシュティアリカもだが――いなくなってしまってかなり寂しい思いをしていたのだろう。今はモースが不在とはいえ、あまりこちらの情報を嗅ぎまわれるとそれはそれで困るのでルゥクィールをエゼルフリダと共にアニスにつけつつ、私は一旦ホドグラドの研究所へ向かっていた。研究所へ向かう本命は陛下に渡すアイテムだが、ついでに私の定期健診も行う予定だ。障気蝕害は完治したと言ってもいいけれど、体がずっと弱っていたのと、あとは譜眼に不具合がないかのチェックだ。
昨夜帰ってきたガイラルディアに聞いた話ではピオニー陛下の行動は想像の最悪のパターンだった。いや本当に、いくら自分の城の庭とはいえあまりホイホイ出歩かないでほしい。しかもアニスから教団の預言過激派とマルクトの反皇帝勢力の結びつきを知らされた直後にだ。というか普通に街も出歩いていたっぽいし……。
件のご落胤騒動の話――陛下の兄君であるフランツ皇子の息子だとかいう少年を持ち出したシュタインメッツ伯爵は言わずもがな反皇帝派の筆頭レベルの貴族である。暗殺と簒奪をセットでもくろんでいないというほうが不思議なくらいだ。陛下はよりによって謁見の間での正式な発表をすると約束してしまっている。どれだけ厳しい警備体制を敷いたとして、どこぞのネズミが入り込む余地はあるだろう。
まあ話を聞いている限りそういうふうに誘導されてしまったのは確かだが……あと陛下は絶対面白がっているのだけど、対策を打たないわけにはいかない。
「ピオニー陛下もなんつーか……変わった人ですよね」
「変人奇人だろうと国が安定していればなんでもいいですよ。話は通じますし」
「ま、民にとっちゃ人格は関係ないでしょうが。振り回されてるガイラルディア様が気の毒になってきました」
アシュリークが肩を竦める。アシュリークにもたまにガイラルディアについてもらっているが、やはり年が近いからか結構すぐに打ち解けてくれてよかった。他に何人かホドグラドの騎士団から引き抜いたらグスターヴァスには文句を言われてしまったが。今回は即戦力が必要だったので悪いことをした。
「まあ、ガイラルディアはわがままな貴族の面倒は見慣れていますから」
「それはそれでどうなんだ……?」
どっちかというと「わがままな貴族」のほうがガイラルディアの本来の立場なのだけど。いや、ということは私もわがまま変人貴族とか思われている可能性が……?正直無茶ぶりはよくしているので、ついアシュリークを見てしまう。
「……なにか要望があれば聞きますよ。賃上げとか」
「給金は十分もらってるんで、出会いがほしいです」
「ガルディオス家の騎士ならモテ放題とディートヘルムには聞きましたが」
新しく入った騎士のうち一人が叩いていた軽口を思い出しながら言うと、アシュリークは頭を抱えてしまった。
「うわやっぱあいつそれ目当てで受けたな?!いや確かに女の子に声かけられたりはするんですけど……なんか身分目当てっていうか……ステータスとして見られてるっていうか……」
「難しい悩みですね。貴族なら政略結婚がありますが、あなたはそうでもありませんし」
「ていうかヒルデブラント先輩があまりに高嶺の花すぎて俺に集中してたんですよ!」
「自分で言いますか。あと男性でも高嶺の花と言うのですか?」
「さあ……」
ディートヘルムも素行には問題なしと聞いていたが、変なハニートラップにかかっていないかは確認しておこう。アシュリークはこの調子ならよっぽどのことがない限りは大丈夫だろうが。あとヒルデブラントは本当に女性の影がないというか……恋愛をするもしないも相手の性別がなんだろうと彼の好きにすればいいのだけど、高嶺の花という表現は分からないでもなかった。
くだらない話をしながら辿り着いた研究所でシミオンから受け取ったのは新型の響律符だった。つまり、ジョゼットに渡したのと同じものだ。もともとはフォミクリー技術のために開発したローレライの宝珠の音素の収束機能を転用した譜業爆弾対策ものである。厄介なのは自爆攻撃なので、これなら譜術の威力を低減させられるだろう。もう一つ、譜眼制御の副産物である相手のフォンスロットを閉じる――封印術の簡易版とでも言うべき響律符も護身用に受け取っておく。
「そんなに危険ならレティシア様は行かれずともよいのではないですか?ガイラルディア様もいらっしゃいますし」
シミオンも私が危険な目に遭うことには難色を示すタイプだ。だが今の発言はいただけない。
「ガイラルディアが行くのですから私も行くのです。むざむざ怪我を負わせるつもりはありません」
物語の後半――つまり、ルークが再度旅に出る時、ガイ・セシルはピンピンしていたし陛下もカーティス大佐もアニスも無事だった。なので対策をしなくともよいのかもしれないけれど、私という異物が既に存在しているのだ。念には念を入れる必要がある。
「……アシュリーク、頼んだぞ」
「言われずとも」
シミオンとアシュリークが何やら頷きあっている。私が危険に飛び込めば、より危機にさらされるのは護衛のアシュリークである。そうならないためにもこれはしっかり陛下に渡しておかないと、と響律符を握りしめた。


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