リピカの箱庭
115

「よろしい。ではこの場は収めましょう。二度目はないですよ、二人とも」
「だったらさっさとここから出せ。いつまで検査させられなきゃなんねえんだ」
まだまだご機嫌斜めの様子のアッシュに、確かにいつまでと期限を定めていないのは不親切だなと自省する。とりあえずガイラルディアが来るまではと留めておいたのだけれど。
「そうですね、あと数日といったところでしょうか。それにしてもアッシュ、ここから出て行くとしてどこに行くんです」
バチカルの屋敷には戻らないだろうし、神託の盾騎士団は半瓦解している。アッシュはすでに辞めているようなものだし。となると、行き先は――。
「なぜお前に言わなきゃなんねえ」
「ローレライの鍵」
びくり、アッシュは肩を揺らす。わかりやすいな。ガイラルディアが瞬いて尋ねてくる。
「ローレライの鍵って、ティアの治療の?」
「そっちじゃない、本物のほう。アッシュ、あなたはラジエイトゲートでローレライから受け取りましたよね」
あそこで見たことをあやふやなままにするつもりはない。今はガイラルディアがいて、あとルークがいないので口を割るだろう。
「……俺が受け取ったのは剣だけだ」
「では、宝珠は」
「レプリカが受け取ったんだろう」
「ルークが……。でもなぜ、ローレライが鍵を?」
ティアが首をかしげる。アッシュは視線をさまよわせた。
「レプリカから聞いてねえのか」
「いや?ルークは何も言ってなかったな。しかし言われてみれば二人にローレライからの接触があったならルークも知っているはずだ」
「じゃああいつは受け取ってねえのか……?」
眉間のしわをこれでもかと深くしながら呟くアッシュに、私は顎に手をやった。
「気づいていない、あるいは知らないだけではありませんか」
「そんなわけあるか」
「まあ……宝珠をルークが持っていることに間違いはないと思いますよ。肝心なのはなぜローレライが鍵を送ってきたかです」
実際ルークは持っているしね。それよりも今明らかにしておきたいのはこちらだ。
「ヴァンデスデルカが生きているのではありませんか」
「……!」
緊張が走る。ガイラルディアとメシュティアリカは息を呑みこちらを凝視してきた。アッシュも硬い表情を向けてくる。
「まさか!ヴァンは深手を負って地殻に……あれで助かるはずがない!レティ、お前」
信じられないと言わんばかりの視線に、私は首を横に振った。
「わかってる。わかってるよ、ガイ。でもこれは馬鹿げた願いなんかじゃない。事実に基づいた推測だ」
「どこがだ!アッシュ、なんとか言え!」
胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いのガイラルディアにアッシュはたじろいだ。苦い思いで取り乱すガイラルディアから視線をそらす。
「っ、ローレライは、栄光を掴む者に捕らわれたと言っていた」
「そんな!じゃあ、兄さんは本当に……!?」
「ヴァンが深手を負っていたとして、ローレライを取り込むことで癒しの力を持つ第七音素で一命をとりとめた可能性は……ありえなくはない」
ガイラルディアの腕が力なく垂れる。「ヴァン……」小さな呻きが聞こえた。頭の芯が冷えている。私は自分の声が冷たくて不自然であることを知りながら淡々と問いかけた。
「あなたはローレライをヴァンデスデルカから解き放つつもりですか」
「そうだ。お前もわかってるだろう」
「プラネットストームの活性化の可能性……ですね。放置していればタルタロスが持ちません」
第七音素が足りなくなれば地殻の振動が増す。タルタロスで中和できなければ世界は再び障気に包まれるだろう。
「それってかなりまずいね」
イオンが腕を組んで顔をしかめる。これは陛下に報告して、アブソーブゲートとラジエイトゲートの調査をしたほうがいいだろう。ダアトとキムラスカにも通達して、あとは……。
「わかりました。しかしアッシュ、これはあなただけの問題ではない。行動を制限するつもりはありませんが連携が可能な状態にさせてください」
「……俺の手の者から報告はする」
アッシュから引き出せる譲歩はこれくらいか。居場所がわかればだいぶ楽なものだ。それにアッシュだってローレライの鍵を持っている以上、今後狙われる可能性が高い。あまり密に連携していれば情報が漏れてかえって行動しにくくなるだろう。
「ネイス博士――ディストを除いて今生きている可能性が高い六神将はリグレットでしょうか。彼女はヴァンデスデルカの腹心ですから気をつけることです」
「わかっている。……他の奴らが死んだとも限らない」
死体を確認できていない者は油断できない、つまり全員だ。
重い沈黙が降りる。障気を隔離して地殻を降下させ、全てが解決したはずだったのにひっくり返されてしまったのだ。何より、ヴァンデスデルカが生きていることへのガイラルディアとメシュティアリカの衝撃は大きいだろう。
「……そろそろ冷えてきました。中に戻りましょう」
裏庭は人気がなくいっそこういう話に向いているのだけど、もう日が沈みかかっている。
促すと全員がのろのろと足を動かし始めた。まだまだ問題は山積みで先は長い。一番歩みが遅いのはメシュティアリカで、私は彼女を振り返った。
「伯爵さま……」
「一度にいろいろと言いすぎました。すみません、メシュティアリカ」
ルークのことも、ヴァンデスデルカのことも、リグレットのことも。すべてがメシュティアリカにとっては大きすぎるというのに、立て続けに言われてしまえば混乱してしまうのも無理はない。メシュティアリカには席を外させた方がよかったかと後悔する。
「……いいえ。教えてくださって、ありがとうございました。……でも……」
メシュティアリカは胸の前で握った拳に力を込めた。そうしていないと立っていることもままならないと言わんばかりに。
「……伯爵さま、私、怖いんです」
風に髪が揺れる。ヴァンデスデルカと同じ色の双眸が露わになる。
「当たり前のことですよ、メシュティアリカ。何もおかしいことではありません。今あなたはきっと混乱している」
落ち着かせようと声をかけるが、メシュティアリカはかぶりを振った。震える声で、必死の形相で、私に手を伸ばす。
「どうして、あなたは……平気そうな顔をするのですか……!」
その言葉に、私は自分の対応が間違っていたことを悟った。
そうか、今メシュティアリカが欲しいのは冷静な慰めではなく共感だったのか。メシュティアリカだって軍人と言えど、まだ十代の少女だ。兄を殺す決意をさせたのに、それが成らなかったと知れば相当な負担に違いない。ルークのことだって、親しい友人が余命いくばくもないと知れば怖ろしいだろう。
軍人としての仮面をかぶって必死に戦ってきたメシュティアリカの細い肩を、私は抱き寄せた。
「メシュティアリカ。あなたに、つらい思いをさせてごめんなさい」
「ちが、ちがうんです、わたし……っ」
「誰も見てはいませんよ」
こちらを振り返るガイラルディアに片手を振って扉を閉めてもらう。ルークのことだってあるからガイラルディアだってメシュティアリカを慰められるだろうけれど、女性恐怖症が治りきっていないのに任せる気にはなれない。
「伯爵さまだって、おつらいはず、なのに……」
涙声で強がるメシュティアリカの背中を黙って撫でる。
私はずっと知っていた。――だから、今更誰かに泣き縋る資格なんてきっとないのだ。


- ナノ -