リピカの箱庭
幕間26

ほとんどがらんどうの部屋に、荷物はほんのわずかだ。集めた音機関――口の悪い主人に言わせればガラクタの類のものもあるけれど、日用品なんかはカバン一つにまとまってしまう。ファブレ家の使用人として給金が極端に少ないわけでもないガイの持ち物が少ないのは単純に、ここが自分の居場所ではないと知っていたからだ。
復讐のために入り込んだ仇の家。それをこうして去ることになるとは夢にも思わなかった。
「……、こんなもんか」
その時が来れば何もかも捨てておいていく、そんなふうに考えていた癖は抜けなくて所持品に愛着は少ない。あとは処分するものだけかと見回したところで、コンコン、と控えめにドアがノックされてガイはドアを振り向いた。
「どうぞ……って、ルーク!」
ドアを開けた人物が予想外すぎてガイは目を瞠った。決まりが悪そうにルークが睨んでくる。
「何そんなに驚いてんだよ」
「お前がノックをしたことにだよ……」
「はあ!?ノックくらいするって。それよりさ」
嘘つけ、とガイは胸の内で突っ込んだ。自分やナタリアがどれだけ注意してもノックをしなかったのがルークだ。そんな使用人の内心を知らず、ちょっと前よりはだいぶわがままがなりを潜めたおぼっちゃまは、持っていた包みを突き出した。
「これ、ガイに渡さなきゃって」
「……これは、そうか」
布に包まれているのは一振りの宝剣だ。ずっと屋敷に飾ってあった、ガイの父親の所有物だ。ルークの差し出し方に苦笑しながらガイは受け取る。
「ありがとな」
「それ、もともとガイの家のものなんだろ。ガルディオス伯爵も言ってた。だから……礼を言われることなんかじゃない」
落ち込んだ様子のルークに、ガイは笑ってみせる。
「おっと、俺はわざわざ持ってきてくれたことに礼を言ったんだぜ」
「な、なんだよ!じゃあそう言えって」
「はは、悪い悪い」
本当は、とガイは思う。ファブレ公爵自身がガイに渡すことが出来なかっただけだろう。レティシアの暴挙をあの男がよく思っていないことは明白だ。だからルークを――実の息子のレプリカを、使った。
今のファブレ公爵家でのルークの立場は複雑だ。誰もがルークをレプリカだと知っている。ファブレ公爵がルークを跡取りとして扱ってはいるものの、内心穏やかではない人物も多いはずだ。
「ほんとにありがとな、ルーク」
そんな中にルークを残していかなくてはならない。それはガイにとって苦しいことで、ルークにとっても同じだった。宝剣を手渡すという用を終えても、ルークは空っぽの部屋に立ち尽くしたままだった。
「なあ、ガイ。マルクトに行ったらさ、伯爵になるのか?」
「俺はレティに任せるつもりだったんだが……そうはならなさそうだな」
寂しげなルークに、ガイはつとめて普段通りに答える。どうあってもここにいることはできないのだから、変に期待を持たせたくはなかった。
「そうはならない?なんでだ?」
「レティシアは……疲れてるんだ」
「疲れてる?」
ガイの返答にルークはまた首を傾げた。疲れている、というふうには見えなかったのだろう。それもそうだ、レティシアは貴族だ。キムラスカの、それも王族の前では常に気を張っていた。しかしそれが崩れたのもルークは見ていたはずだ。
「あいつ、剣を抜いただろう。そんなことを普通するはずがない。あの時のあいつはおかしかった」
「でも、ガイは伯爵とずっと離れて暮らしてたんだろ?おかしいとかわかるのかよ」
「わかるさ。レティのことならわかる」
即答する。どれだけ離れていても、ガイにはわかった。そういうものなのだ。理屈をつけられるものではない。
「レティはもともと伯爵になるはずじゃなかった。でも、俺が戻らなかったからずっとそうでなくちゃならなかったんだ」
ホド戦争が始まったとき、レティシアはグランコクマにいた。ガルディオス家を維持するには、レティシアは自分を当主とするしかなかった。自分よりずっと大人びて賢かったレティシアはそれしかないのだとわかっていたのだろうとガイは思う。わかっていたからガイのために大人の靴を履いて、ガルディオス家の存続のために仮面を被ってきた。
それが取れたのはガイが戻ってきたからで、レティシアが当主としての立場を望んでいないからに他ならない。
「だから疲れてるのさ。俺がレティの肩の荷を降ろしたいんなら、爵位を継ぐのが手っ取り早い。まあ、ピオニー陛下はレティを手放す気はなさそうだし、俺も当分はレティに頼りきりだろうけどな」
レティシア一人の望みを叶えるには、皮肉にもこれまで積み上げてきたものが大きすぎた。それでも妹のためならば、やるべきことをやるだけだ。
ルークは考え込むように黙って、ガイが「爵位を継ぐ気はない」と言っていたことを思い出した。それからぽつりと言葉をこぼす。
「……俺、伯爵はナタリアと同じような人だと思ってた。責任感がすげー強くて、誰かのために何かをするのが苦にならないっていうか」
「誰かのために何かをするのか、か。それを言うなら……」
ガイは言葉を切って首を横に振る。レティシアは自分のためにずっとやってきた。そういうことだ。
「どれだけ強そうに見えたって人間だ。ルーク、おまえだってナタリアのこと支えてやれよ」
「はあ!?なんで俺が……」
「婚約者だろう」
「でもアッシュがいるだろ!」
「ナタリアの婚約者は『ルーク』だよ。まあ、婚約者じゃなくても幼馴染なんだ、おまえが支えてやらなくてどうする」
アッシュは未だファブレ公爵家に戻らない。何ならホドグラドに滞在していることをガイは知っていた。戻る気がないのはルーク以外には明白だ。しかしルークは黙ったままだ。
「聞き方を変えるか。おまえは支えてやりたいと思わないのか?ナタリアが国王の実の娘じゃないと知ったときだってあんなに心配してたじゃないか」
「それは当たり前だろ」
「そうだよ、おまえがナタリアを心配するのにアッシュは関係ない。おまえ自身がそう思っているからそうするんだ。誰の代わりでもないさ」
はっ、とルークは今しがたガイに手渡した宝剣を見つめた。伯爵にレプリカと取り替え姫なんて呼ばれて、それでも「何者かが理由で貶しめられるべきではない」と言われたことを思い出す。
「そう……かな。俺が何をできるかわかんないけど」
「はは、しっかりしろよ、ルーク。で、用はこの宝剣だけか?」
あまり思いつめさせることもないだろうと話題を変えようとすると、ルークはポンと手を打った。
「あ、いや。もう一つあったんだ」
「なんだ?」
「伯父上からなんだけど、セシル伯爵家を再興するのにセシル元伯爵に断られたらしくって。だからガイにガルディオス伯爵のところにいる……セシル元伯爵の娘――ええっと、ジョゼットさんに打診してほしいらしいぜ」
言われた意味が飲み込めず、数秒間ぽかんとしてからガイは慌ててルークの肩を掴む。
「セシル家の再興って、聞いてないぞ!?しかも叔父上が断ったとか!」
「俺もさっき初めて聞いたし、知らねえよ!」
「はあ……」
やっぱり公爵も国王もいいようにルークを使っている気がする。置いていっていいものか、ガイは頭を抱えたくなった。


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