リピカの箱庭
101

頭が重いけれど、いくらかすっきりした気分だ。ベッドの上で体を起こして濡れたタオルを掴む。ガイラルディアが寝かしつけてくれたところまでは覚えていた。
「……はあ」
部屋には他の人の気配はない。ガイラルディアも出て行ってしまったようだ。どれくらい寝ていたのか。とりあえず陛下には何かしら言い訳をした方がいい気がする。いくらなんでも剣を抜くのはやりすぎだった。和平を台無しにする気か、私は。自分の行動を振り返って頭を抱える。
あそこで抑えられなかったのは自分でも想定外だった。ガイラルディアが止めなくてはあのままファブレ公爵を叩き斬っていただろう。ファブレ公爵のことを赦す気など微塵もないが、少なくとも子どもの目の前でやるのはよろしくなかった。
「はあ〜〜……」
また大きなため息をつく。何がホドの真珠だ、平和のアイコンだ、私なんてしょせんこんな人間だ。
何もかも放り出してしまいたい、立場も責務も押し付けてしまいたい。こんな時にキムラスカと手を結ぶことをためらう人間なんて政治にはふさわしくないだろう。いや、個人的に言えばキムラスカ国王やファブレ公爵のような預言至上主義の人間なんて今も全く信じられないのだけど。
私が寝ていたのはユリアシティの客間のような場所だった。とりあえず現状把握のためにも外に出よう。ものすごく嫌だったけれどのろのろと立ち上がってドアに手をかける。
「レティシア様」
ドアのすぐそばに立っていたのはエドヴァルドだった。今回ユリアシティに来るにあたっては我が家の騎士の中でエドヴァルドだけを連れてきている。私は曖昧に微笑んだ。
「問題ありません。会談はどうなりましたか?」
「無事終了しています。レティシア様が休んでいらしたのは一時間程度です」
思ったより時間は経っていないようだ。さて、ピオニー陛下を探すか――と思ったところで、廊下の向こうから人影が歩いてくるのが見えた。あれはルークとナタリア姫だ。ルークは手に何か持っている。
「ガルディオス伯爵!」
私の姿が向こうからも見えたのか、ルークが小走りで駆けてくる。ナタリア姫がたしなめるが、彼女も結局早歩きというよりは走ってきた。アクゼリュスで会ったときよりも落ち着きがないというか、なんというか。
「えーっと、その……」
「……」
和平会談で剣を抜いたことに謝るつもりはない。あれでピオニー陛下の立場が悪くなることは多分ない。本気で斬っていたらまずかったが、こちらはホドとアクゼリュスの被害者だ。あの程度ならなあなあにできるはずだ。悪くなら私の立場のみである。エドヴァルドも無事に終えたと言っていたし、実際大した問題にならなかったのだろう。
「ルーク、しっかりなさって」
私が無言で見つめるのに若干怖気ついた様子でルークが口ごもる。「ご主人様、がんばるですの!」腕の中のミュウまでが応援に加わった。エドヴァルドの眉間に皴が寄っている。ルークはようやく覚悟を決めたと言わんばかりに息を吸って、王族の証の瞳で私を見据えた。
「これ、お返しします」
差し出されたものは布に包まれた長細い物体だ。柄には見覚えがある――私の剣だ。そういえば会議室に放り出して行ってしまったのだった。なぜルークが持っているかは分からないが。断る理由もないので受け取る。布から取り出し、剥き身の剣を手に取る。そのままルークを見つめ返すと、ルークはごくりと喉を鳴らして緊張を露わにした。
「それと――伯爵の父君の宝刀を、お返しします」
「……それが我が父の首級の代わりだと?」
返すも返さないも、もともとはガルディオス伯爵家の持ち物である。これは十中八九ファブレ公爵の入れ知恵だろうな。
「いいえ、伯爵の父君の代わりではありません。ただあるべき場所に返すだけで、その……、伯爵の言ったことについては、行動で示すしかないと思います」
「……ふ、次代の君主にゆだねると言いますか」
これでキムラスカ国王が責任を取って引退でもするなら分かりやすいが、そんなことはないだろう。なぜならルークはオリジナルではなく、ナタリア姫は血筋上王家の者ですらない。皮肉なことに、彼らに混乱する国を牽引することは不可能だ。
剣を光にかざす。警戒するようにルークとナタリアが身構えたが、私はそのまま刃を鞘に納めた。
「レプリカに取り替え姫。貴殿らにどこまでできるか楽しみですよ」
「それは……」
「生まれなど関係ありませんわ。私たちは私たちにできることをするだけです」
怯んだルークとは対照的にナタリア姫は毅然としてそう言い放った。自分の中でそれなりに整理がついているのだろう。あるいは、私というマルクトの人間の前ではそれを見せないか。どちらにせよ立派なことだ。
「ええ。あなたがたが何者であれ、それだけが理由で貶められるべきではないのですから」
「伯爵……」
「結構です。ガルディオスの宝刀はガイに渡してください」
ふう、と意識して強張っていた力を抜く。このあたりの話も本当は私ではなくガイラルディアにすべきである。当主として戻ってくるのはガイラルディアだ。
「あなたの慈悲に感謝いたしますわ、ガルディオス伯爵」
「……慈悲などある人間は剣を抜きませんよ。では、これで」
ナタリア姫とまだ浮かない顔のルークに背を向ける。エドヴァルドは当然のように私についてきた。
静かな廊下をしばらく歩いてから、思い出したように口を開く。
「そうです、エドヴァルド。この後のことですが、可能ならシェリダンに向かおうと思っています」
「シェリダンにですか?」
そこそこ強引に話題を振ったものの、エドヴァルドは素直に返してきた。
「セシルの叔父様に感謝を申し上げなくては。ジョゼットもあそこにいるでしょう」
「そうですが……。確かに、和平が成った以上は行き来も可能ですか」
「行きはアルビオールに乗せてもらって、帰りは傭兵団に依頼すれば良いでしょう。それに……」
私はその続きを口にすることはできなかった。
それに、シェリダンにはきっと神託の盾騎士団が来る。――ヴァンデスデルカがいる。
ガイラルディアのおかげでやや吹っ切れていた。ヴァンデスデルカと会って、なにか変わるかもしれない。変わらないかもしれない。どちらにせよ、マルクトにこのまま戻るのは嫌だった。
「レティシア様?」
「……いいえ。なんでもありません」
不自然に言葉を切ったのにエドヴァルドが心配そうにこちらを見てくる。私は上っ面に浮かべた笑みで不安と畏れをごまかした。


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