リピカの箱庭
99

イオンに訴えられた言葉に、私はつい聞き返してしまった。
「あなたが、ダアト式封咒を解くんですか?」
何対もの視線がこちらに向けられる。まさか、こんなことになるとは思っていなかった。

地殻降下作戦について伝言に行っただけのはずのイオンは、最初はアリエッタだけを返して寄こしてきた。内容はケセドニアとルグニカ平野の地殻降下のめどが立ったということだったけれど、実際にルグニカ平野は崩落することなく魔界に降下したようだった。
それはまあいい。アリエッタはダアトでイオンと合流するからとまた飛び出していってしまったが、問題はその後だ。
ルークたちと行動を共にしていたイオンはなんとナタリア姫とルークを狙うキムラスカの手の者に一緒に拉致されてしまったらしい。ジョゼットと叔父様を頼ったのはガイラルディアだけではなくイオンも助けることになったようだった。ちなみに叔父様のセシル傭兵団は地殻の振動を停止する禁書を復元をする研究者たちの護衛にベルケンドに残してきたようだ。そのことはむしろ助かる。
で、ベルケンドで魔界の液状化を止める目途が立ち、そのためにパッセージリングで地殻の振動数を測る必要があると。今封咒を解いているパッセージリングは全て魔界にあるため、ダアトで飛行機能を奪われてしまったアルビオールでは向かうことができない。なので外殻に残っているパッセージリングに行き、新たに封咒を解く必要がある。
それを、イオンは自分でやるというのだ。
「あの導師に無理させたら死ぬからね」
「そうですか……」
どういう心境の変化があったのかは分からないが、イオンは導師――レプリカを見殺しにはしないという選択を取るようだ。まさかこんなことになるとは思わなかったが。
「というわけでしばらくまた留守にする。いいよね」
イオンは別に私の許可を取ろうとは思っていないのだろう。というか私が彼の行動に口出しする権利はない。イオンは気を遣って報告してくれているだけだ。
「あなたがそうしたいのなら好きになさい。私がどうこう言うことでもありません。それより、こんなところに寄り道していていいのですか?」
「あー、まあ」
イオンはちらりとルークを振り向いた。ルークは気まずそうに顔を逸らす。何か事情があるらしい。
「お坊ちゃんのワガママに付き合うついでっていうか」
「ワガママじゃねえっ!」
「まだ拗ねてるの、ルーク。スピノザは見つかったんだからいいじゃない」
「ティアの言う通りだよ。それより早くダアトに行かない?」
「うぐ……」
うん、まあ、なんとなく分かった。ルークのわがままだな、これは。
「まあまあ、あんまりルークをいじめるなよ。そうだレティ」
女性陣からルークを庇うようにしていたガイラルディアがこちらを振り向く。
「少し話をさせてくれ」
その瞳に私は急に居心地が悪くなった。ガイラルディアが考えていることは、なんとなくわかる。その感情はお互いにとってあまりいいものじゃなかった。

他の人たちは応接室で待ってもらうことにして、私はガイラルディアを自室に通した。ガイラルディアは部屋を見回して、窓際に置いていたぬいぐるみに目を留めたようだった。
「あれ……」
「ガイがくれたぬいぐるみだよ。覚えてる?」
「忘れるわけないだろ」
今日は青い服を着ているぬいぐるみにガイラルディアは目を眇める。けれどすぐにこちらに向き直った。
「ベルケンドでヴァンに会ったよ」
「ヴァンデスデルカに……」
そして、ガイラルディアはヴァンデスデルカとは完全に袂を分かったのだろう。
「レティ。あれから、ヴァンに会ったのか?」
「ダアトで、一度だけ。ヴァンデスデルカは……戻ってきてはくれなかった」
あれから、というのがホドが崩落してからというのは言わずとも分かった。
そうだ、あの一度きり。あのときのヴァンデスデルカは何と言っていたのだっけ。
「なあ、レティ。ホドを消滅させたのが前のマルクト皇帝ってことも、その超振動を起こすために使われたのがヴァンだってのも、聞いた」
「!」
まさか、この段階でガイラルディアがこのことを知っているとは思わず、つい驚いてしまった。カーティス大佐が言ったのだろうか?意外だ。
「レティはそれを知ってたんだな」
「……うん」
そして、そこまでカーティス大佐は話したのか。――私が何を代わりに得たのかまで。
「それでフォミクリーの研究をしてたんだって?なあレティ、ヴァンのやつがレプリカを使って何かしようとするのも、知ってたんだな」
ガイラルディアの問いは疑問ではなく、確認だった。私が答えなくてもガイラルディアには伝わるだろう。だから黙って頷くだけにする。
そう、知っていた。私はヴァンデスデルカが何をしようとしているのか知って、止められなかった。レプリカルークが生まれたことも、アクゼリュスが滅ぶことも。
「レティはヴァンを止めたいのか」
ガイラルディアは、ヴァンデスデルカに何か言われたのだろうか。私はどうにか声を絞り出した。
「預言を覆すために世界のすべてをレプリカにするのなんて、間違ってるよ」
だって、そうしたら。誰も彼もいなくなってしまう。
「ヴァンデスデルカは、間違ってる。でも、私にはヴァンデスデルカを止められない。ヴァンデスデルカを救えなかった私にはできないんだ」
「レティ」
「私はこうすることしかできない。ガイ、私は……」
「いい、わかった」
ガイラルディアは私を引き寄せて、抱きしめた。こわばっていた体から自然と力が抜ける。ガイラルディアの腕の中はひどく安心する。ずっと離れていた半身に私は縋りついた。
「分かったから、レティ。もう無理しなくていい。俺がいる」
「……うん」
「俺がヴァンデスデルカを止めるよ。レティ、ごめんな」
「ガイラルディアが……謝ることじゃない」
私の方こそ謝るべきだった。ガイの肩に額をくっつける。世界で一番安心できる場所で、私はぽろりとこぼした。
「ねえガイ、私、ヴァンデスデルカが間違っているのはわかってるよ。でも……ヴァンデスデルカがそう望む気持ちもわかる」
預言に毒された人々。
預言に滅ぼされた故郷。
預言に記された滅亡。
何も許したくない。許すべきではない。憎しみは身を焦がし、復讐の刃を握る。
「でも、ヴァンデスデルカは私には手を差し伸べなかった。それだけなんだよ」
その刃を振りかざさなかった理由は、たったそれだけだ。私はずっと踏み出せない。どこにも行けない。
ガイラルディアのように一度取った手を振り払って進むことはできない。見ていることしか、きっと。
「ヴァンのやつは間違ってるけど、正しいな」
ガイラルディアが息を吐く。そうしてまた、私をきつく抱きしめた。


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