リピカの箱庭
ION/01

イオンがケセドニアに辿り着いたとき、すでにケセドニアの地盤沈下は始まっていた。ルークたちの姿は見つからず、舌打ちしながら聞き込みを開始する。変装しているとはいえ素顔を大っぴらに晒すわけにはいかず、しかもイオン自身見知らぬ他人とのコミュニケーションに慣れていないので難儀したが、幸いイオンもアリエッタも若者だったため大して警戒はされずに済んだ。
「導師はローレライ教団に戻ったのか……」
どうやらひと悶着あったらしい。大詠師モースがキムラスカの王女を偽物だとか糾弾していたと聞いてイオンは片眉を上げた。
「思ったより面倒なことになっていそうだな」
「……イオンさま」
「見つけた?」
鋭い視線であたりを見回していたアリエッタが頷く。魔物並みの感を備えた彼女が己の母の仇である相手を見つけ出すのはそう難しいことではなかった。
「アリエッタ、いいか。しばらくは我慢して。できなさそうだったらここで待ってて」
イオンとてアリエッタにつらい思いをさせたいわけではない。けれど恩人に報いるためには今彼女を暴走させるわけにはいかなかった。それにこのまま、ヴァンの企み通りに外殻が崩壊し続ければイオンとアリエッタの二人だってやがて行き場を失うのだ。今起きているのはこの世界に住む誰にとっても無関心ではいられない事態だ。
「……ううん。イオンさまと行きます」
「分かった」
アリエッタが大人しく頷いたのを見て、イオンは一行に近づいた。最初にこちらに気がついたのはジェイドだった。
「おや。なぜあなた方がここに」
「……っ、ノイ!」
「どうも、親善大使殿?」
表面上はにこやかに、皮肉を投げかけるイオンにルークはひどく沈んだ顔をした。その様子にイオンは舌打ちする。アクゼリュスの前で足止めした時とはすっかり人が変わってしまったルークは、同じように刃を翳すには脆すぎる。
「また邪魔をしに来たって訳じゃないんだろう?どうした、グランコクマの方で何かあったのか」
ルークを庇うようにしてガイが尋ねてくる。イオンは行き場のなくなった手を降ろすようにゆっくりと答えた。
「そう。ルグニカ平野の地盤沈下が始まった。エンゲーブもね」
「あちらもですか……」
「あちら、も?」
「ケセドニア周辺も似たような状況です。グランツ謡将がこちらのパッセージリングも停止させたのでしょう。我々は今からパッセージリングのあるザオ遺跡へ向かうところです」
「ってことは」
イオンは瞬いてジェイドを見上げる。避難を呼びかけるでもなく、パッセージリングの操作を行おうと考える理由は一つだ。
「あんたも伯爵と同じことを思いついたのか。なんだ、それじゃあわざわざ来なくてもよかったな」
「……ガルディオス伯爵もセフィロトの吹き上げを利用した降下のアイディアを?」
「できるかもって話をね。今からザオ遺跡に行って、それから魔界にあるルグニカ大陸のパッセージリングに行って間に合うかな……」
イオンの言葉に一行は険しい表情になる。アルビオールがあると言っても、すぐさま瞬間移動できるという話でもない。それにパッセージリングを動かすのにだって時間が必要だった。
「とりあえず今はザオ遺跡へ急がないか。ルグニカ大陸でも地盤沈下が始まったなら時間がない」
ガイがそう提案する。それに反対を唱える者はいなかった。
「僕も同行する。伯爵に報告したいしね。いいだろう?」
「えっ。イオンさま……ダアトに行かない、ですか?」
イオンの発言に、アリエッタがガルディオス伯爵の言葉を思い出して尋ねる。イオンは「後で行くよ」とあっさりと答えた。
「降下を見届けた後にその飛晃艇で送ってくれるだろう?どうせあんたたちも外殻に戻るんだから」
「便利に使ってくれますねえ」
「利害の一致ってやつだろ」
ジェイドとイオンの間に一瞬火花が散る。側で見ていたルークはひやりとしたものを感じた。もしかしてこの二人、あんまり相性よくないんじゃないか。
「レプリカの導師サマとは違って戦えるし、足手まといにはならないよ。というかあれと導師守護役はダアトに戻ったんだ?」
わざとらしく一行の面々を見回すイオンに、ルークは思わず噛み付いた。
「イオンのこと、そういうふうに言うのやめろよ」
きっと、自分自身がレプリカであることは関係ない。友達のイオンをそう貶されるのがルークにとっては我慢ならなかっただけだ。
イオンはそんなルークをまじまじと見て、一つ二つ瞬いた。ふいと視線を逸らしてからポツリと呟く。
「……。ま、今はあいつが"イオン"か」
「さあ、のんびりしている時間はありませんよ。喧嘩ならアルビオールの中でやってください」
「やだよ、子どもと喧嘩する趣味なんてないし」
ジェイドに急かされて一行はアルビオールに乗り込む。アリエッタは相変わらずルークたちを威嚇していたが、何か手出しをしようというそぶりは見せなかった。

途中、アッシュからの通信がありオアシスに立ち寄ることになったが、おかげでシュレーの丘のパッセージリングを遠隔操作可能であるという情報も得られた。それを聞いてイオンはアリエッタに声をかけた。
「アリエッタ、こうなったら一度先にグランコクマに戻って。ルグニカの崩落も多分どうにかなるってことを伯爵に伝えてほしい」
「でも、だったらイオンさまも一緒に」
「アリエッタ一人の方が早いだろ。ダアトで落ち合おう。いいね」
イオンの有無を言わさない口調に、アリエッタは考え込むように視線を落とした。けれどすぐに頷く。
「わかりました。行きます」
「うん。また後で」
イオンの言葉にアリエッタはすぐさま魔物に乗り込んだ。あっという間に見えなくなる姿にイオンは目を眇める。
「そんなに彼女が大切なのですか」
「……なんとでも言えばいい」
ジェイドに揶揄されてもイオンは動じなかった。
仮に、この作戦が失敗したら――アリエッタも巻き添えになる。それは嫌だった。パッセージリングの操作や魔界に興味があるのはイオン自身で、それにアリエッタは巻き込みたくない。幸い彼女には魔物を操れるという大きなアドバンテージがある。それを失うのだって、ガルディオス伯爵は惜しいはずだと考える。
「あんたたちだって背後にアリエッタがいたら落ち着かないだろう?さっさと行こう」
「そうですねえ」
ジェイドの答えようにイオンは眉をひそめた。ガルディオス伯爵はこの軍人を妙に警戒するそぶりを見せていたが、一行の中では一番食えない男だ。秘預言のことを喋らされたのもイオンにとっては苦い記憶だった。


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