リピカの箱庭
幕間23

ガルディオス伯爵邸にいる間はどうも重い雰囲気が漂っていた。もとより歓迎される訪問でもなかったし、問題は何も片が付いていない。マルクト皇帝の許可を得たとしても、崩落を前提に動くということは敵に先手を取られているということだ。
しかし再びテオルの森を抜けた頃には張り詰めていた雰囲気もいくらか和らいでいた。伯爵と従者たちがいなくなって、なんとなく気安い仲の面子だけになっていたのもあるだろう。
「それにしても、ガルディオス伯爵が女の人だったなんてなあ」
「ええっ?アニス、まさか男性だと思っていたの?」
ティアが驚いた声を上げる。如実に気まずそうな顔をするのがルークで、ティアと同じく驚いていたのがナタリアだった。
「なるほど、ですからあんな態度だったのですねえ」
ジェイドが意地悪く頷く。あんな態度、というのは全員に心当たりがあった。アニスがその見た目に反して強かな玉の輿狙いというのは全員が知っていることだった。
「だってえ!雰囲気が男の人ぽかったんだもん!ルークだって勘違いしてたでしょ?」
「うえっ?!お、オレは……まあ……」
「ルーク、あなた……本当にガルディオス伯爵のことをご存知なかったのですね」
呆れたようにナタリアが言うのはガルディオス伯爵のことを少しは知っているのなら性別を間違えることなんてしないからだろう。ルークはがっくりと肩を落としながら言い訳を口にした。
「いやだって、ガイが平気だったじゃん」
魔界に落ちたとき、ガルディオス伯爵を助け出したガイは腕に彼女を抱えていた。それで強く思い込んでいたのは事実だ。
「それそれ!私もそれだよぅ。ていうか、伯爵様だって女の人なのになんでガイ平気なの?」
ガイの恐怖症の原因が明らかになって、おちょくって遊んでいた女性陣は謝ることになったのだが、謎は謎である。アニスが無邪気に尋ねると傍観していたガイはぱちくりと目を瞬かせた。
「なんでって、レティだからだろ」
「それ答えになってないよ」
「……?いや、レティが平気なのはレティだからだよ。それ以外に理由はないと思うんだが……」
本気でガイが困惑している雰囲気にアニスは眉を下げた。他の皆も頭に疑問符を浮かべているので、ガイの言うことが理由になっていないのは確かなはずだ。
唯一涼しい顔をしているジェイドがそこで割り込んだ。
「ガイが女性恐怖症となる前に接していたからではないでしょうかねえ」
「と言うと?」
「ガイの女性恐怖症はホド戦争の勃発以降に知り合った女性が対象ではないかということですよ」
なるほど、一理ありそうな理論だ。ガイを除く全員は一応は納得したが、当のガイだけが首を傾げていた。
「そうなのか……?」
「おいおい、ガイ。自分のことだろ」
ルークがそんなふうに言うが、そもそもこの女性恐怖症の原因を思い出したのがついさっきなのだ。それに十六年も前のことなのだから分からなくても仕方がない。それに仮説を立てても確かめられることでもなかった。
「でも平気なのが実の妹じゃあ、あんまり意味ないよねえ」
いささか俗なことをアニスが零す。ルークも頷いた。
「ガイは伯爵……なんだよな?」
貴族ということは、家を断続させることは許されない。つまりいつかは結婚する必要があった。今のままでは難しいというのは誰の目にも明らかで、だがガイはその話題に苦い顔をした。ナタリアも見かねて口をはさむ。
「ルーク、そのことはあまり……」
「えっ?」
「俺は伯爵じゃないよ、ルーク。今の伯爵はレティだ。それは変わらないし、俺に継ぐ気はない」
「でも伯爵は女性だろ?お前がいるんなら……」
女性でも爵位を持つことはできるが、基本的に跡継ぎとなるのは長男だ。ガイが生きているならガイがそうなるのが普通だとルークは思っていた。
「こらこら、ルーク。あまりよその家の事情に突っ込むものではありませんよ」
少し重くなった雰囲気の中で、軽い調子でジェイドがルークをたしなめた。空気の悪さを察したルークはそこで頷いて引いた。訊いてはいけないこと、だったらしい。
「はっ、でもガイも貴族なんだよね!?」
「ガルディオス家はお金持ちですよ〜」
「はわ〜!なるほどぉ」
「煽るなよ、ジェイド……」
その財産はガイのものではない。改めて後悔がのしかかってくるように思えた。最初からグランコクマに戻っていれば――できなかったことだから今悔いるしかないのだとガイには分かっていた。
「しかし……継ぐ気はないですか」
ぽつりと、隣にいるガイにだけに聞こえるくらいの声量でジェイドがこぼす。先行する背中たちに意識をやりながらガイはちらりと横目でジェイドを見た。
「含みがあるな」
「いえ、あなたが思っていても他はどうかと思いまして」
「よその家の事情に突っ込むものじゃないんじゃなかったか?」
「はは、その通りです」
ですが、とジェイドは続けた。
「そう思っている者ばかりではありませんよ」
「……外、か」
ガルディオス家の立場は複雑だ。今は完全に宙ぶらりんでもある。アクゼリュスが滅び、ホドグラドには戻れないだろう。次にどうなるか決まるのはこの騒動、あるいは戦争が収まってからになる。
そのゴタゴタの間にガイに目をつける者がいないとは限らない。今は領地こそないものの、ガルディオス家は有名だし財産もある。となるとガイを使って――婚姻を結んで乗っ取りを考えるのが一番自然だ。レティシアよりもくみしやすいと思われても仕方がない。
「どうにかするさ。でもあんたからこんなふうに言われるのは意外だな、ジェイド。レティシアと随分気安いようだったが?」
一瞬鋭い視線が向けられて、ジェイドは思わず瞬いた。ガイがこうやって言ってくることこそが意外だった。なんとなく、本当に兄なのか、と納得する。レティシアの周りの騎士や使用人たちと似ていた。彼女を本当の意味で気にかけているのだ。
しかし、とケテルブルクでの出来事を思い出す。兄の代わりのぬいぐるみに縋っていた幼い少女の姿を。はたしてガイは彼女のあんな執着と不安定さを知っているのだろうか。
「……そうでしょうか?ですが、伯爵とは昔から面識がありますので」
そう考えたことはおくびにも出さず普段通り応えると、ガイの視線は外された。
「へえ。付き合いが長いんだな」
「ガルディオス伯爵のことは陛下も気にかけておられますから」
「そうか」
言ってからガイへの皮肉のようにも聞こえたか、と思ったが訂正はしない。ガイはもうジェイドのほうを見てはいなかったし、前方では襲ってきた魔物に突出したルークが対峙していた。「飛び出すなって言ってるのにな」呆れたようなぼやきが漏らされる。
「まだまだ手がかかる……」
走っていく背中を見送る。この程度なら大したことないだろうに。ジェイドは脳裏にこびりついた残像を振り払って槍を手に持った。


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