リピカの箱庭
92

その後は慌ただしかった。ルークたちが今後の行動について計画を立てる一方で、ガイラルディアを屋敷の者たちに会わせなくてはならなかったからだ。エドヴァルドをはじめとしたホドからついてきた者たちはガイラルディアが生きていたことを喜んだが、ヒルデブラントやアシュリークなどのこちらで雇った騎士たちはいくらか戸惑っていた。まあ、ガイラルディアが戻ってくればすぐに慣れるだろう。何せガイラルディアこそが正当なガルディオス伯爵家の当主なのだから。
「あなたは知っていましたね、ガルディオス伯爵」
出立前のカーティス大佐に呼び止められて私は一人彼に向き合っていた。
さっきは口に出せなかった質問だろう。私の答えなんて分かっているくせに、律義なことだ。気にしているのはカーティス大佐自身か、それとも背後にいるピオニー陛下か。
「それがどうしたのですか」
「なぜ言わなかったのです」
責められるような口調に私はアクゼリュスに行く前のことを思い出していた。なんだか懲りない人だ。いや、ホドのことは彼の中でも傷となって残っているのかもしれない。
「なぜ言わねばならぬのだ、カーティス大佐」
「それが――」
言葉が途切れる。そうだ、言わなければならない理由なんて山ほどある。だが言わない理由だってあった。
ホドを滅ぼした張本人が、何を言うのだろうか。
「それが、なんだ?言ってみよ」
「……申し訳ございません」
カーティス大佐は頭を下げた。私はつい鼻を鳴らしてしまう。
「ふ。あなたは私に貴族らしくあってほしいらしいようだな。帝国に忠実なしもべであれば安心か」
「……」
「私は代理にすぎぬ。許しがほしいなら我が兄に慈悲を乞うがいい」
家の行く先を決めるのは当主だ。正当な後継であるガイラルディアだけ。カーティス大佐は顔を上げてこちらを見た。動揺も何も浮かんでいないのだからやっぱりこの人はタチが悪い。
「ガイは、知っているのですか」
「いいや。知っているのは私だけだ」
私は対価にアクゼリュスとレプリカの研究権をもらった。だからもうこのことでマルクトを憎む資格はない。――カーティス大佐をこうやって責めることも本当もするべきではないが、そこまで割り切れてはいない。
でも、ガイラルディアが知ったらどう思うだろうか。ファブレ家への復讐を果たさなかったガイラルディアだ、過去には囚われないのだろうけれど。
「……そうですか」
私だけ知っているということは、私さえ消せば秘密は保たれるということだ。でも、カーティス大佐もピオニー陛下もそれはしないだろう。とはいえガイラルディアが知らないということは意外に思っているかもしれない。
「最後に、陛下からの伝言です。なるべく早く顔をみせるように、と」
「そうですね。陛下へ報告も必要でしょう」
情報はカーティス大佐から伝わっているはずだが、曲がりなりにもアクゼリュスを任されていたのだ。責任者として報告をする必要はある。
カーティス大佐はもの言いたげにしていたが、そのまま部屋を出て行った。私は塵一つ落ちていない床をしばらく見つめてから顔を上げた。
ガイラルディアに伝えなくてはならないが、今ではないだろう。ただでさえカースロットの件やお姉さまのことを思いだしたばかりなのだ、不安定に見えずとも大きな衝撃を立て続けに与えたくはなかった。
お姉さまのことだって、本当はちゃんと時間を取りたかった。私を斬りつけたことはショックだったらしく、抱きしめて謝られた。背中を撫でたのは傷の確認だったのだろう。ルークを庇ったのはあの状況のガイラルディアが彼を傷つけてはいけないと思ったからだったけれど、まさか思い出させてしまうとは思わなかった。
部屋を出るとメシュティアリカがエゼルフリダにつかまっていた。こちらに気づいたのかほっと息をつくメシュティアリカと、こっちもぱあっと顔を輝かせるエゼルフリダについ笑ってしまう。
「伯爵さま!」
「何をしているのです、エゼルフリダ」
「ティアがもう行っちゃうって言うんです」
どうやらエゼルフリダはメシュティアリカを引き留めようとしていたらしい。メシュティアリカの困った表情はそのせいだろう。
「メシュティアリカにはメシュティアリカの仕事があるのですよ」
「じゃあいつ帰ってくるの?ティア」
「それは……」
無邪気に尋ねるエゼルフリダはまるでメシュティアリカがこの屋敷に戻ってくると信じているようだった。羨ましくもある、大人を振り回すのは子供の特権だ。
「エゼルフリダ。メシュティアリカはもうこの屋敷の住人ではありませんよ。帰る場所はここではないのです」
「どうしてですか?前までいっしょだったのに!」
「エゼル……」
メシュティアリカがダアトへ行ったときエゼルフリダはまだ幼かったが、あの頃のことをよく覚えているらしい。困ったものだ。メシュティアリカも満更ではなさそうなところが特に。まあ、彼女にとってエゼルフリダは妹分みたいなものだ、仕方ないか。
「もう会えないというわけではないのです。聞き分けなさい、エゼルフリダ」
「……っ、やだ!ティアといっしょがいい!だったらエゼルもティアと行く!」
目を細める。私も子供ならこうやって駄々をこねられたのだろうか。ガイラルディアに、行かないでと――。
そんなふうに振る舞ったことなんて一度もないくせに、どうせできないくせに。夢想するだけ無駄だ。
「それはいけません。あなたでは足手まといだからです」
「エゼル、譜術もつかえるもの!」
「少しだけでしょう。メシュティアリカは皇帝陛下のお願いを聞いて行くのですよ。邪魔をしたらエゼルフリダ、あなたが皇帝陛下に怒られてしまいます」
「陛下に……?」
子供といえど、皇帝がものすごくえらい人だというくらいの認識はある。流石にその名前が出てくるとたじろいでいた。私もまあまあえらい人なので、私の言うことも聞いてほしいものだけど。
「さ、メシュティアリカにいってらっしゃいをしなさい」
「……ティア、けがしないでね?」
「ええ。大丈夫よ、私は第七音譜術士だもの。怪我なんてすぐ治せるわ」
「うん……。ティア、いってらっしゃい。気をつけてね」
メシュティアリカに抱き着いていたエゼルフリダが手を離す。代わりにといっていいのか、私のドレスをぎゅっと握っていた。もう少し幼いころなら抱き上げられたのだけれど、今は少し難しい。
先に玄関ホールに向かったメシュティアリカを見送って、私はエゼルフリダを部屋に送り届けることにした。廊下を歩いているとぽつりと呟きがこぼされる。
「伯爵さまは……、もう、どこにもいかないですよね?」
エゼルフリダはきっと全部を理解していないのだろう。けれど、私が死んだかもしれない、という情報だけは正しく分かっていたようだった。部屋のドアを開けて膝をつく。顔をよく見るとエゼルフリダはロザリンドに似ているし、エドヴァルドにも似ていた。
「今度はちゃんと、言ってから出かけます。だから安心なさい」
「……はい」
少し間が空いたが、エゼルフリダは頷いた。こんな子供にまで心配される自分が情けない。しっかりしないと。
ドアを閉めてため息をつく。頭が痛い。すべてを押し込めて隠して、どうにか顔を上げた。


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