リピカの箱庭
幕間20

森を出てからグランコクマに到着するまではマルクト兵に警護――実際は監視かもしれない――された状態だった。厳しい視線が向けられていたのは気のせいではないとルークは思う。それでも自分は何かを言える立場ではないし、それよりもガイのことが気がかりだった。
「陛下に事情を説明しなくてはなりませんからねえ。私は先に城へ向かいます」
街へ着いて、兵たちを従えてそう言うジェイドにルークは頷いた。ガイはまだ意識を取り戻さない。早く休ませて、カースロットとやらをどうにかしなくてはならない。最初にカースロット、という発言をしたイオンを見るとイオンもじっとルークを見つめていた。
「先ほども言いましたが、ガイはカースロットにかけられています。しかも抵抗できないほど深く冒されています」
「おまえ、これを何とかできるのか?」
「というより、僕にしか解けないでしょう。……これは本来導師にしか伝えられていないダアト式譜術の一つですから」
ちらり、とイオンはノイに視線をやった。ノイはイオンのオリジナルなのだ、言わんとしていることは分かる。ノイはふん、と鼻を鳴らして唇を歪めた。
「何?僕を疑ってるわけ?」
「いいえ、そういうわけではありません。とにかく、どこか安静にできる場所を貸してくだされば僕が解呪します」
「では我が屋敷をお使いください」
そう言ったのはガルディオス伯爵だった。無表情でガイを見下ろすその視線に何も言えなくなる。
「それがいいでしょう。伯爵、謁見の準備が整えば屋敷へ使いをやります」
「わかりました。ではヒルデブラント、馬車の手配を」
「直ちに」
さっと騎士がその場を離れる。馬車の準備はあっという間に整って、二手に分かれることになった。ルークが当然のようにガイと同じほうに乗り込もうとするとイオンに制止される。
「ルーク、いずれわかることですから、今お話ししておきます。カースロットというのはけして相手を意のままに操れる術ではないんです」
「どういうことだ?」
「カースロットは記憶を揺り起こし、理性を麻痺させる術。つまり……もともとガイにあなたへの強い殺意がなければ、攻撃するような真似はできない。……そういうことです」
頭を強く殴られたような衝撃だった。言っている意味が分からなくて、頭の中で反芻しようとしてもうまくできたか分からない。唇からこぼれた声は震えていた。
「……そ、そんな……」
「解呪が済むまで、ガイに近寄ってはいけません」
ふらついたルークの代わりにガイを支えたのは若いほうの騎士だった。ルークを一瞥するとさっさと馬車に乗り込んでしまう。イオンとアニスもその後に続いて、ルークは呆然としているうちにティアに引っ張られてもう一台の馬車に乗せられた。そちらにはティアのほかにティアの膝に乗せられたミュウとナタリア、それに御者席にもう一人の騎士が乗っていた。
ガタガタと馬車が揺れて進む間、イオンに言われたことが頭の中をぐるぐると渦巻いて離れなかった。ガイは、自分を憎んでいる?しかも殺したいほどに。だからあんな顔で自分を見たのか。
ずっとそうだったのか。一緒にいる間――ずっと一緒にいたのだからずっと、ずっとだ。自分が生まれてからずっと、ガイは。
「ルーク……」
心配そうに自分を見てくる視線にも気づけない。そうしている間にガルディオス伯爵の屋敷に到着した。小さいな、とぼんやりルークは思う。アクゼリュスのガルディオス伯爵邸も大きなものではなかったが、こっちのほうがこぢんまりとしている。
屋敷の中に案内されて待っていたのはガルディオス伯爵ではなく背の高い男性だった。鋭い眼光にこの男も騎士だろうかとルークは思う。
「ヒルデブラント」
「は。キムラスカ王国王女ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディア様、ファブレ公爵家ルーク・フォン・ファブレ様、神託の盾騎士団ティア・グランツ響長をお連れしました」
「ご苦労」
男がゆっくりとこちらを見回す。その態度はお世辞にも歓迎しているとは言い難かった。
「私はガルディオス伯爵家筆頭騎士エドヴァルド・ノルン・ナイマッハと申します。カーティス大佐より使者が来られるまでしばしお待ちください」
「お気遣い感謝いたしますわ。ところで、ガルディオス伯爵はどちらへ?」
応えたのはナタリアだ。エドヴァルドと名乗った男は表情一つ動かさずに答えた。
「我が主人は体調が優れず休まれています」
治癒したとはいえ背中をばっさり斬りつけられたのだ、無理をするべきではないだろう。ナタリアもそう考えたのか、こくりと頷いた。
「わかりましたわ。ガルディオス伯爵には大変お気遣いいただいております。感謝をお伝えください」
お大事に、とは言えなかったのはきっとアクゼリュスの崩落から斬りつけられたことまでこちらの責任があるからだろう。そのまま応接間に案内されて、ルークはくつろぐ気分にもなれず窓際に突っ立っていた。

待っている間にティアに励まされてどうにか気分を持ち直したが、謁見する相手がマルクト皇帝だと思うとなんだか緊張してくる。ガルディオス伯爵邸に迎えに来たのはフリングス少将と名乗る人物だった。将軍ってジェイドより偉いんじゃ、とちらりと思う。
グランコクマの城はキムラスカのそれとはまったく違った。街並みも水をふんだんに使ったもので、海に面しているとこうも違うものかと驚く。
そしてマルクト皇帝も、ルークが想像していたのとは異なる人柄だった。
「よう、あんたたちか。俺のジェイドを連れまわして帰しちゃくれなかったのは」
開口一番そう言われたルークは驚きを隠せなかった。それはティアとナタリアも同じようで、でもつい「……は?」なんて言ってしまった自分が一番間抜けだった。
そんなふうに始まった謁見だったが、いざ地盤沈下の話になると居住まいこそ正さないものの皇帝の声はまじめなものになった。アクゼリュス消滅によりキムラスカがマルクトに宣戦布告をしたこと、一方でマルクトの議会がキムラスカが戦争の口実にアクゼリュスを消滅させたと考えていること――どちらもあんまりな言い分に頭が混乱していた。
「何よりアクゼリュスにいたのはガルディオス伯爵だ。……こんなことになるなら手元に置いておくべきだったな」
苦々しく呟いた皇帝はちらりとジェイドに視線をやった。
「レティシアの怪我は」
「怪我自体は大したことないでしょう。ただ、伯爵には障気蝕害の疑いがあります」
「障気蝕害って、障気を吸い続けたらなるっていう……」
「そうです。アクゼリュスでは伯爵自ら指揮にあたっていたということですからね。不思議ではありません」
「そんな……!」
ティアが短く悲鳴を上げる。それを遮ったのは皇帝だった。
「それはどうにかさせる。それよりも今はセントビナーの話だな」
本当にどうにかなるのだろうか、と不安に思う。だが皇帝はそんなそぶりはもう見せなかった。最終的にルークたちがセントビナー救出に向かうことに決まり、謁見の間を辞してからティアがジェイドに尋ねた。
「障気蝕害は致死性の高い病です。伯爵は……」
「安心しなさい、ティア。障気蝕害の治療に関してはアクゼリュスの伯爵下の研究施設で一定の成果が出ています」
「ですが、アクゼリュスは」
「研究者たちはホドグラドに移っています」
ティアはほっと息をついた。予断を許さない状況ではあるが光明はあるのだ。伯爵が死んだら戦争は避けられないという事実もあるけれど、単純に伯爵が死ぬのが怖いと思った。
ルークはふとアクゼリュスの夜を思い出した。背後の伯爵の気配をガイと間違えたあのとき、どうしてそう感じたんだろう。その答えはきっと今から向かう先にあるのだ。変わるのだと、自分の罪から逃げないと決めた以上、向かい合うことしか許されなかった。


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