リピカの箱庭
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グランコクマの港は封鎖されているためローテルロー橋を目指してはいたものの、タルタロスの故障で一度最寄りの港で修理が必要になってしまった。その最寄りがケテルブルクで、こういうイベントあったなあと思い出した。
「ケテルブルクですか。久しぶりですね」
「行ったことあるの?」
イオンに訊かれて頷く。
「ありますよ。部下の新婚旅行で」
「なんであんたが部下の新婚旅行に付いていってるのさ」
「さあ……」
その謎は謎のままである。ついでに暗殺事件に巻き込まれたのだけど、それは置いておいて。
「ケテルブルクなら都合がいいですね。カーティス大佐」
「ええ、そうですね」
「何の都合がいいんですの?」
ナタリア姫が首を傾げる。カーティス大佐はしれっと黙ったので、内心余計なことを言われたとでも思ったのかもしれない。たまにはいいか。
「ケテルブルクの知事はカーティス大佐の妹君ですので。話も早いでしょう」
「えっ、大佐の妹ぉ!?」
素っ頓狂な声を上げたのはアニスだ。ルークもぽかんと口を開けていて、ナタリア姫も驚いた顔をしている。
「ジェイド、妹いたのか……」
しみじみとガイラルディアが呟く。気持ちは分かるが、私は肩を竦めた。
「いくらカーティス大佐でも木の股から生まれたわけではないのですから、そう驚かなくとも」
「随分な言いようですねえ、ガルディオス伯爵」
「おや。気に障りましたか?カーティス大佐」
「いえいえ、この程度のことでは」
ニコニコとやり取りしてると背後でイオンが引いていた。仲悪いの……?という顔をされたけど、良くはないかな。今更である。

ネフリーさんとはケテルブルクの一件以来顔を合わせていないのだけど、彼女が知事になったという話はこちらにも聞こえていた。あんなことがあったのでピオニー陛下も自分の息がかかった人物を置きたかったのだと思う。私情がないとは言えないが、王制下の特権階級なんてそんなものだ。
やはり船の上は苦手なので、地上に出るとほっとする。対応した兵士はカーティス大佐に説得されていて、それから私を見て目を見張った。
「まさか、ガルディオス伯爵であらせられる!?」
「ええ」
「伯爵も生きておられたとは……!これはすぐにオズボーン子爵をお呼びします!」
「いや」
兵士の言葉をカーティス大佐は遮った。ぴしゃりと冷水を浴びせられたように兵士が口を噤む。
「こちらから向かうのでその必要はない」
「は、了解しました。街までご案内しましょうか?」
「結構だ。私はここ出身なのでな。地理は分かっている」
まあ、わざわざ知事本人に港くんだりまで来てもらう必要はないし。兵士はやや緊張した面持ちで敬礼して立ち去っていった。
「随分違うんだな、ジェイドと伯爵への反応」
ルークが無邪気な感想を述べる。カーティス大佐は肩を竦めた。
「あなたも知っているように、ガルディオス伯爵は大変人気ですからね」
「……人気?」
その言い方もどうなのか。私はつい顔をしかめてしまったが、ナタリア姫が呆れたように腰に手を当てた。
「ですから言いましたでしょう。ガルディオス伯爵は先の終戦後に難民を取りまとめて庇護した功績がおありなのです」
「そういえば、なんか言ってたな。でも」
ルークがちらりとこちらを見る。それから首を傾げた。
「その時って、伯爵もまだ子ども……ですよね?」
彼が私の年齢を知っているとは思えないので、外見で判断しているのだろう。思わず苦笑してしまった。
「やるべきことを成すのに年齢は関係ありませんよ。さあ、遅くならないうちにケテルブルクへ向かいましょう」
この雪では難儀しそうだ。久々に感じる体の底から冷えるような寒さに身震いした。こればかりはどんなに美しい景観があっても慣れることはない。

辿り着いたケテルブルク知事邸では、まだ連絡がいっていなかったのかネフリーさんが驚いた顔で迎えてくれた。カーティス大佐が経緯を説明した後、私のことも覚えていたのかこちらにも挨拶をしてくれてちょっと嬉しかった。
「ご無事で何よりです、ガルディオス伯爵」
「オズボーン子爵もお元気そうで安心しました。この頃はいかがですか?」
「以前のようなことは起こさせませんわ」
そういう意味で訊いたのではなかったのだけど、暗殺未遂事件のことを引きずっているのだと思われたらしい。思い出さないと言えば嘘になるがだいぶ前のことだ。それにここ最近のほうがずっと色々とめまぐるしい。
「あなたが知事なら安心できます。ですから特別な警備は不要です」
「ですが……」
「カーティス大佐」
ちらりと見ると嘆息された。説明するなら軍人のほうがいいに決まってるだろう。
「厳重な警備を強いていること自体が何かあると言っているようなものですから。こちらには十分な戦力がありますし、何者かに狙われるとしても我々がここにいると知っての計画的な襲撃は困難でしょう。……ガルディオス伯爵のことは私がお守りしますので」
「お兄さんが言うなら、わかったわ。でも宿の手配はさせていただきますから、少しお待ちくださいね」
カーティス大佐の口からそんな発言が出るとは思わず私はつい目を丸くしてしまった。いや、護衛対象なら私よりも王族と導師がいるんだけども。あの時のことを借りだとでも思っているのだろうか?
「ガルディオス伯爵」
ネフリーさんの部屋を辞してから声をかけられる。きらりと光る眼鏡の奥の瞳を細めてカーティス大佐は私に釘を刺した。
「今回は勝手にどこへも行かないようにしてくださいね」
「……あの時に私が拠点を発見したのと事件が起きたのは関係ないのではありませんか?」
せっかくケテルブルクまで来たしランヴァイルに挨拶でもしようかと考えていたところだったので動揺しつつ、それを押し隠しながら答える。大佐の視線は変わらなかった。沈黙が下りた後、諦めたのは私の方だった。
「わかりました。ホテルで大人しくしていますとも」
「ぜひそうしてください」
そこまで言うならもういい、ホテルでだらだら寝て過ごしてやる。ましになったとはいえ慢性的な寝不足のままなのでよく眠れるだろう。たぶん。


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