リピカの箱庭
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私が立てた作戦は非常に単純である。
アリエッタが魔物を使って陽動している間に導師とナタリア姫を救出する。それだけだ。というのも、アリエッタと導師たちを片方ずつ救出するというのは難しい。一度事件が起きるとその後の警備が厳重になるからだ。つまり、事を起こすなら一度に為さなければならない。
さらにアリエッタ救出のほうは私とイオンの事情なわけで、カーティス大佐以下一行に協力を仰ぐわけにはいかない。まあそこはいいんだけど、私たちが勝手にアリエッタを助けることで彼らの不利益になっても困るというわけだ。
「といっても、あんたが矢頭に立たなくてもいいと思うんだけど」
イオンが呆れたように言うが、同じことはカーティス大佐にも言われた。まあ彼はアリエッタの救出に手を貸してくれる気はないのでどうでもいいんだけれど。
「そうですか?今この状況は私にとっては不都合ですからね」
「この状況ってのは?」
「導師に発言権がないどころか軟禁されるような状況です。戦争を推し進めようとする大詠師派は邪魔なので、この機会に一度知らしめておいたほうがいいでしょう」
にこり、と微笑んでイオンを見た。
「あなたにも協力していただきますよ」
「……ずいぶん悪いこと考えるじゃないか」
「アクゼリュスを落とした相手に遠慮などいりません」
そもそも、利用するしかないと言ったのはイオンの方だ。生き残った以上は立場を盤石にしておかないと心配だし、大詠師派を野放しにはしておきたくない。
「では頼みますよ、イオン」
「ああ、ガルディオス伯爵」
そんなふうに会話を交わしながら、第三師団の拠点にたどり着く。いつものように塔に入るのではなく、その手前では立ち止まった。魔物たちの演習を行っていたからだ。
ちらりとアリエッタを見ると、彼女もこちらに気がついたようだった。そして、急に魔物たちが暴れ出した。
「きゃあ!やめなさい!動かないで!」
悲鳴を上げながらもカヴァティーナが魔物を制御しようとするが、レプリカの刷り込みよりもアリエッタの統率の方が上回っているため効果がない。それをカヴァティーナも悟ったのか、アリエッタへ直接攻撃を仕掛けようと詠唱を始めたのを見て私は剣を抜いた。
「っ!あ、あなた」
「少しおとなしくしていなさい」
こちらを見て驚いた顔をしているすきに意識を落としてやる。研究者の彼女は戦闘能力自体は高くないようで助かった。
そうしている間にも魔物たちはあたりの兵士や建物への襲撃を始めていた。魔物たちが収容されていた塔も破壊されて、中からさらに魔物が溢れてくる。彼らに命令する必要はもうなかった。こちらに近づかないようコントロールすればいいだけだ。
これだけ派手に騒ぎを起こせば救出班も気がつくだろう。あとは逃げる前に本命を引きずり出すだけだ。魔物を使う空の逃げ道が確保できているので気が楽である。
「一体何事です……って、あなたは!」
「うわ」
六神将の誰かが釣れればよかったのだが、よりによってネイス博士か……。話が通じなさそうで嫌だなあ。案の定すごい顔でこっちを睨んでいる。
「その顔は……ガルディオス伯爵!」
「いつも思いますけど、よくわかりますね」
私も成長しているので、最後に彼に会ったときからはそこそこ顔も変わっていると思うんだけどなあ。変装も通じなかったし嫌な相手である。イオンが知り合い?という顔でこっちを見てきたが、知り合いではない。断じて。
「ふん、人を馬鹿にしているのですか。それより、一体何のつもりです」
「はあ……。そんなこと決まっているでしょう。ヴァン・グランツはどこにいる」
若干ペースが狂わされたが、私も彼を睨みつけた。レプリカの魔物たちは彼によって作り出された可能性が高い。何らかの制御手段があったらちょっと厄介だ。
「閣下はダアトにはいない」
応えたのはネイス博士ではなく、銀髪の女性だった。アクゼリュスで見覚えがある。リグレット――魔弾のリグレットだ。
「そうか。では仕方あるまい。報復はここにいる者に為すしかないようだ」
「マルクト貴族の貴殿が?どういうことか分かっているのだろうな」
「痴れ事を!アクゼリュスを滅ぼしたのは神託の盾騎士団だろう!」
声を荒げると周りにいた兵士たちがびくりと反応した。ここにいる全員がグランツ謡将に心酔しているというわけでもあるまい。ガルディオス伯爵と名乗る人物がそんなことを言ったらどう思うだろうか。動揺と疑惑くらいは植え付けることができる。
「我が民を弑し、我が土地を滅ぼした罪。贖ってもらう」
「……あなたは」
リグレットが何か言いかけたが、それを遮るようにネイス博士が声を上げた。
「ふん、アクゼリュスのことは預言に詠まれていましたからね。罪などあるものですか」
「ほう。言ったな?人を殺しても預言に詠まれていれば罪などない、戦争を起こしても預言に詠まれていれば罪はないのか!それが貴様らか、ユリアの名の元に星を滅ぼす人殺しめ!」
ざわめきが広がる。事実、大詠師なんかはそうである。預言の通りに世界を動かすことを目的として、導師とナタリア姫を拘束した。だが他のものがどうか――末端の兵士なんかはそんな大局は関係ないだろう。今まで預言に従って生きてきたとしても、それは彼らの日常の範囲内だった。その預言が戦争を詠んでいたとして素直に受け入れられるだろうか。
私はちらりとイオンを振り返る。彼は頷いて一歩踏み出た。顔を隠していたフードがはらりと落ちる。
「聞きなさい、わがしもべたちよ」
「導師……!?」
導師の顔を知らない神託の盾兵はさすがにいない。六神将の二人もおどろいた顔をしていた。これで、私が導師を連れ出したと勘違いさせられるだろう。
「此度のアクゼリュスの崩落は神託の盾騎士団主席総長、ヴァン・グランツによって引き起こされたものです。これによりマルクトとキムラスカが相争うことにしてはなりません」
凛とした声が響く。魔物と戦うことも忘れて、集まった兵士たちはイオンの言葉に聴き入っていた。そんなことができるのはアリエッタが魔物を抑えているからなのだけど、気づく者はいないだろう。
「なんだって!」「ヴァン総長が……?そんな……」「だが導師様が嘘を言う理由はあるのか」「それにガルディオス伯爵がいるんだぞ。もしかして、本当に」そんな声がざわざわと上がる。リグレットが歯噛みしてイオンを睨みつけた。
「どういうおつもりです、導師イオン!このような戯言を」
「口を開くことを許可した覚えはありません」
「ぐ、……ッ。まさか、お前は……!」
イオンは最後にグランツ謡将と対峙したと言っていたから、リグレットも情報自体は得ていたのかもしれない。ふ、とイオンが口元を緩めた。そうだ、イオンは導師ではない。だが、偽物ではない。
「僕が偽物だとでも言うのですか?それこそ戯言ですね」
「……あり得ない。なぜ……、ガルディオス伯爵、あなたは一体!閣下は何をお考えなのだ!」
こちらに矛先が向くが、私だって知ったことか。
けれど、私は生き残ってしまった。アクゼリュスと共に沈めてしまえればよかったのに。だから――知らないまま終わろうとしていたヴァンデスデルカの真意を、いつか知らなくてはならないのかもしれない。
「さあ。ヴァンデスデルカの考えることはヴァンデスデルカに聞きなさい」
何故私だけ生かそうとしたのか。ガイラルディアさえ見殺しにしようとしたくせに。拳を握る。
もう十分だろう。アリエッタに合図を送ると、彼女は魔物に号令をかけた。
「お喋りの時間は終わりです。参りましょう、導師イオン」
「ええ。ここにいてまた大詠師モースに軟禁されては困りますからね」
魔物たちが壁になっている間にさっさと上空へ飛びあがる。私たちはカーティス大佐との合流地点、ダアト港へ向かった。


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